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 意を決したように、ソミンはやっと口を開いた。


「お嬢さんの、お名前は?」


 ハッという表情で娘は、そしてその父母もソミンを見た。アシナツチの声は震えていた。


「む、娘の名前よりも先に、ヤシガサはあんたさんの名前も知らんが」


「俺か。俺はスサのおう・ソミンソーラン天照日向日女あまてらすひむかつひめの弟分だよ」


「えっ! え、えっ!」


 ソミンの予想どおり、アシナツチもその妻も、腰をぬかさんばかりに尻で後ずさりをした。


「あ、あんたさんは……。天照日向日女あまてらすひむかつひめ様といえば、大昔にこのミズホの国を治めておいなあた神さんだが。あんたさんも神さんなんかいね?」


 天照日向日女あまてらすひむかつひめは超太古の女王で太陽神だ。ソミンはいくらなんでもあり得ない自分の嘘に、皮肉をこめたような笑いを見せた。

 だがアシナツチたちは、十分震えあがっている。ソミンが大声をあげて笑うと、アシナツチ親子三人はその場にひれ伏して、手を四つ打ち鳴らした。


「娘の名はクシイナダと申しますだ」


「そうか。実は八蜘蛛やくものガキを退治できたら、お嬢さんを嫁に頂きたいんだが」


「なんでそげなこと、わざわざヤシガサに? それにもう娘の名前は言うたですが」


 アシナツチは、また怪訝な顔をした。


「娘の名前は言うたですけん、どうぞ妻込つまごめに……」


 それを聞いて、ソミンも首をかしげた。


「そなたはこの子の父親ではないのか?」


「そげですが」


「父親にお嬢さんをくれと言って、何でそんなへん顔をするんだ? それにどうぞ妻込にとは、どういうことだ?」


「娘を嫁に取ろうという人がその親に申し出るなんて、聞いたこともなあですけんな。嫁を取るのは妻込にして、さらって行くのが普通ですが」


「そんな… なんという国だ」


 ソミンはしばらく呆気にとられて、言葉が出なかった。


「しかしそなたたちは、娘が妻込にされるのがいやで、それで泣いておったのではなかったのか?」


「妻込は仕方なあことだけんど、八蜘蛛のガキに妻込にされるのは話が別だがね」


「わかった」


 ソミンは再び、親子三人の前にかがんだ。


「俺の国では嫁を取る時、まずその親に願う。そして許されたら、今度は本人の意志だ。そうして始めて皆に祝福されて、結婚ができるんだ。だから俺もそうしたいんだ。だから、姫」


 ソミンははじめて、娘に声を掛けた。娘は恐々と、黙ってソミンを見上げた。


「そなたは俺の妻になるか?」


「もう名前を言いましたけん」


 横からアシナツチが割って入った。


「名前には霊力がありますけん、名前を知られたらもう妻込にされたも同じことですが」


「しかし俺は、はっきりとお嬢さんの口から、返事が頂きたい」


 しばらくは目を伏せていたクシイナダだったが、やがてゆっくりとソミンの顔を見た。


天津神あまつかみさんにもらって頂けるなら」


「よし!」


 ソミンは立ち上がった。


「そうと決ったら八蜘蛛のガキをやっつけるまで、姫にはどこかに隠れていてもらわねばな」


「それならば」


 アシナツチの妻、テナツチがはじめて口を開いた。


「東方の方がええ。ヤシガサが生まれたムレコに森がああてな、姿を映す池もああけん」


「そのような所があるなら、なぜもっと早くに娘さんを、そこに隠さなかったんだ?」


 ソミンの問いに、悲しそうにアシナツチは首を横に振った。


「ここからはまる一日はかかる所でな、そげな所へ娘をひとりでやるわけにもいかん。かと言ってヤシガサはムレコカミだけん、ここを離れるわけにもいかんしな」


「それじゃあ、俺の配下に送らせよう」


 ソミンは、まだことの成り行きが呑み込めずにとまどっているクシイナダの肩に、そっと優しく手を置いた。

 翌朝ソミンは五十猛いそたけの中から五人を選び、クシイナダの供につけた。勇敢よりも誠実さが人選の基準だった。姫を連れて行く先は意宇おうの里という所だという。テナツチが行き方を木の破片に書いて、供のひとりに渡した。

 ところが出発を前にして、その供がソミンの所へ来た。文字が読めないのだという。テナツチが書いた木片を見せてもらうと、そこに書かれていた文字は、たしかに漢字ではなかった。ソミンにとっても、見たこともない文字だった。


「これはこの国に、昔からある文字だな」


「漢字の他にも、この国に文字が? でも邪馬台やまとにはなかったじゃないですか」


邪馬台やまと巫女みこ大人うしといわれた金毛碧眼の一派が、この国に文字はなく文字といえば漢字だけだなんて言っていたのは、実は裏にからくりがあるんだ」


 ソミンは何かの確信を得たかのように、何度もゆっくりうなずいた。


 ソミンは河原でそのまま露営を続けて、八蜘蛛のガキ――邪馬台やまと鉄人をろち族が来るのを待った。五十猛たちにはすべてを説明してある。

 ところがクシイナダを見送ったその翌日には、もう川の水は黄色く変わった。カンナ流しが始まったようだ。実に間一髪だったわけである。

 アシナツチの住む穴の方から、けたたましく鐘が打ち鳴らされた。天井から下がっていた吊り金――銅鐸を打ち鳴らしているのだろう。


 いよいよ時が来たらしい。

 ソミンは、五十猛いそたけ全員に下知を下した。時は四月。そろそろ汗ばむ季節である。戦いともなると、そんな季節にも甲冑を着けなければならない。

 ところがソミンが下した下知は、戦いの準備ではなかった。木を切り出し、川原の砂利敷の上に垣を作るように彼は命じた。邪馬台やまと風の宴席以外の何物でもない。そこへアシナツチに用意させた酒を、瓶に入れて運ばせた。さらに茅でもって等身大の人形を作らせ、これにアシナツチから借りた姫の衣裳を着せたのである。

 その人形を河原に立たせ、垣の中に入って、ソミンは夕刻も待った。妻込めに来るなら暗くなってからのはずだ。だからソミンは垣の中に隠れ、五十猛達は近くの林の中で待機させたのだ。

 人形はこんな間近で見ても、若い娘がひとりで立たずんでいるようにしか見えない。遠目ならなおさらだろう。

 鉄人族をろちは季節労働者だと、アシナツチは言っていた。この時期になると高志の国からやって来て、ここの川上のタタラ製鉄所で作業を始めるという。その時川底の土砂をすくい、水で洗ってただの土と砂鉄とを振り分ける。それがカンナ流しで、そのために余分な土砂が下流に流れ、川の水を黄色くさせる。そうアシナツチはソミンに説明してくれた。

 そのようなことよりも彼にとっては、敵の数の方が関心事だった。ところがアシナツチは、妻込には作業員がどっと来るわけではなく、いつも八人の頭目だけがやって来ると言った。


 日が没すると、風は幾分心地よくなる。

 息を殺して、ソミンはただ時間をつぶしていた。今夜来なかったら明日だ。さすがに緊張する。ただ、勝算は充分にあった。

 時々ソミンは垣根から顔を出し、河原の様子をうかがった。そのうちしだいに宵闇があたりを包みはじめた。

 しばらくしてから川の上流の方に、光るものがあるのを彼は見た。赤い光だ。それがいくつも川の上に浮いている。やがてホオズキのようなその光は、だんだんとこちらに近づいて来た。しだいに数も数えられるようになってきた。それは八つだった。

 来たな、とソミンは思った。そして腰に帯びた銅剣の鞘を、しっかりと彼は握りしめた。手が若干汗ばんできた。

 赤い光は松明たいまつの炎だった。八隻の小舟が燈火をその先につけ、ゆっくりと川を下ってくる。


 それらがすぐそばまで来た時、ソミンは燈火に照らし出された男たちの顔を見た。一隻にひとりずつ、八人の男だった。まさしくアシナツチの話のとおりだ。男達は皆黒髪に黄色い肌の倭種で、みずらは結っていない。ただ目のまわりには確実に入墨があった。

 八隻の舟は充分近くまで来た。人形を見つけた彼等は、互いの顔を見合わせながら笑みを含ませて、舟を岸につけた。ひとり、ひとりと舟から飛び降り、ゆっくりと人形に近づいて来る。

 だがすぐ手前で、彼等はそれが本物の娘ではないことに気がついたようだ。


「なんね、こりゃあ!」


「偽もんやなかと!」


 そのうちのひとりが、腹癒せに人形を蹴とばした。人形はどっと崩れて、地に倒れ伏した。


「いったい誰が、こぎゃんこつしたとね!」


「俺だ!」


 叫びとともにソミンは垣根から飛び出し、彼等の前に仁王立ちになった。


「な、なんだ! 誰だ!」


 口々に騒いで八人の男は、一斉に腰の剣の鞘を左手で握り、右手の燈火をソミンの方にかざした。炎にソミンの赤い顔が浮かぶ。


「あっ!」


 男立の顔は、同時に驚きへと変わった。


大人うし!」


 叫びとともに、燈火は放り出された。八人ともその場に慌ててひざまづき、両手を合わせて二回打ち鳴らした。そのしぐさ、そして彼等の顔の人墨が、ソミンの勝算が堅固であることを物語っていた。


「おお!」


 と、ソミンは声を返した。


邪馬台やまとの者か」


 彼等の風習によりもうすでにわかっていたことだが、あえてソミンは聞いた。八人の男は身をこわばらせて、巨体を小さくうずくまらせているだけだった。


「邪馬台の者かと聞いているんだ!」


「は、はい」


 八人のうちソミンはいちばん近い所にいた者が、ようやく顔をあげて答えた。

巫女みこ様に属しまする、高志こしの国の者でございますたい」


「ここには何しに来た」


「は、はい。鉄ば作るため、いつもこの季節には来よっとです。都の鉄は全部、我われの手によってますけん」


「それで、ついでに妻込をして帰るんじゃな」


 一瞬バツが悪そうに、八人とも同時にうつ向いた。


「こんあたりじゃ、普通のこつと聞いとりますけん」


「邪馬台でそのようなことをしたら、追放は免れないよのう」


「は、はあ。さすが大人うし様、恐れ入ってござりますたい」


 ますます頭を地にこすりつけ、八人の男は畏まった。その額には脂汗さえ浮かんでいた。


「それはいいにしよう」


 ソミンの言葉は、彼等にとって意外だったらしい。誰もが怪訝な顔をした。


「それよりいっしょに、酒でも飲まぬか」


 八人はもうすっかり呆気にとられてしまった。およそ金毛碧眼の大人うしから、黒髪黒眼の下戸げこである自分たちにかけられる言葉ではなかったからである。


「ほげなこう、よかとですか?」


「ああ。俺が許す!」


「こんな話せる大人様は初めてたい」


 男たちは急に相好を崩し、勧められるままに垣の方に向かった。垣の入り口には、茅で作った大きな輪がしつらえてあった。人形を作った時に茅が余ったので、しゃれっ気のある五十猛のひとりが、人が通れるほどの大きな輪を作って入り口を飾ったのだ。八人の男達は順番にその輪をくぐった。

 男達は手に持ってきた松明たいまつを所々に立て、それを照明にした。ソミン自ら、男達に配った土器に酒を注ぐ。そんなことでもう男達は、すっかり恐縮してしまうのであった。


「ところで大人様は、なぜこぎゃん国にいんしゃっとですか?」


 ひとしきり杯を重ねたあと、ひとりの男が恐るおそる上目づかいに尋ねた。


「んん? 俺を知らないのか?」


「はあ、からの地に行っておられたとですか?」


 ソミンの韓服を見てそう言ったのだろう。同時に彼等はソミンの顔をじっと見ている。邪馬台の大人と違って、ソミンの顔には入墨がないことを訝っているようだ。


「俺はたしかに韓の地、魏の楽浪郡にいたけどな」


「しかしなぜここへ? ここは邪馬台の一大敵国の、クナトの国ですたい」


「おおっ! やはり」


「ご存じなかったんで?」


「いや」


 アシナツチがここのことをクナトの神のいる地と言った時から、ソミン王は薄々そのような気はしていた。


「今では戦いは小康状態になっとりますけど、邪馬台はクナトと戦うために魏の皇帝に詔書や黄幢を請い、軍事顧問の張政まで招いたほどですけん」


 その張政が漢字で「狗奴国」と表記したクナトの国こそが、今ソミン王がたどり着いた国だったのだ。

 ソミン王が納得しているうちに、男達はどんどん杯を重ねていた。


「いやあこの酒は、ほげなこう美味うまか」


 別のひとりの男が話の腰を折った。


「こげな美味うまか酒を用意してくれたっちゃいうこつは、我々が来ることをご存じだったとですか」


「ああ、知っていたさ。邪馬台やまと鉄人族をろちが来ると聞いてな、懐かしいので一杯汲み交そうと思ったんだよ」


「それはかたじけない。で、大人様は邪馬台には?」


「いたことはある。韓の地に行く前だ」


「そぎゃんですか。邪馬台もいろいろ変わりましたとです」


「今の巫女みこ様は、ずいぶんお若いとか」


「たしか、十三歳でございますたい」


「今の邪馬台は平和か?」


 どこかしらじらしいソミン王の問いかけだった。


「はい、さきの日の巫女様であらせられた大日霎おおひるめ様があぎゃんこつになりましてから、一時はたいへんだったとですが、豊姫様、つまり今上日の巫女様の豊日霎とよひるめ様が日の巫女の位に即かれてからは、おおむね平和が続いとります」


「大日霎様は、殺されたのだったよのう」


「はあ、わしら下戸げこにはようわからんこつですが、なんでもずっと国政を執られておった弟君に殺されたと聞いとります。その弟君が一時王になったこともあったとですが、すぐに追放されたとか」


 ソミン王はうすら笑いを浮かべた。男たちは皆だいぶ酔いがまわったらしい。中でもさっきからずっとしゃべっている男は、饒舌にさらに拍車がかかっていた。


「大人様は、韓の地は長かったんで?」


「昔は永くいたこともある」


「実は我々高志の国人も、もともとは韓の地から来たとですよ。正確には高句麓の国から来たとです。じゃけん今でも製鉄ばまかされとっとです」


 突然ソミンは、大声で笑いだした。


「高句麓か。俺がいたのはもともとはソシモリ、すなわち牛頭山だ。それがいつのまにか、つまり豊姫が立ってからは、魏が楽浪とは別に帯方郡を置いたりしてな、行っても住みづらかったよ」


「あ、では、豊日霎様のことはご存じで?」


 ソミン王は、またひときわ高く笑った。


「なして住みづらかっとですか?」


 別の男が、ほとんどまわらない舌で口をはさむ。


「帯方郡を置いたのは魏だ。その魏の息のかかった邪馬台の女王を、俺は殺したのだからな」


 男達の時間が止まった。一斉に息を飲んだ。次の動作をする者は、しばらくは誰もいなかった。


「前の日の巫女の弟、牛頭ごづ天王・スサのおうソミンソーランとは……俺のことよ」


 男たちの動作が止まった。そのまま彼らは小刻みに震えはじめた。目はかっと見開いている。ソミンは笑いながら、杯を干した。

 やっとひとりが尻もちをつきながら、言葉を発した。


「そ、そのスサの王が、な、なしてクナトの国に……」


「弟といってもだな、俺は日の巫女と兄弟の契りを交しただけだ。追放されて前に長くいた韓の地に戻ったけどな、さっきも言ったようにそこは魏の帯方郡になっていたからな、住みづらくてすぐに戻ってきたら、自然と流れ着いたのがこの国だったというわけよ。ま、かつての敵国に身を投じてみるのも、これもまた一興」


「おのれっ!」


 左はじの男が剣の束に手をかけ、立ち上がろうとした。次の瞬間、男はよろめいて地に倒れた。驚いていた他の男たちも、次々に倒れていく。男達に配った土器にあらかじめ塗っておいた毒が、いよいよ効いてきたらしい。

 ソミン王はすかさず剣を抜き、男達をひとりずつ斬り殺していった。流血は河原の小石を伝い、火の川の流れに注がれていった。

 夜のとばりの中で、静寂だけが残った。ソミンは垣の入り口の茅の輪をくぐって、垣の外に出た。

 雨が降り出した。すぐにそれは激しい豪雨となり、雷鳴が轟いて、その爆音は野を駆け巡った。

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