005 選別
私が属する軍団は、平時に於いては旅団規模に過ぎない。動員令が下ると組織の規模を数倍に膨らませて臨戦態勢を整えるのだ。通例では旅団が二つで師団、師団が二つで軍団を構成するのだから、単純に考えて平時の4倍に膨れ上がる。
わが軍団に補充される人員の大多数は兵営を離れて久しい予備役兵だ。彼らは父として子を育てながら一家を養う立場であり、絶えず家族に対する心配がある。また、社会人として仕事に対する責任もある。兵士としては若い現役兵に比べて体力で劣り、また、小銃の扱い方も改めて教わらないと覚束ないうえ、双肩に背負う家庭や職責がない若者に比べれば、どうしても慎重で臆病になるだろう。
私が見たかぎり、このような老頭児は戦場に送られる部隊に配属され、比較的若い予備役兵は本国で温存される部隊に補充される傾向があった。そして、私だけでなく社会全般に、そのような認識があった。
陸軍大臣だったクロパトキンの後任であるヴィクトル・ヴィクトロヴィッチ・サハロフは、前任者のクロパトキンとは犬猿の仲であるとされる。そのクロパトキンが勅令によって現地軍司令官となったので、極東へ精兵を送ることを渋っているのだという風説が流れている。そして、多数の人々から「そうかもしれない」と思われていたので、サハロフ自身が記者会見の場で「事実無根のことである」と釈明せねばならぬのだった。
長い待機で暇を持て余していた私は、病兵検査場を覗いてみた。中年を過ぎた予備役兵までが召集されたので、様々な疾患を抱えた者が多い。肺結核など伝染性疾患を兵営内に持ち込ませるわけにはいかないので、病兵検査は重要な意味を持つ。
検査委員長の騎兵大佐は、検査で応召者が「兵役に堪えない」と認定されるごとに、額に深い皺を刻んでいた。私は逆に、持病を抱えていることが明らかな者までを「兵役に堪える」と認定していることに驚かされた。たとえば、検査する医官の一人が下肢静脈瘤と診断した兵卒を「兵役免除」と認定したところ、高級医官が認定を覆してしまったのだった。
「ズボンを脱げ」
と、高級医官は、その兵卒に命じた。そして、脚を診て、
「なんだ、この程度か! 馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
そう言って、兵役免除を取り消した。
私の見立てでは、あの病状だと普通に歩くのでも少しの痛みを感じているはずだし、軍隊の行進に歩調をあわせるのは難儀だろうと思われた。しかし、高級医官は
「こんなのは詐病の類いだからな」
と、決めつけた。
こうしたやり方が、病兵にとって惨酷なのは論を俟たない。そればかりか、軍にとっても不利益をもたらすことだと私は思った。
数千里を隔てた戦地に着いた頃には、これら病兵の大半は入院を要するほどの重症者になっているだろう。平素は受けている持病の治療を受けられなくなるのだから当然のことだ。そんな病兵を送りつけられたところで、現地で戦力になるはずがない。野戦病院や師団病院の病床を塞ぎつつ、無駄飯を食うばかりの厄介者として現地部隊の足手まといとなるだろう。しかも、そんな厄介者は結局のところ本国の衛戍病院に送られるはずなので、けして安くはない輸送費用をかける意味があるのか疑問に思う。いや、意味はある。現地軍司令官クロパトキンに対して「本国から何万もの増援を出した」といった数を合わせるだけの意味ならばあるのだった。
もう一人、足の痛みを訴える兵卒がいたがザッと診たかぎりでは症状が確認できない。この兵卒もまた詐病として扱われるところだったが、念のため専門医が診察したところ平足症が見つかり、この兵卒は兵役免除となった。
数日後、私は射撃演習の帰途に落後した兵卒と道で行き会った。膝が痛いとのことで診てやったところ、まったく膝蓋腱反射が無い。脚に異状があることは明らかであり、このとき書いた私の診断書により、この兵卒は免役となった。