21話 負けられない戦い
彩
知らない天井を見上げ目を覚ますと、晴ちゃんはもう隣にいなかった。
外は晴天だった。
昨日の雨が嘘のような秋晴れ。外から鳥のさえずりが聞こえる。
ここはチエミさんの家だ。
昨日色々あったあと、タカシさんの車に乗せてもらい、チエミさんと旦那さんの乗った車を追う形で十分程走った。
当然今は電気が使えない。
ガソリンランタンと電池式のランタンがぼんやりとした灯を投げかける家の中は決して華やかではないが整然としていた。
どこもかしこも、丁寧に手が入っている。
持ってきたLEDランタンを部屋に置き、ひとしきり会話を交わした後、私たちは普段よりずっと早い時間に布団に潜り込んだ。
数日ぶりの布団はやはり体が沈み込むような心地よさがあり、あっという間に意識が遠のいていった。
昨日あの後のチエミさんはテンションが高かった。
理由はあの二人組が置いていった大量の物資だ。
ダンボール箱を空けた
チエミさんの旦那さんが言った。
「明日店の前で炊き出しをやろう」
その提案に皆も賛同し手伝う事になった。
当然私と晴ちゃんも、だ。
ここまで来たら一日位なんでもない気持ちになる。
昨日こう思えていれば、迷惑かけずに済んだのに。「晴ちゃんごめん」と心の中で思う。
ちなみにダンボールの中身は米、玉ねぎ、人参、じゃがいもがギッチリ入っていた。
お店の冷凍庫にはまだ辛うじて凍っている豚バラ肉があるそうだ。
それを見てチエミさんは
「豚汁だな」
旦那さんは
「カレーだな」
と言った。
それは、ほぼ同時だった。
私と晴ちゃんは、少し嫌な予感を感じた。
「……は?」
チエミさんが旦那さんを振り向く。
「いや、カレーだろ」
旦那さんは、まるで当たり前の話でもしているかのように、決まり事のように淡々と言った。チエミさんの目が見開いている。
「はぁ? 何言ってんの? どう考えても豚汁でしょ? ほら、見てよこの玉ねぎ、人参、じゃがいも! もうこれは豚汁のためにあるようなもんじゃん!」
「カレーの具と一緒だな」
「……は?」
チエミさんの目が鋭く光る。
「いやいやいや! ちょっと待って! まず、炊き出しよ!? 豚汁よ! 間違いなく!」
「カレーも炊き出しの定番だ」
「だから、豚汁はさ、体が温まるの! 汁物よ? みんな疲れてる時に豚汁飲んでごらんよ? もうね、一口飲んだ瞬間に“あぁ…”ってなるのよ! その“あぁ…”が大事なの! わかる!? わからない!? ねぇ、どっち!?」
「カレーのほうががっつり食えるな」
「豚汁だってがっつり食えるわ!! てかおにぎりと相性いいし!!!」
「カレーなら握る必要すらない」
「女子高生と女子大生が握ってくれるわよ!それだけでちょっと良いじゃない!」
旦那さんが少し揺らいでいる。
「ぐっ!カレーのほうが簡単だな」
「えっ? いや、どっちも同じくらいでしょ? だってルーも味噌もあるし、鍋もあるし、食器も全部揃ってるんだから、そこに差はないでしょ?」
「カレーなら全部ぶち込んで煮込むだけで済むな」
「豚汁も同じだわ!!!」
その場にいた全員が思った。
なるほど。これが正に「夫婦喧嘩は犬も食わない」だ、と。
しかし、二人とも引かない。
このままでは埒が明かない。
ミキさんが覚悟を決め間に入る。
「まぁまぁ、落ち着いて。ね。チエミさん。多数決しましょ。多数決。」
「まぁ、そうね。多数決か。
まぁそれなら良いわ」
旦那さんも深く頷く。
晴ちゃんと私は、目を見合わせてゴクリと唾を飲んだ。
「じゃ行くわよ!手を挙げてね!」
ミキさんが一瞬で夫婦喧嘩を収めてしまった。
ノリノリで仕切っている。
「豚汁食べたい人」
もう、食べたい人になってしまっているが、誰も突っ込まない。
チエミさん、ミキさん、それに私が手を上げる。
私はカレーが大好きだが、辛いカレーが好きだ。
こういう場合のカレーは絶対に中辛程度だ。ならば私は豚汁一択。
いや、私が食べる訳じゃないんだけど。
ミキさんがタカシさんを凄い形相で睨んでいるがタカシさんは目を合わせない。
「じゃーカレーの人」
もうカレーの人になってしまっているが、誰も突っ込まない。旦那さん、晴ちゃん、タカシさんが手を上げる。
同数である。
皆の視線が小さな救世主、凪に向かう。
ミキさんが天使のような最高の笑顔で凪に呟く
「豚汁が良いよねぇ」
凪がミキさんから目を逸らし宣言する。
「カレー食べたい」
タカシさんと凪が熱い握手をしている。晴ちゃんも満足そうだ。
「仕方がないわね。カレー作るぞっ!」チエミさんが腕を天に突き出す。
「オウッ」
皆も続く。
激しい戦いの結果、我々は今日カレーを作る事になった。
布団の温かさと柔らかさの影響か2度寝したくなる自分との戦いになんとか勝利し、布団から這い出て、台所に行く。
晴ちゃんとチエミさんがじゃがいもの皮を剥いていた。
「彩ちゃんおはよう顔洗っておいでー」
「おはようございます。よく眠れました。チエミさんありがとうございます。」
「朝ごはん食べる?お餅だけど。何個食べる?」
「あ、是非頂きます。一つでお願いします。顔洗ったら、手伝いますね」
洗面台に行って水で顔を洗う。
当然冷たいが、気持ちいい。
文字通り目が覚めた気がする。
寝癖を直していると香ばしい匂いが広がってきた。
匂いに釣られるように台所に向かう。
チエミさんはガスコンロの上に網を置いて餅を焼いている。
六個も焼いているので私のだけではないのだろう。
「彩ちゃんミキちゃんと息子ちゃん起こして来てもらっていい?旦那とタカシ君はもう店行ったから」
「了解です」
ミキと凪を起こして皆で食事する。シンプルなサラダとお餅だ。それと常温の麦茶。
不思議とこんな時なのにいつもより良い朝食を食べている。
普段私は朝食を取らないことが多いのだ。
お餅は砂糖醤油を付けて海苔を巻いて頂いた。
海苔のパリッとした食感とあまじょっぱい砂糖醤油が絶妙だった。
結局お餅は足りなくなって、もう一度今度は四個焼いてそれも皆で完食した。
麦茶を呑みながら凪を見る。
視線の先で、凪が夢中で餅を頬張っている。
ふと思う。
私の弟も同じ四歳なのだが、母親にべったりだ。
凪とは同い年なのに凄くしっかりしているようにみえる。
保育園に通っていた影響もあるのだろうか。
私が子供を産んだらどうなるのだろう。やっぱり看護師は諦めなければいけないのだろうか。
母はなんて言うだろう。
私には想像がつかない。
あとでミキさんに色々話を聞いてもらいたい。
それにミキさんの話も聞いてみたい。私が子供を育てる事は可能なのだろうか。
静かにそんな事を思った。




