087 清拭
診察室で待機中、たいへん珍しき傷者が担ぎ込まれた。矮小なる体躯の東洋人にして西洋式の軍服に身を包んだ日本兵だ。なにかの衝撃で失神していたらしいが、なんら処置するまでもなく息を吹き返してきた。医官、看護師、特志婦人は申すに及ばず、主計官等の事務方も、患者もまた歩ける者すべて、この珍客を観察しようと群れ集まった。
「これが日本人か」
「間近で見ると、小さいのぉ」
「東洋人らしい、のっぺり平たい顔じゃ」
などと、全員の眼が床に横たわる日本兵に注がれた。
息を吹き返した日本兵は、看護卒の肩に支えられながら立ち上がった。彼は眉根に皺を寄せたので、身体の何処かに受傷しているらしい。彼は立ち上がるとすぐに直立不動の姿勢をとり、帽子の庇に手を宛てた。日本軍に於ける挙手の礼なのだろう。私の肩章を見て将校待遇であるのを悟ったらしい。
わがロシア軍に於ける挙手の礼は、掌を相手に見せぬよう、やや内に向ける。日本兵の挙手の礼は手頸の向きが異なって掌が少し見えたので、戦争ごっこの幼児が軍人の真似をしているかのように見えた。彼の蒼褪めた顔には埃がつき、唇は裂けて固まりかけた血が粘っていた。しかし、眼は元気そうに動き、かつ輝きがあった。
私は日本兵に向かって
「脱衣せよ」
と、言いつつ手真似で示した。幸いにも、日本兵はその意味を理解した。彼は脱衣を始め、毛皮の襟が着いた防寒外套を脱ぐと、その下に袖なしの半毛皮衣を着ていた。取り囲んだ大勢のなかの誰かが言った
「この日本人は、寒がりなのだろうな」
それを聞いた皆がドッと笑った。半毛皮衣を脱ぐと黒羅紗の軍服が出てきた。その肩に所属聯隊を示す番号が付されているはずだが、肩章は外されていた。黒い軍服の下に胴衣、その下にもう一枚の胴衣を重ねており
「此奴、よほどの寒がりだ」
と、声が上がった。また周囲に高笑いが響いた。彼らの日本兵に注がれる視線から、すっかり敵意が消えていた。
日本兵は胴衣を脱ぎ、ついで襦袢を脱いで半裸となったが、薦骨部の受傷部は重ね着していたために、飛んできた砲弾の破片が深く刺さらなかったのだろう、その浅傷は既に出血が止まって傷口が塞がりはじめていた。日本兵は何か言いつつ手を揉んで、短く刈った頭を掻く仕草をした。
「洗わせて欲しいのだろうな」
傍らにいた看護卒がそう言うので、私は湯を入れた盥を持ってこさせると、日本兵は、さも嬉しそうな顔をした。
湯は頭を洗うための量に過ぎなかったが、日本兵は雑巾を借り受けて湿らせると、頭、首、腹の順に洗い、然るのち袴下を脱いで股間と脚も洗った。この湯の使い方の見事さには、観察していた一同が感心していた。
日本兵は感謝の意を満面の笑みで表し、愉快そうに声を挙げて笑った。湯を運んできた看護卒も周囲の人々を見回して笑い、人々もまた一様に笑った。新たに運ばれてきた湯で日本兵はブルブルと音をさせながら顔を洗い、ずいぶんと若返ったように見えた。診察室の一隅で、私が先刻繃帯をしたばかりの傷者が寝ていたが、彼は日本兵の心地よさげな顔を見るや太息して考えつつ頭を掻き、そして意を決して
「自分も洗いたくあります」
と、申し出て起き上がった。清潔にして悪い事は何も無いゆえ、私は即座に許して湯を運ばせた。




