057 土窟
わが病院は「美山屯村に赴くべし」との命令を受けた。ここより東方で、徒歩で一日行程の距離があるゆえ、この引っ越しは大層骨が折れる。まず医薬品等の衛生資材を梱包し、鍋や釜を竈から抜き去って輜重車に載せた。ここまでの作業だけでも大仕事だ。
兵卒たちが苦心して設備した入院患者用の病室は半地下式の土窟で、無論、持っていくわけにはいかず、棄てて行く。いまや晩秋であって、夜は甚だ寒い。とうてい患者を天幕に置くわけにはいかない。われわれは移転先で、また竪穴を掘って土を積み上げ、廠舎を作らねばなるまい。土窟が塹壕と異なるのは、屋根があることだ。雨が降り込まず、周囲に溝を掘って水の浸入を防ぐので、水は溜まらない。そのように竪穴掘りが完了した頃合いで、新命令が伝達された。
今度は「西城溝村へ赴くべし」とのことだ。ここから北西へ徒歩で半日行程の距離がある。また竪穴を掘らねばならぬ兵卒たちは怒り、不平を漏らした。現地軍の各師団は2個の遊動野戦病院を有している。編制表では各師団に4個ずつだが実際は半分しかない。わが師団は沙河会戦の当初から奉天近郊に留まっており、先日まで概ね同じ位置に居続けたが、戦闘線の方が接近してきたせいで、病院は傷者の搬送に便利な地点へ、戦闘状況に従って彼方此方へ渡り歩くのだ。
わが病院も一箇所に腰を据える期間は短い。再三再四、廃屋を修繕し、土窟を作り、衛生資材を梱包し、またそれを開梱せねばならぬ。わが師団が移動すれば当然のこと、師団は移動せずとも主たる戦場の方が動くゆえ、野戦病院は絶えず移動して歩くこととなるのだ。
われわれが西城溝村に達すると、例によって村落は荒れ果てていた。この村には砲兵の部隊が二つ陣取っていて、わが病院との間に珍奇なる衝突が起きた。その次第は、砲兵隊の兵卒が家屋の屋根を破壊して桁木や垂木を運び去ろうとしていたところへ、われらが医長と主計官が通りかかったことに始まる。
「汝らは何をするのじゃ。最高司令官の命令を知らぬのか」
と、医長が叱責すると砲兵隊の兵卒は逃げてしまい、棄てて行った桁木や垂木は病院の兵卒に運ばせて、土窟の屋根の建材として利用した。今度は砲兵隊の将校が病院の兵卒を怒鳴りつけ、横取りされた桁木や垂木を奪い返そうとする。遼東半島は疎林ばかりで木材が乏しい。一般家庭の燃料に石炭を用いるくらい森林資源が枯渇しているのだ。
寒気は次第に厳しさを増し、降雪は霏々として止まず、戦火に追い立てられた避難民が犇めく奉天にては、荷馬車一台分の薪が70ルーブルであったのが、いまや100ルーブルに騰貴した。農村部では建物といえば半壊した土壁が残るばかりの有様で、ある村落で一部隊が宿営するとなると、宿営のはずが露営になるので、暖を採るために使用せざる廃屋の木材は悉く燃料とされた。一夜明ければ、その日の燃料として残余の木材も持ち去って行く。こうして、わがロシア軍が通過した後、村落には半壊した土壁しか残らぬこととなるのだった。




