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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
65/122

064 難路

 わが病院に移転の命令が下された。指定された地点の近傍には、スルタノフの病院が開設されており、如何なる事由から移転させられるのか判らなかったが、命令とあらば致し方なしだ。われわれは、またしても全患者を後送列車に引き継ぎ、行李を梱包して移転した。


 これは後に知ったことだが、わが病院が移転させられたのには事情があった。


 近頃、あちこちで評判の悪いスルタノフが、沙河会戦に於ける功労に対し第三等聖スタニスラフ勲章を授与された。この勲章は中尉もしくは二等大尉に授与される場合が多く、格別に高い価値を持つとは思えない。軍団長はスルタノフの病院が功績を挙げるように仕向け、彼に価値の高い勲章を受けられる機会を作ろうとした。その方策として彼に設備を整えた病院を開設させたのだった。


 スルタノフの病院は未だ戦火を免れている地域の富裕な村落に開設され、屋根と壁が無傷で残る幾つかの家屋を占拠して、暖房の備わった病室を設置させた。まるで箱庭に置く玩具のような病院が出来上がったのだが、それのみでは彼の病院の優秀さを示すには不充分だということで、わが病院をスルタノフの病院の近傍へ移転させたのだ。あとから村落に入るわが病院は、湫陋なる空き家ひとつを衛生資材の倉庫とし、またしても竪穴の土窟に病室を造る羽目になった。スルタノフ病院との対照は滑稽なほどだ。


 斯くして舞台が整ったところで、軍団長は最高司令官クロパトキンに野戦病院の視察を願い出た。スルタノフの病院では最高司令官迎接のため正面口を掃き清め、門柱を松の小枝で飾り立て、着飾ったスルタノフの姪なる首席看護師を玄関前に立たせたのだった。


 最高司令官は馬車で訪れた。しかし、人々が待ち受ける正面ではなく裏口から車を降り、慌てて応対に出てきた医長ワシルエフの申告を聞き終えぬうちに

「貴官は、この病院に通ずる道路事情を何と考えておるか」

 と、怒気を含んで言った。途中に急傾斜の坂路があり、馬車の通行に不便だということを指摘してのことだった。

「重傷者を載せた馬車に、あのような坂路を通行させるのか」

 その勢いのまま、裏口から最高司令官は病室に入った。門柱の飾りや玄関の美女に一瞥も呉れずにだ。


 最高司令官は病室に入るや、洗濯盥の蓋を取って中を検分した。その中には乱雑に物が詰め込まれており、整頓を装うため目についた物を放り込んだ様子が見てとれた。そして暖炉に目を転じ、火をくべるよう命じた。焚き付けの紙を燃やし始めると、煙は煙突に行かず燻って室内に漂った。スルタノフに勲章を授与すべきか否かの判断は、この時点で定まったようだ。


「この病院は幾人の患者を収容し得るか」

 それには仏頂面の医長ワシルエフではなく、和やかなスルタノフが回答した。

「閣下、120床です」

 その回答に、最高司令官は眉を顰めた。

「規定にある遊動野戦病院の定数は200床ではなかったか」

 スルタノフは、すっかり無表情になって回答した。

「仰せのとおりです」

 しばしの沈黙の後、最高司令官は

「これだけの家屋を占拠するなら600床まで増やしなさい。そして、洗濯盥は本来の用途のために清潔を保ち、暖炉の煙突を掃除しなさい」

 と、命じるや、最高司令官は視察を打ち切って帰途に就いた。


 最高司令官を見送ったスルタノフは案外と平然としており、

「いったい、最高司令官は食後の運動をしに来たのだろうか」

 と、感想を漏らした。


 二日後、最高司令官は幕僚の大佐に医官を付き添わせ、スルタノフの病院へ差遣した。スルタノフは師団司令部を通じて洗濯盥の洗浄と、煙突掃除の実施を報告していたので、その検分のためだった。しかし、実際には盥も煙突も処置されておらず、そのことを両名は最高司令官に復命した。

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