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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
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093 濃烟

 益々、歩兵と輜重車は多く通過し去る。われらの軍団司令部は相変わらず所在が知れぬ。われらの待機中、トランスバイカルのコサック騎兵が来る、郵便中隊が来る、電信中隊が来る、伝騎が来る、そして一様に「軍団司令部は何処か」と尋ねるが、誰も知らない。われらも北方へ向けて行進すべきか、或いは命令を待つべきか、医長は決めかねている。われらの存在が忘れ去られているのか、独断で退却すべきか否か、判断しかねるのは私にも判る。


 奉天旧市街に差遣した主計官の助手は戻ってきて、停車場の郵便箱は悉皆取り去られ、電報は一つも受け取れなかったという。本国から到着して山のように積み上げられていた個人追送品は、勝手放題に投げ棄てられていたとのことだ。

「もはや万事お構いなしです。官品も私物も残っているものは焼かれますから」

 なるほど、南方に濃烟が立ち上っている。撫順への分岐点で倉庫が焼かれはじめたようだった。


 カスピアン聯隊の兵卒らが千鳥足で通過していく。彼らの眼は疲労のために血走っており、頬は火酒を飲んだせいで赤かった。

「医官殿、わが聯隊は、どちらへ行きましたか」

 と、呂律の回らぬ体で尋ねられたが、こちらも四六時中見張っているわけでなし、

「知らない」

 そう答えざるを得なかった。どうしてそんなに泥酔しているのかと訊いてみたところ、

「倉庫へ行けば、そこにある物は何でも呉れます。ウオッカでもコニャックでも砂糖でも、襦袢、袴下、靴下、なんでも呉れます」

 どうせ燃やしてしまうのだからと、気前よく配っているらしい。


 東シベリア第19聯隊および第20聯隊の行李車が将校に引率されて通りかかったので、その将校に戦況を尋ねると、

「われわれの旅団、すなわち2個聯隊が殿軍で、その他には誰もいない。俺たちの後ろから来るのは日本軍だ。なぜ、貴官らは現位置に留まっているのか」

 とのことだった。

「出発しようにも、わが病院は移動の命令を受けていないのです」

 そのように状況を説明すると、

「貴官に忠告する。独断で退却すべきだ。それは、わが旅団のためでもある。病院の撤退を掩護するために余計な戦闘を強いられるからだ。俺たちは遼陽で似たようなことになったのでな」

 とのことだった。むざむざ奉天を明け渡して撤退するということを、私は納得しかねていたのだが、

「出発するなら今しかない。わがロシア軍は地域を譲って戦力を温存することを選択したのだ。そのやり方でナポレオンにも勝利した。奉天を失っても負けると決まったわけではない」

 と、将校は医長に決断を迫った。


 日は暮れて晩景となった。西天は塵烟を赤く染め上げ、新月の薄い鎌が輝きはじめ、夕星が瞬いた。医長は、協議のため殿軍を務める旅団の司令部へ駈けて行った。旅団長の計らいで伝令兵を伴って医長が戻った。

「われわれの出発を見届けてから、彼らは撤退するそうだ」

 とのことで、すぐにも出発することとなった。医長と主計官は、なにやら企んでいるのか小声で頻りに何事かを相談していた。

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