089 背進
病室で看護師ならびに看護卒はよく働いている。もう三昼夜、われら医官と同様に一睡もせず、かつまた飲まず食わずだった。続々と運ばれる傷者を横たわらせ、食事を与え、茶を飲ませた。煮沸した水を冷ます余裕がないのと、煮沸水と生水とを区別し難いので、飲用は茶のみとした。
主計官も驚くほどの働きを見せている。食事に缶詰だけでなく、野菜や果物が出るのは彼の努力の賜だ。混乱の渦中にある奉天市街まで仕入れに行っているからこそ生鮮食材が手に入るのだ。あの懶惰の主計官が命を張って活動するとは、実に意外なことだ。
命を張っているということでは、われら医官も同様だ。患者を後送列車に引き継ぐため停車場まで付き添うときは、絶え間ない砲声を聞きながら進退する。それに、わが病院とて例の11インチの射程内であり、けして安全ということはなく、巨弾が降ってきたときは、誰も彼もが粉微塵になって吹き飛ぶだろう。そんな一寸先が読めない状況なればこそ、食料も薪も惜しまず使った。暖炉の火は暖かく、灯火は煌々と照らし、病院は平素よりも快適だった。そして、倉庫に残っていた新品の病衣を全部出して傷者も病者も着替えさせた。患者たちが満足そうな笑みを湛えて夜具に包まった頃、軍団司令部からの電報が届いた。
全傷者を即時に後送し、衛生資材その他の官品を携えて北方へ移動せよ。
サア、大騒ぎだ。眠りに就いた傷者たちを揺り起こし、着替えたばかりの清潔な病衣を剥ぎ取って、元の襤褸軍服を着せた。塹壕から逃れ出た一夜、安心なる一夜、この一夜を無事に過ごしていれば、どれだけ傷者たちを元気づけたことだろうか。それは如何なる医薬よりも効果の高い治療となったろうに。
この土壇場で医長が魔術を用いたらしく、帳簿には8輛しかないはずの輜重車が、驚いたことに12輛も並んでいた。いまは、病院だけでなく後方機関すべてが奉天から北方へ脱出すべく車輌を必要としているはずだ。当然ながら余所から借りてくることは出来ず、どうやって調達したものだろうか。
医長は将校用病室に入ると、後送は将校を後回しにすると宣言した。いわゆる尊貴の責務というものだ。
「安心せい、二度の往復で全員を停車場へ送るだけの車輌がある。いまは静粛に眠れ。将校は明早朝に支度すれば沢山じゃ」
と、言い聞かせた。下士官と兵卒のうち軽傷者たちは、すぐに奉天停車場へ移送を始めた。だが、いつ後送列車が出るかはわからぬ。
将校たちの出発を待つ間に、梱包を終えた資材を続々と輜重車に載せた。病室に残った重傷者を診てみると、腹部に負傷した者や関節を砕かれた者は移送に堪えられないやもしれぬ。軽傷者を送った車輌が戻ってきても、翌朝まで留め置く方が良いのではないかと思われた。無論、逃げ遅れて捕虜となる場合も考えた。しかし、軍団命令に背くことは出来ぬとて、医長は移送を厳命した。
重傷者と将校の移送には、私が同行した。重傷者たちを毛布は言うに及ばず、窓掛け、敷布、ありとあらゆる布製品で包み、どうにか寒さを凌いでいたが、車輌が動揺する度に呻く声がする。ある者は寒さが辛いゆえ速く行けと言い、ある者は揺れると傷が痛むゆえ徐行せよと言った。
結局のところ、奉天停車場よりも近くにある、撫順への分岐点である五家子停車場まで患者を連れて行った。ここには後送列車を待つ患者たちが、各病院から集まってきており、各地の戦況を知ることが出来た。戦闘線西方では日本軍が大きく前進しつつあり、奉天から続く鉄道線路を圧迫する勢いなのを、クロパトキン総予備が食い止めているということだ。東方でも日本軍が少しずつ前進しつつあるらしい。わが病院の位置した中央では、いまや日本軍が突破口を開きかけている。
なるほど、道理で砲声が東方からも西方からも聞こえるはずだ。そして南方からは11インチの砲声がする。これでは奉天を放棄してでも全軍を北方へ避退させるのは已むないことだと思えたのだった。ともあれ、病院に戻って次は資材を運ばねばならぬ。




