004 任官
7月上旬に至り、私に電報が届いた。
――即刻、最寄りの陸軍官衙に出頭せよ
もし、出頭しなければ、どのような目に遭うか容易に想像できたことから、私は早々に出頭した。そこで軍医として召集されたことと、期限内に指定された歩兵師団司令部に赴いて応召を申告すべきことを告げられた。将校の待遇が与えられるかわり、軍服は自弁で仕立てなければならないとのことだ。兵卒の召集に比べれば、天と地ほどの違いがあることに驚いた。
それから5日目に私は師団司令部に、仕立て上がりの軍服姿で出頭した。そして係官に姓名を名乗ったところ
「貴殿の名は、名簿に載っていません」
と、思いもよらぬことが告げられた。だが、私の手には召集令状があり、それを示すと係官は不審げに名簿を点検して、こう言った。
「実際、この名簿に貴殿の名は無いのです」
嬉しくなった私は、自然と笑顔になりながら、帰ってよいかと尋ねたが、
「しばし、お待ちなさい。上に問い合わせてみますゆえ」
と、係官は奥へ引っ込んだ。
そのとき、私のほかにも軍医として召集された人たちが同じ部屋に居合わせたが、かつて従軍経験のない者は真新しい軍服を着ているので一見して新参だと見分けがついた。たぶん、私も同じ様に新参だと見透かされているだろう。なかには顔に深い皺を刻んだ新参もいる。着古した軍服を着ている応召者は、予備役の古強者なのだろう。
しばらくして係官が戻ってきた。
「事情がわかりました。ほかの医師を召集する予定でしたが、その人物が病床にあるため、貴殿が補欠として召集されたとのことです」
そのように申し渡した係官は、私の上司となる高級医官が顔を出したので挨拶するように促した。黒く煤けた肩章が目立つ上着を着た痩躯の老人が、どうやら私の上司であるらしい。軍服の草臥れ具合からすると応召者ではなく、ずっと軍隊のメシを食い続けている古参の現役軍医であるらしい。私は老軍医に進み寄って挨拶をし、このあと何処で何をすべきか指示を仰いだ。
「何をって? すべきことは何も無い。ただし、兵営の宿舎は満杯で入れないから近くの宿を自分で確保して、その宿の連絡先を事務の吏員に伝えなさい」
そう聞いて、私は拍子抜けした。期限内に出頭せよと召集令状に示されていたからこそ、あらゆることを中途で投げ出して家を出てきた。ところが、出頭してみれば「すべきことは何も無い」というのだ。それなら、もうしばらく自由の身でいたかったものだ。私の属する軍団はシベリア鉄道で極東へ向かう予定だが、わが軍団の輸送開始は二ヶ月後になるだろうと噂で聞いた。ならば、その二ヶ月を軍隊でいうところの娑婆つまり一般社会で過ごしていたかった。
「ああ、それとな……」
老軍医は、軍医たる者の心得として
「合間の時間は寝貯め、食い貯めしておくように」
と、強く言った。前線の仮繃帯所で待機しているとき、負傷者が担ぎ込まれたならば就寝中でも叩き起こされ、食事中でも引っ張り出されるからだ。いまから、そういうことに慣れておけと。それは案外と難しいことで、仲間が忙しそうに働いているなかで堂々と居眠りしたり、ものを食べたりするのに最初は抵抗があった。しかし、そのうち図太くなって耐えられるようになった。
応召の予備役軍医たちは、もとは大病院の勤務医だったり、小さな個人診療所の開業医だったりで、平素の診療科は様々だった。外科は当然のように軍医として歓迎されるだろうが、産科や小児科はどうだろうか。実のところ、医師免許を持ってさえいれば見境なしに軍医として召集されているのだった。平素は診察ということをしない病理学者や、医師免許を取得したものの官庁の役人となったため一度も処方箋を書いたことがない者までが混ざっていた。
戦時動員された各師団には、病院が二つずつ附属する。それら師団病院には、医長を含めて軍医4人が定数だった。そのうち医長は現役で、他の3人は召集された予備役を充てるのが通例であるらしい。ところが、私の上司となった老軍医は、高級医官としての軍籍を持ちながら、その傍ら市中で大きな診療所を営んでいたのだった。輸送開始までの待機期間は稀に姿を見る程度で、もっぱら町の開業医として忙しく働いていたということだった。