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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
72/122

071 示指

 旅順を陥落させたノギ軍が北上しつつある。わがロシア軍の気勢は日増しに沈降し、将校も兵卒も和平を望んだ。しかし、将校の一部には戦争の継続を願う声もあった。

「いま講和したら、母国の人々に会わす顔がない」

 というのだ。なるほど、数度の会戦で後退を重ね、一度として日本軍に痛撃を加えずして講和となるなら軍人として不面目の至りだ。だが、軍人の名誉のために戦争の継続を願う将校は少数派に過ぎない。


 われわれ多数派が平和を渇望したところで、和戦いずれかを決めるのは千里の彼方にいるツァーリだ。軍隊の元気を振作するために、むしろツァーリの名は邪魔になっている。この戦争はツァーリが始めたのだと将兵の大半が思っているようで、そもそも日本人と戦うことの意義を最初から感じていなかったのだ。そうした思いが、いままた兵卒たちを良からぬ方向へ導いている。


 このところ、陣地から運ばれてくる傷者が増えている。その大多数が右手の負傷であり、なかでも示指を負傷している者が大多数に及んだ。はじめは荷役等の作業中の事故によることかと思っていたが、同様の負傷が余りにも多かった。傷者に付き添ってきた看護卒が

「傷兵5名、連れてきました」

 と、申告した。はたして全員が右手の負傷だ。右手の負傷により銃を扱えなくなれば、兵役は免除される。ことに引き金に触れる示指が傷つけば、免役される蓋然性は一段と高まる。これらの大半は自傷行為によることだろう。

「全員が右手かよ」

 私は思わず苦笑した。


 戦闘間の傷者にしても、右手示指の負傷は珍しい。示指は射撃する場合も、あるいは着剣して格闘する場合も、たいがい用心鉄で防護されるからだ。手首から先の負傷は、むしろ作業中の事故によることが多い。たとえば、倉庫で不意に荷崩れが起きたとき、咄嗟に手で頭を守るというような場面での受傷だ。そのような場合には、右手示指の負傷も不自然では無い。とはいえ、右手の負傷が多すぎることは極めて不自然と言わねばなるまい。


 軍団司令部によれば、沙河会戦の終結後に約1200名が右手の負傷で入院したという。他の軍団でも同様の現象があるらしく、野戦衛生長官は各病院に対し「傷者を詳細に吟味すべし」と訓令を発した。これは自企傷者を軍法に於いて処罰するとの含みがあっての訓令だ。自殺を企図しての自傷行為と異なり、生存のための自傷であれば「銃殺に処す」ということで脅しが効く。そう察した私は、酷く暗鬱な気分に包まれた。


 この戦争は、神の導きによるものではない。また、ツァーリを神に等しい存在とは思えない。こう考えていくと、将兵の武功心を奮い立たせる要素は、毫も見出し得なかった。聞けば、日本人が崇敬する数多の神々のうちの一つとして、自国の皇帝をも神と見做しているという。私には理解し難い感覚ながら、彼らの皇帝は一種の生き神だということになろう。この戦争で日本兵が真面目に戦っていることと、日本の皇帝が数多の神々に等しい存在とされていることとは無関係ではないだろう。そう、彼ら日本人が崇めるのは数多の神々であって、唯一絶対の神ではないにせよ、彼らの皇帝は人でありながら神々のうちの一柱なのだ。

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