007 発車
私の属する梯隊は、鉄道輸送の準備を終えた。
わが梯隊に割り当てられた列車はホームから遠く離れた留置線にあり、仮設の乗降場には見送りの兵卒や農夫、職工、婦人らが詰めかけている。
かつて酒を扱っていた駅の売店は閉鎖されていたが、その措置によって兵卒たちの泥酔を予防することは出来なかった。兵卒たちは駅に向かうまでに、まず腹の中に酒を詰め込み、手荷物に入る限りの酒瓶を詰め込み、さらに持てる限りの酒瓶を詰めた買物袋を両手に提げていた。
車内にいる、ほぼすべての兵卒が、へべれけに酩酊して大声で談笑している。また、手風琴で何曲かを披露する者や、滑稽話で周囲を笑わせている者もあり、雑多な音が入り交じって聞こえてくる。
私の列車の輸送指揮官は、真新しい軍服を着た少尉だった。輸送指揮官などというと大層なものに思えるが、一般社会でいう「車掌」のような存在らしい。おそらく娑婆では鉄道員だったのだろう、ずいぶん鉄道に詳しい。
輸送指揮官は、列車の傍を早足に歩き回って各所を点検し終えると、一声高く
「乗車!」
と、叫んだ。
見送り人たちは、客車の窓に取りすがりつつ車内の兵卒たちに別れを告げた。婦人たちは吹き荒れる雪嵐のような高い声をあげて泣いた。それらの音は、機関車が断続的に吹き出す蒸気の轟音で、次第に掻き消されていく。
「おんなども、汽車から離れろ!」
車内から窓の外へ向けて、輸送指揮官の声が響いた。
「少尉殿、あなたが命令できる相手は、わしら兵卒だけです」
褐色の口髭を蓄えた年かさの兵卒が、いかにも軽蔑したような口調で傲然と言い放った。輸送指揮官は怒りの形相で顔を赤くしていたが
「窓をしめろ!」
と、自分が命令できる相手である兵卒たちに命じた。
先頭の機関車は長々しく汽笛を鳴らしつつ、動輪を軋ませて加速した。そして車内でも、車外でも
「ウラー」
と叫ぶ声が重なり合った。鉄輪がレールの継ぎ目を越えるたびゴトゴトと大きな音が起こったが、数千の群衆が負けじとばかりに声を揃えた。
留置線わきの車両工場では、青い作業着の鉄道工夫たちが総出で手を振って、
「達者で帰ってこいよぉ」
という声が、どうにか聞き取れた。
次第に速度を増した列車からの声は、もはや届かないだろうが、車内の兵卒たちは一斉に「ウラー」を叫んで、見知らぬ工夫たちの声援に応えた。
輸送指揮官は、私の座席がある後方勤務の要員に割り当てられた客車に入ってくるなり、声を潜めながら「注意すべきことがあります」と言った。
「つい先刻、発車間際の停車場で伝えられた情報ですが……」
なんでも先行の列車で「聯隊長が兵卒に撃たれた」というのだ。泥酔した兵卒が、汽車のなかから小銃で牧場の家畜を撃とうとしたのが発端らしい。
「それを制止しようとした聯隊長が、兵卒に撃たれたのです」
救命措置のため予定に無かった臨時停車を余儀なくされ、そのために時刻表の変更が必要となり、後続列車の輸送指揮官に電報を打って事故の概要が伝えられたということらしかった。
「ヤツらには注意せねばなりませぬ」
驚異の目を瞠らしたまま、輸送指揮官は独り言のように呟いた。車内の兵卒たちは、いまもウォッカを浴びるように飲んでいる最中だ。彼らは持てるかぎりの酒瓶を車内に持ち込んでいる。たしかに注意は必要なのだ。