060 返答
主計官の部下なる書記は、医長に対する不満を蕩々と私に語ったけれども、私は不正を憎む正義漢などではない。
「小官は、医長の不正行為の一切を知っております」
と、書記は息巻いた。純粋に不正を憎むということなら、きょう来た会計監査委員に密告すべきだ。
「なぜ、それを私に言う」
私は思ったとおりのことを口に出した。
私の態度は、書記にとっては意外なものだったようだ。この堅物であれば必ずや正義漢を気取って、医長の不正を告発することに協力するに違いない……とでも思っていたらしく、しばし不思議そうな顔で私の顔を覗き込んでいたが、
「まあ、御記憶と思いますが、先日来た、歩兵聯隊の会計科長を」
と、私に対する攻め口を替えてきた。
書記が言うには、あの会計科長は帳簿の改竄など不正な手段を採る場合、部下たちに相応の特別手当を与えているという。私の口から「知ったことかよ」という言葉が出掛かったところに、傍を通りかかった主計官助手が
「おい、もう、止めろ」
と、割り込んできた。
助手の語るところによれば、書記は給与の前借りを医長に願い出たものの断られ、そのかわり医長の私金から50ルーブルを借用し、その返済期限が迫っているのだという。おそらく、その借金を有耶無耶にせんために、医長の弾劾などという大それたことを企んだのだろう。助手は、書記に対して
「前の調剤官が、どうなったかを思い出せ」
と、声を顰めつつ言った。
書記は俯いたまま、しどろもどろに言葉を発しはじめた。
「小官が思うに、医長は……その内心で自分を愧じておられるでしょう。きっと小官を含めた部下たちの献身的協力に対し、その配当を、どのように払うべきであるか、小官の側から示してみようと思うのですが」
などと言ったが、要するに「俺にも甘い汁を吸わせろ」ということだろう。
現在この書記が切羽詰まっている原因は50ルーブルの借金だ。この戦地では金銭を浪費しようにも、高級品を売る店はなく、女遊びをする場所もなく、贅沢な食事も出来ない。いったい何に金銭を注ぎ込んだのか考えると、博奕くらいしか思い浮かばなかった。どうやら図星であったらしく
「これというのも手慰みのせいで、おまえは馬鹿じゃ」
と、助手は吐き捨てるように言った。
その一時間ほどあと、私は医長から呼び出しを受けた。その場には、別の医官や看護師や主計官もいて、いま手空きの者が全員で集まる公然の合議だった。
「これを、どう思うね」
と、私に差し出した手紙は、書記から医長に宛てて書かれたものだった。
名誉高き医長殿、貴下が主計官以下属僚の補助を得て少なからざる利益を手に入れておられることは、他の誰よりも貴下が知悉するところでありますゆえ、もし貴下にして利益の一部を、われわれ協力者一同へ分与せられなば、感謝措く能わざるところであります。さもなくば、小官は医長殿の行為を病院に属する者すべてに打ち明けることでしょう。
医長の不正行為は、わが病院の誰もが知っている。医長も、いまさら隠そうとは思っていない、ということが、いま行動で示された。
「お好きなように」
と、私は答えた。医長の不正など病院の一同は先刻御承知というものであり、暴いてなにがどうなるというのか?
「ふむ、みな同意見じゃな」
そういうと、医長は手紙を引き裂いて床に撒き、而して書記を呼びつけた。いそいそとやってきた書記は、まず上司である主計官をはじめ、医官や看護師までがその場にいることに驚いた様子だったが、床に散らばっているのが自分が書いた手紙だと気づくと、床に膝をついて拾い集めた。
「例の歩兵聯隊でな、野戦酒保を開設するそうだ。塹壕のなかで商売させるのに会計に明るい者が欲しいというので、おまえを推薦することにした」
野戦酒保とは第一線の兵卒たちに日用品類を販売する仕組みのことで、塹壕で日々を過ごす兵卒たちから注文をとり、後方の町まで行って品物を仕入れ、その品々を担いで塹壕に届ける仕事だ。
「つぎは兵卒たちから尊重される立場になるのじゃ。栄転だのぉ」
恩着せがましく医長は言うが、店舗は開設されず、部下もおらず、頻繁に戦闘線まで出向かなければならず、なかなかの激務だ。
「そうそう、あの50ルーブルについては、返済に及ばぬぞ」
と、医長は柔やかな笑みを湛えつつ告げた。




