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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
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003 動員

 私は4月に、便利すぎるモスクワから田舎へ移り住んだ。しかし、長閑(のどか)に過ごす時間は僅かなことで、戦争の影響は、すぐ田舎にまで波及してきた。


 すでに噂になっていたとおり、この地方にも動員令が下ったのだ。


 逃亡を防ぐため、動員令は電光の如く町や村の役場に伝わり、すぐさま召集が始まった。町では夜中に巡査が家の戸を叩いて召集令状を示すや有無を言わさず出頭させ、農村では昼間に畑へ出ていた農夫を鋤や鍬を置き去りにさせて連れて行った。


 知りあいが営んでいる鉄工場では、主人の留守中に巡査が来た。彼の机は叩き壊され、鍵を掛けた抽斗に保管してあった従業員の在郷軍人手帳を探しあてるや否や「これでよし」と、出勤していた職工ばかりでなく執事や馭者や料理人までもが連行されたとのことだ。


 私は、この理不尽な動員制度はロシアだけのものと思っていたが、フランスで暮らす知人によると「軍隊手帳を雇い主に預けるのは、欧州各国ともにある制度だよ」というので、やろうと思えば同様のことがどの国でも可能だと知って意外に思った。


 ともあれ、わがロシアの警官は召集令状が出た相手を、仕事の真っ最中であろうと、就寝中であろうと、容赦なく連れ去っていく。店で売り物の会計の釣り銭を渡すだけの僅かな猶予さえ与えなかった。


 知人の鉄工場で働いていた職工は、心臓を病んだ妻がいた。たまたま非番の日に工場へ召集の役人が来たのだが、それとほぼ同時に、自宅で一家団欒の最中に玄関を叩かれ、召集令状を示された途端、妻は発作を起こして帰らぬ人と成り果てた。


 男手ひとつで幼児を育てている鰥夫(やもめ)は、召集令状を示した警官に

「私が出て行ったら、この子は餓死します」

 と、訴えた。なにせ、子を預けに行く猶予さえ与えられないのだから、幼児が一人で活路を見いだすことなど期待できない。それゆえ鰥夫は泣きわめきながら数日の猶予を願ったが容れられず、やおら薪割りの斧を手に取ると、わが子を殺してしまった。

「さあ、これで心置きなく出征できます」

 鰥夫は、その場で逮捕された。


 戦場からは、相も変わらず「日本軍の進撃」を伝えつつ、一方では少尉某あるいは見習士官某による勇戦奮闘ぶりが伝わってきた。そして、新聞各紙は相手国が島国の日本であるから、海から遠く離れた内陸での戦いは不得手のはずだと予想した。かつまた小国ゆえに人的資源が乏しく、また、新興国ゆえに財力も乏しい。その二つの要素で「もとよりロシアは日本を圧倒している」というのだ。そのうえで後退を続けるクロパトキンが最終的に勝利することを確信し、いずれは東京まで乗り込んで「わがロシアが示す条件で講和条約を締結すべし」と力説した。


 その意気や善し。

 しかし、この戦争のため、国民に重圧をかけているのは、わが国こそだ。町や村の端々まで満ちている怨嗟の感情は、声に出すまでもなく伝わってくる。

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