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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
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043 回光

 先日、左腕に貫通銃創を受けた将校が搬送されてきた。彼によると今回の沙河会戦は、わが軍から行動を起こし、厳冬期が訪れる前に攻勢に出て、あわよくば包囲下にある旅順要塞との連絡を回復せんとしたが、その目的を達しないまま膠着状態に陥ったとのことだ。得るところ無き戦いに傷つき倒れた将兵が、いま、診察簿に書ききれぬほど搬送されてきている。


 南方からは散発的に砲声が聞こえてくるが、わが病院では傷者の送迎を不安なく実施できている。わが病院は傷者を後送列車に引き継ぐまでの役目を担っているに過ぎぬゆえ、多忙の一刻を過ごしたあとは、無聊に困じ果てつつ日を過ごした。ときおり小銃の音がしたゆえ、日本軍の斥候が付近まで立ち入って来ているであろう。また、わが病院の近辺で日本軍の榴霰弾が破裂したこともあったが、みな慣れきっていて騒ぎにもならなかった。


 先日、わが病院では正規の看護師の一人が病気に罹り、例の将校の許嫁だという特志婦人が後任となった。医官スルタノフの属する病院では、彼の美しき姪である首席看護師をはじめ看護師3名が腸チフスを病み、これら看護師たちはハルピンに後送された。


 わが病院が開設された村落には他の師団の司令部が在って、戦闘線から弁髪の清国人を鎖で繋いで護送してきては、村はずれの空き地で首を斬った。日本軍の間諜だと決めつけていたが果たして事実かどうか。風聞によれば、清国人はロシア軍の重要施設を潜行巡視して、その位置を日本軍に知らしめようと、屋上、樹上、丘阜の上などから手信号や回光信号を用いていたということだったが、確たる証拠は何も無い。


 この噂を真実だと信じさせたのは、贋の弁髪を着けた日本人が捕らえられたことだった。この日本人は驚いたことに、ロシア軍の師団司令部や野戦病院など重要施設の位置を正確に把握し、それを書き込んだ図面を所持していたのだった。それ以来、わが支配地域を徘徊する清国人を間諜と推断する傾向が強まったのだ。


 隣村で、ある清国人が藁屋根に上がって雨漏りの修繕をしていた。それを見たコサックが問答無用で狙撃し、その清国人は屋根から転げ落ちた。また、わが病院の近傍に臼砲の一箇中隊が居た。砲兵の陣地は、その位置が敵軍に知られた途端、最優先の目標として砲撃を受けるものだが、日本兵は、その臼砲の位置を発見することが出来なかったようだ。こんな近くに敵砲兵が位置しているとは思わなかったからだろう。偶然にも、奉天へ避難した住民が食糧を取りに戻ってきたところを砲兵に捕らえられ、縛られた挙げ句、殺された。


 わが病院には、わがロシア軍のために働いて負傷した清国人が収容されていた。彼は退院する際に「身分証明書を出してください」と懇願した。いつ日本軍の間諜、もしくは馬賊と誤認されるかわからないからだ。もし、ロシア兵に捕らえられたときは「わしはカントラミーされてしまいます」と、必死で訴えた。


 カントラミーもしくはカンタミは斬首を意味する語として通用しているが、これは真正の中国語でも無ければロシア語でも無い。本来の中国語では馘脳子(カンノーブ)というらしいが、清国人は斬首を意味するロシア語だと認識しているらしい。


 そう思い詰めるのも無理はない。何人かの清国人が回光通信器を使っていたためにカントラミーされているからだ。光の明滅による発光信号を送ることは、電信とは異なり通信線の切断で妨害されることがない。ゆえに、わが軍でも回光通信器を用いることがあり、それを清国人が用いていることを不審に思ったのだ。日本軍に情報を伝えているのではないかと。


 聞けば、東洋では古代から烽火台による回光通信が行われていたとのことだ。清国人が丘陵の上から明明と意味ありげな光を輝かせ、そのあと遙か遠くの山の頂から応答の光が上がったとしても、たとえば、それは市場での品物の競り値を他の都市へ伝えるなどの、日常的に用いられている通信だろう。


 わが軍の通信兵二人が民家の屋根に上がって回光通信器を用いていたところ、傍らの樹木の枝を掠めて銃弾が唸った。二人が狼狽しつつ屋根から降りたところへ、コサックが馬で駆けつけた。

「回光通信していた間諜が二人いるはずだ、見なかったか」

 二人の通信兵はコサックを怒鳴りつけた。

「おまえ、俺たちがロシア兵に見えなかったというのか?」


 のちに通信隊の将校が語ったところによると、わが軍の回光通信に協力した清国人が、わがロシア軍の誤認によって惨酷な扱いを受けたのは再三に及ぶということだった。

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