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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
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008 待避

 車内の兵卒たちは飽きもせずウォッカを飲み続けている。つぎに停車するとき酒を補充するつもりでいるらしく、持ち込んだ酒瓶を次々と空っぽにしていった。つぎの停車は、いつ何処なのかを問うと、輸送指揮官は首を捻る。彼は時刻表を携えているが、まったく当てにならないのだそうだ。


 機関車は給炭と給水のほか、燃え殻を棄てる必要もある。要人を乗せた特別急行列車の場合は、給炭と給水を済ませた別の機関車を待機させておき、機関車を付け替えてしまうのだそうだ。われわれが乗る列車は、そのような贅沢な扱われ方ではなく、機関車が燃え殻を棄て、各部を点検し、給炭と給水を済ませたうえ、再び火をくべて蒸気圧を充分にあげるまで何時間も停車場に留め置かれる。その間に特別急行列車が追い越してくれれば良いのだが、ときとして、追い抜く列車のために待避を強いられることもあるとのことで、実のところ時刻表など有って無きに等しいものらしい。


 名も知らぬ小さな信号所で、後続の特別急行列車を先に行かせるため数時間の待避となったが、沿線の人々からの歓呼の声は疎らであり、それに応える兵卒たちの「ウラー」を叫ぶ声も調子が揃わず、いずれの側も熱心でない様子だった。沿線の住民からすれば、もはや軍用列車を見飽きていたのだろう。


 車内の兵卒たちも飲むこと以外の娯楽に飽きてきたらしい。発車した当初は兵卒たちも元気に騒ごうとして飲んでいたはずだが、いまは退屈さを紛らわすためだけに黙々と飲んでいるようだ。


 この列車に乗る兵卒たちの間では一寸(ちょっと)した有名人であるスーチコフ上等兵の本業は靴屋を営んでいたそうだが、彼は停車するたび必ず踊りを披露した。縮れ毛で痩せぎすの彼の周りを見物人が取り巻くと、上衣を脱いでシャツ一枚になって、咥えたハモニカを吹き鳴らしつつ、ときおり手を叩いて激しく踊った。その踊りも、日々を過ごすにつれ次第に飽き飽きとしたようにヘナヘナと動きが萎えてきているようだった。


 偶に、停車中の待機時間を愉しむため大勢で踊り狂うこともあった。屈強な男たちが蹲ったかと思えば、バネ仕掛けのように跳び上がったりして、荒れ狂った。そして、大きな歓声が起こり、耳をつんざく口笛が響き渡った。


 ある日、予定に無かった臨時停車があった。輸送指揮官が顔を青くして車内を駆け回り、総員下車のうえ整列すべきことを伝えた。われらが軍団長閣下を乗せた特別急行列車に、われわれの列車を追い抜かせるべく待避するのだが、通過する閣下を整列して見送るよう要求されたのだそうだ。兵卒たちのうち泥酔して整列できない者は最後尾の客車に詰め込んで、鍵を掛けて閉じ込めた。


 ところが、軍団長閣下と参謀長は休憩のため下車するという。軍団長が客車から降りて整列した部隊の前を通りかかると、なぜか見落とされていたスーチコフが、通りかかった女を乱暴に引き寄せ

「俺と踊れば温かい腸詰めをやるぞ。欲しくはないか」

 と、強引に言い募っていた。この(ざま)を見た輸送指揮官は憲兵を呼び、

「連れていけ」

 それだけを小声で命じた。たちまち引きずられていくスーチコフを、まるで見なかったかのように軍団長と参謀長は客車に戻った。


 そのあと軍団長に呼びつけられた輸送指揮官は、譴責を蒙ったということだ。特別急行列車の発車間際、車窓越しに

「あの兵卒たちに、聖書を読み聞かせてやれ」

 と、軍団長は輸送指揮官に命じたが

「きっと彼奴らは、酒を飲みながら聞くことでしょう」

 輸送指揮官は、そう答えた。参謀長は鞭を手に取り、車窓から腕を振りかざしてホームの床にビシッと打ち付け、

「不心得者には、これが効く。驚くほど効果が高いぞ」

 と、言い放った。軍隊における体罰を禁じる旨の勅令が発せられて、そのときはまだ半月も経たぬうちのことだった。

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