表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
敗戦1905  作者: 大豪寺凱
59/122

058 堆土

 二つの砲兵隊が村に陣取ったとき、住民に2時間の猶予を与えたのみで立ち退かせたという。この立ち退きは、例によって惨酷かつ冷淡な方法が採られ、砲兵は鞭を打ち鳴らしつつ、まだ貴重品の梱包を終えていない住民たちを家屋から追い立てたそうだ。


 その後、わが病院と木材を奪い合った砲兵たちは、清国人の墓地に植えられた樹木をも伐り倒して薪とした。清国人は先祖の霊を祀ることに関して実に手厚く、森林が乏しい地域にあっても、墓地に植えられた樹木は伐られずにいる。清国人の各家庭は、田野の中に売買すべからざる固有の墓地を有し、その墓域にある半球型の堆土は彼らの先祖を埋めた墓なのだ。


 些か不敬な物言いではあるが、その墓は清国人が作る饅頭という食べ物に似ており、土で出来た饅頭の様だ。遙か昔、東洋では権力者が巨大な土饅頭を墓とし、それを現在は古墳と呼ぶ。千年を経た古墳も崩されることなく残っているほどで、清国人にとって堆土の墳墓は天福を祈る聖地でもある。もし、借財のために神聖なる墓域を手放したなら、それは寺院に汚辱を与えたに等しいことであり、その一族から神罰を受けるべき者と見做され、遠ざけられるという。


 ゆえに清国人は、彼らの全精神をこの神聖なる堆土に傾注している。砲兵隊が墓域の樹木を伐採した後、数人の清国人が村に帰ってきた。砲兵隊は再び彼らを追い払ったが、またもや帰ってきて彼らは祖先を埋めた堆土の上で折り重なって死んでしまった。ただ一人、生き残った老人が墓域の周辺を徘徊しているのを砲兵隊の将校が観察したところ、この老人は墓域の隅に黄梁の藁小屋を造って雨露を凌ぎ、溜まった雨水を飲んで数日間を生きていたが、夜霜の降った翌朝、堆土の上で、飢えと寒さで死んでいた。


 清国人が安らかに豊穣を祈る墓域は、すっかり樹木を失ってしまい、寂寥たる沙漠も同然となった。われわれが到着したばかりの頃は、まだしも墓域の周囲に樹木の彩りが横たわっていたのが、もはや切り株を残すばかりだ。見通しが良くなって、村落の廃屋と化した民家が如何にも哀しげに見えた。


 村に帰ってきた人々は死に果ててしまったが、帰ってきた犬たちは現在も駆け回っている。人間の保護を失った犬たちは大きな群れを作り、夜間の通行に際して脅威となっている。至る処で、惨殺されたり凍死した人々の屍骸を喰い、あるいは仲間同士で争って勝者が敗者を食い、生きながらえた犬たちだ。生きた兵卒を襲うことも躊躇せぬだろう。


 この村の燃料不足は、寒さが募るに連れて深刻の度を増した。砲兵たちは墓域の堆土を崩し、分厚い板で造られた棺を掘り起こすと、蓋や側板を割って薪とした。そして、露わになった亡骸を飢えた犬たちが囓った。


 これが文明国を標榜し、神聖なる正教会の導きを受けたロシア人の所業だ。


 遼東半島の平原は、万物を害する瘴気に覆われたかのようだ。この瘴気には、隣人に対して毫も義理を尽くさない不人情をなさしめる毒気が含まれる。真に恐怖すべき禽獣に等しき野蛮さを発揮させるのだが、その毒気に当てられるのはロシア兵だけだ。


 遠くロシア本国にては、主イエスに対し賛美歌を唱え、異教徒たる日本兵と戦う将卒の為に頌歌を唱うるも、この戦場に於けるロシア兵の所業は斯くの如し。私は、かつて医長が発した「しょせん戦争には醜行害悪のほか、何も無いのじゃ」という言葉を思い浮かべた。だが、異教の神像を破壊することが神聖なる正教会の導きなのか、住民の墓を暴くことが文明国の軍隊がすることなのか、私には了解しえないのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ