1話 旅のはしわまり
晴子
「やった!晴ちゃん初めてヤエーもらえた!これは嬉しいね!」
彩ちゃんの弾んだ声がインカム越しに響く。
ワカル。
バイクの免許を取って一年半、父とのツーリングやツーリングキャンプで何度も経験してきたけれど、それでもヤエーは今でも嬉しい。
ヤエーとはバイク同士の安全を祈願しあうハンドサインの事だ。
実際は祈願と言うほど深刻では無く、ノリの要素が強い。
観光地やツーリングスポット等で、対向車線にライダーを見つけた時に手を振ると、相手も振り返してくれる事がある。
指や手の形に決まりは無く、自由だ。
ほとんどのライダーは左手を一瞬ハンドルから離し手を振る。
たまに両手を離しバンザイをする猛者もいる。
ハンドルから手を離すとは危険だ、と反対派の人もいる。
安全第一は当然だし最優先だと思う。
けど、やってみるとこれが中々嬉しい。
彩ちゃんの顔はヘルメットのシールドで隠れて見えないけど、きっと満面の笑みをしているだろう。
たった一瞬手を振りあっただけなのに、しかも相手のほとんどはオッサンなのに、旅のワクワクが2割増になるから不思議だ。
ちなみに、先頭を走ってるライダーはヤエーを貰いにくい。
こっちが手を振り、向こうが気がついて、手を挙げた時にはもう既にすれ違っているから。
だから、2台目以降の人はヤエーは貰いやすい。
今回の場合も私(晴子)が前を走っている。
今朝、集合したコンビニで彩ちゃんはどこか元気が無かった。
顔色が悪いと言うのをよく聞くけど、実際に顔色が悪いとはどういう状況なのだろう?
本当に顔の色が白かったり、紫だったりしたら、もうその時点でかなりヤバいと思うのだけど、今朝の彩ちゃんを見た時「あ、顔色が悪い」と、思った。
実際の色ではなく、雰囲気の問題なのかもしれない。
今は顔は見えないけど、きっといつもの満面の笑みをフルフェイスの中でしていると思う。
彩ちゃんが、元気になって良かったー
そんな言葉が喉まで出かかったけど、ぐっと飲み込んだ。
普段から暗い顔を見せない彩ちゃんが元気が無かったのだから、何かあったのだろう。
単純に慣れないバイクでの旅に不安だっただけかもしれないけど。
何にせよ掘り返すのは良くないと思った。
私達は今、神奈川県の南に位置する藤沢市の自宅から長野県の駒入池キャンプ場に向かっている。
距離は約200km。下道のみだ。
時間にして恐らく7時間前後。
一泊二日のキャンプだ。
初心者にはもちろん、何度か長野までバイクで来た事がある私にも中々大変な旅だ。
大学2年生で従姉妹の彩ちゃんと、私高校3年生の晴子の2人である。
私は高校1年の時に普通自動二輪の免許を取得した。もう1年以上になる。
彩ちゃんは先月取得したばかりだ。
バイクは2人とも親のバイクである。
私晴子のバイクはリトルカブ。50ccのバイクを父が改造して100ccになっている。
高速道路には乗れないが、ピンクナンバーを取得していて、オリジナルのカブにはないカラーに塗装、マフラーを交換してある。
私は見た目が凄く気に入っている。
彩ちゃんの乗っているバイクは私のカブに比べると大きくてシルバーのパーツがキラキラしていてかっこいい。
クラシカルなデザインで細くて身長の高い彩ちゃんにぴったりな気がする。
彩ちゃんに
「そのバイクなんていうの?」
と聞くと
「カワサキのエストレヤってゆうバイクだよーお父さんのね」
と答えてくれた。
あまり詳しくは無いらしい。
「そろそろ休憩しようか?」
森を抜け、山中湖の景色が広がってきた所で、私はインカム越しに声を掛けた。
走り始めて約2時間、50kmほど進んだ所だ。
左側にコンビニを見つけてウインカーを出し、邪魔にならない端っこにバイクを2台並べて停める。
私は荷物の紐が緩んでないか確認し、ほっとする。
私達はコンビニで買った暖かいカフェオレを片手に道路の反対側の山中湖を歩いて見に行く。
湖畔のフェンスの寄りかかりながら、湖を眺める。
波はほとんどなく、とても穏やかだ。
太陽の光が湖面に反射してキラキラしている。10月末なので紅葉が始まっていて、山々が赤やオレンジに色付いていた。
この辺りにはキャンプ場もいくつかあるし、ココが目的地でも良かった気がする。
もう、もう遅いけど。
山中湖を背景に写真を撮る。
彩ちゃんは髪が長く、ストレートで後ろで一つに結んでいる。
大きな瞳は純粋さと大人びた魅力を併せ持ちスッキリとした鼻筋がナチュラルで飾らない魅力がある。
黒いアウトドアブランドのダウンジャケットにグレーの細身なズボン、黒いブーツを履いていて。本当に脚が長く、身長も百六十五センチ位はありそうだ。
モデルみたいだ。
きっとバイク女子二人でツーリングの写真をSNSにアップすればいいねを沢山貰えるだろーな、と思うが今は撮るだけにしておく。
カフェオレを飲みながら私は言った。
「そろそろガソリン入れなきゃだ。
前にお父さんとカブ2台で伊豆ツーリングした時に、ガソリンスタンド行ったらやってなくて〜」
「えぇーそれはやばいね」
「次のスタンドまで10kmあって私もお父さんもいつガス欠で止まるかヒヤヒヤしたんだよね。」
彩ちゃんがクルッとこちらに振り返り、言う。
「えーそれは怖いなー」
「そうなんだよ。だから予備のガソリン1リットル持ってきてるんだ。彩ちゃんのバイクはタンク容量大きいから平気だよねー」
「そーだね。多分500km位走れる。」
びっくりだ。
私のカブは1L辺り30km位走れるが、タンク容量が4Lしかない。
100kmに一度は給油が必要になる。
父に言われてGoogleマップでルート上のガソリンスタンドにはピンを刺してきたので、大体どこで給油するかは想定済だ。
この辺りにも2箇所スタンドがあったはずだ。
私達は最初山梨の有名な温泉のあるキャンプ場に行きたかった。
だけど、予約が取れなかった。
そこで、知人が働いている長野県の駒入池キャンプ場に行く事になった。
知人と言っても、父の知り合いで私は小学生の時数回会ったことがあるだけだ。
向こうは覚えてくれているだろうか。
前に行った時は川遊びが出来たり、花火をやっていい場所があったりと、ファミリー層が多かった気がする。
「さ、そろそろ行こうか」
と、彩ちゃんが言う。
「彩ちゃん元気だなぁ。
初めてのロングツーリングなのに。」
彩ちゃんが顔をほころばせてえへへと笑う。
美人な彩が笑うと辺りがふわっと明るくなった気がする。
尊い。
コンビニに戻ると、5.6台のバイクが私たちのすぐ横に止まっていて、年配のライダー達がタバコをふかしてる。
喫煙所じゃないんだけどなーと思いつつ、バイクに近寄ると、父親より年上と思われる革ツナギを着た男性が、コチラをみている。
ヘルメットを被り、準備をしていると、
「お嬢さん達女子だけでツーリングキャンプかい?」
と聞いてきた。
バイクに乗っているとおじさんに声をかけられる事が多い。めんどくさいなーと思いつつ
「あぁ、はい。」
と答えると。
「どこで泊まるんだ?」
とぶっきらぼうに聞いてくる。
具体的に答えたくないので、「長野です。」
と、答えるとおぉーと軽い歓声が起きた。
女子だけで、湘南から長野まで、下道は頑張るなーと周りから聞こえてくる。
バイクのナンバーで地域がわかったのだろう。
その中にいた恰幅の良い女性が近寄ってくる。
まるで、アニメに出てる有名な魔人のようだ。
唇や耳に幾つもピアスが付いていて、髪の毛先はピンク色だ。
正直怖いなと思ったけど、満面の笑みでチョコ、じゃなくてホッカイロをいくつも手渡してくれた。
その指には指輪にも似たタトゥーが入っている。
ホッカイロをジャケットのポケットに入れお礼を言うと
魔人ブ…女性が
「気をつけて楽しんでね」
と、ガラガラな声で言ってくれた。ありがたい。
もう一度キチンとお礼を伝えた後、コンビニの駐車場を出発し、山中湖沿いを走る。
湖の向こうには、少し雲をかぶった富士山が見えた。
「なんか……旅してるって感じだね」
彩ちゃんがしみじみと呟く。
「そーだねぇ」
私も同じことを思っていた。
こうしてバイクで知らない道を走っていると、日常からふわっと浮き上がるような感覚になる。
何気なく見ていた風景が、少し特別に見えてくる気がした。
最寄りのスタンドで給油を終え、秋風を受けながら私達は長野に向かって走り出した。