090 渾河
私が五家子停車場から病院へ戻ったのは深夜だった。すっかり聞き流しているが、その間も砲声は絶え間なく響いている。地上で破裂した榴弾の火光は稲妻の如く地平近くの夜闇を切り裂いた。
屋外で梱包した資材を輜重車に積み込んでいると、肩に銃を担いだコサックが大慌てで駆け込んできた。
「病院は閉鎖したぞ」
と、私が声を掛けると、彼は治療を望むのではなく、日本軍の間諜を探しているのだと言った。その間諜はロシア軍の軍医の如くに変装していたが、東洋人らしい平たい顔をしていたのと、ロシア語が流暢で無いことから、間諜に違いないというのだった。
わがロシア国民でも東部シベリアの諸民族は紛れもない東洋人であり、彼らの母語はロシア語ではない。そのなかに軍医がいたとしても不思議ではないのだが疑心暗鬼というものだろうか。そのとき同僚医官のセルジュコフは疲れ果てて立ったまま居眠りをしていたが、コサックは俯いたセルジュコフを指して
「此奴かもしれぬ」
と言った。セルジュコフは半ば覚醒していたようだ。
「日本人なら、こういう場合に立ち眠りなどせず、勤勉に働くよ」
いかにも西洋人らしい顔をあげて、流暢なロシア語で言った。
一夜が明け、奉天衛戍病院の医官が、患者の輸送を終えているなら輜重車を貸して欲しいと申し入れてきた。停車場まで一往復させたら返すとのことだったが我々は輜重車の返却を待っていられそうにない。それにしても、
「まだ移転を支度していなかったのですか」
と、私は訊いた。固定的に運営される衛戍病院は、遊動野戦病院よりも先に移転命令が出されていなければならぬはずだ。
「いや、移転命令は来ていたが、難しい手術をしていたものでね」
頭部を負傷した兵卒は、蝶形骨の折片が内部に入り、鋭尖部が脳に刺さっていた。彼は暴れて四辺を叩いて回り、信じがたい力をもって自分が横たわる寝台を破壊した。衛戍病院の医官は、屈強の病院付兵卒たちに命じて取り押さえさせ、無理矢理に麻酔を掛けて手術したのだそうだ。開頭手術の結果、蝶形骨の断片を抜き取ることに成功し、すっかり患者は温和しくなったので
「たぶん助かるだろうね」
と、非常に満足そうな顔を見せた。この話を傍で聞いていた医長は呆れ顔で
「そのせいで貴官は逃げ遅れているのだぞ」
嘆息しつつ、そう言った。そして「莫迦には敵わんな」と、2輛の輜重車を彼に譲った。あの、けちんぼダヴィドフがだ。ここで貸しを作って、後日、高い利息をつけて回収するつもりなのだろうか。
1905年2月19日、あらためて軍団司令部の命令が届き、もはや一人の傷者も収容せず直ちに移転を開始せよとの念押しだった。既に厨房の資材を梱包したゆえ病院勤務者の誰も彼もが給養を受けず空腹を抱えていた。そのなかで夜を徹して梱包作業は進められていた。午前2時頃、軍団司令部は「直ちに出発せよ」と急かしてきたが、医長は夜が明けてから出発する方針を示した。夜間に動いて味方撃ちされるのは御免蒙りたいとのことだった。
明ければ風穏やかで静かな好天気の朝だ。われらは路上に埃を立てつつ北へ向けて進んだ。軍団命令で指示された待機場所は渾河堡だ。奉天市街を東西に横切る渾河の南岸に位置する。この地には砲兵の弾薬車や各種の輜重車が街路に充満していた。ここで開設されている病院に、知った顔の医官がいた。その医官から茶を飲みに来いと誘われて行ってみると、ツァーリから戦勝を記念して祝電が届いたという話を聞いた。いったい何処でロシア軍が勝ったというのだろう。現に全軍が敗走しつつあるというのに。




