055 毛皮
生起した夜戦は日本軍による小規模な威力偵察だったらしく、すぐに止んだ。だが、塹壕で過ごす将兵にとっては、もう一方の敵である寒さとの戦いが続く。夜間は寒暖計が氷点下を示し、足下は水溜まりが凍結して酷く冷たい。いわゆる塹壕足の症状が増えるだろう。
クロパトキン総司令部の発した命令によれば、10月1日までに毛皮の防寒外套が前線にまで行き渡っておらねばならぬはずだった。しかし、期日を過ぎても届く気配すらなかった。前線の兵卒たちは夏用の雨外套の上に、清国人が着ている東洋式のゆったりした上衣を重ね着している者が多く、頗る滑稽に見えた。
双眼鏡で敵陣を監視した将校は、日本軍の兵卒たちが襟に毛皮のついた冬用の外套を着ているのを見て、さも羨ましそうな顔をした。昨晩の夜戦で捕虜とした日本兵は、内側に向けて毛皮を貼った実用的な防寒外套を着ており、捕らえられる前に走り回ったせいで汗を掻いていたという。捕らえたロシア兵は夏用外套で凍えていたというのにだ。日本軍は厳寒期の戦いを不得手とするというが、その優劣は防寒外套の有無で覆るだろう。
物資を満足に供給できないのに、なぜ戦争を始めたのか? いや、しかし、物資を豊富に供給できるとしても、戦争は無い方が良い。
10月も末になって、ようやく毛皮の外套が届いた。主計将校らは頗る自慢顔をしていた。かつて露土戦争(1877-78)に際しては、防寒外套の到着が半年遅れで翌年5月になってからだったのに対し、一ヶ月の遅延で済ませたとは上出来だというのだ。
実のところ防寒外套を満載した貨物列車がハルピンに到着したのは、沙河会戦の前のことだった。ロシア本国から攻勢発起に間に合うように発送していたにも拘わらず、敢えて倉庫に留め置いていたわけだ。主計将校らが何を企んでいたのかは知らぬが、例によって不正に利得を得ようとしていたのだろう。
わが病院は三個の大天幕を張って仮設されていたが、幕舎の中は氷室の如く冷たい空気に包まれ、病者も傷者も凍えた。われわれは付近にあった大破した納屋を仮復旧して病室とし、幾分かは改善された。病者はリウマチ性疾患、気管支炎、そして赤痢が多い。いわゆる塹壕足で両脚が腫れ上がった者はもっと多いはずだが、前線では病者を野戦病院に移すことを甚だしく嫌ったので、重症にならないかぎり捨て置かれている。
きょう送られてきた気管支炎の兵卒によると、塹壕に居る兵卒みなすべて塹壕足の症状を抱えているという。しかし、病状を指揮官に申告すると「戦闘線からさがりたいのだろう」と詐病を疑われてしまう。その点、呼吸器系疾患や赤痢は他覚症状が素人目にも顕著であるため、感染を警戒すべき厄介者として早々に病院送りとなるのだという。
而して、塹壕足は軍袴と靴を脱がない限り症状が判らない。口頭で症状を訴えるだけでは詐病扱いされるのだろう。それゆえ、脚を切断せねばならぬ程の重症になるまで、塹壕に留め置かれてしまうのだ。これを防ぐには塹壕から出してやり、しばし休宿させることが望ましい。靴を脱いで寝台に横たわって眠るということが必要なのだ。
暖かい服を着て、温かい食事をし、熱い湯に浸かる。そんな当たり前の生活を過ごすことが、途方もない贅沢になるのが戦場の現実だ。然るに沙河会戦を戦ったロシア兵は夏用外套を着て凍え、乾麺麭と常温の缶詰で食事をし、冷たい泥水に足を浸けたまま寝られぬ夜を過ごした。これで病気にならないわけがない。




