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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
37/122

036 無聊

 毎日、また毎夜、全正面に亘って火砲は狂雷の如く轟き、陸続として負傷者が担送されて行くのを見送った。しかし、われわれに対する野戦病院開設に関して何も命令が来ない。天幕も、器械も、繃帯も、梱包されたまま輜重車に横たわっている。近くの待避線には列車を病室とする他の師団の野戦病院が開設されたけれども、資材の大部分は貨車に積んだままだそうだ。わがロシア軍は沙河会戦に於いて、すでに2万の死傷者を出したと見積もられている。沙河の流れは血で赤く染まっていると聞いたが、そのような状況で、ただ私は手を拱いているのだ。


 いまや両軍は互いに死力を尽くしている段階だ。銃砲撃は絶え間なく、道路は前線へ駆けつける砲兵縦隊と、大勢の負傷者を後方へ運ぶ縦隊とで揉み合いとなり、その脇を伝騎が馬を飛ばしていった。砂塵渦巻く戦場に一人でも多く戦闘に加えねばならぬ状況なのは明らかだ。そして、医官の手当を待つ多くの負傷者がいるはずだ。しかし、われわれは何も為すべきことが無いまま、空しく手を拱いているのだ。


 一刻も早く戦場へ出たいという昂奮と、同時に無闇に危険を冒して犬死にを遂げる愚かさを戒める理性とが、胸中で(せめ)ぎ合って、実に不愉快な感覚に包まれた。そして、理性が昂奮を打ち負かし、つぎに沸き起こったのは無為に時を費やすことへの苛立ちだった。わが病院附きの兵卒たちも、戦場へ出ないで居るのは恥辱であると訴えた。なかには命令に依らず、勝手に前線へ出て行った兵卒も居た。また、通りかかった伝騎を呼び止めて戦況を訊く者も居た。


 そして、わが病院附きの兵卒のうち3名が、

「戦闘に加わりたくあります」

 と、申し出た。かねて医長と主計官は、何か過失のあった兵卒に「戦闘線に送るぞ」という脅し文句を使っていたが、兵卒の方から前線行きを望むようになったので、脅しとして通用しなくなった。われわれの軍団には老兵が多かったが、前線行きを熱望しているのは若く元気で強壮な兵卒たちだった。主計官は、思いとどまるよう説き諭したが、まったく効き目はなく、やむなく「司令部に取り次ぎましょう」と約束した。臆病で人の好い書記が、驚異の目を瞠った。


「およしなさい。前線に行ったら、弾に当たって死ぬかもしれないよ? 故郷に置いてきた家族は、大黒柱を失うことになるかもしれないじゃないか」

 書記は、熱心に引き留めようとした。しかし、彼らの一人が

「私に子は無いので、残るのは妻だけです。まだ若いから、私が戦死したら再婚するでしょう」

 と、固く決心できるだけの事情を明かした。そして「戦闘は軍人として大切な任務ですから」と、付け加えた。


「いや、私たちの野戦病院も大切です。負傷した同胞を助け、行き届いた看護と愛情とで苦痛を和らげるのですから」

 書記は当然の如く言ったけれど、

「現在、自分らは何も役に立っておりません。いまこの時も、同胞が戦っているというのにです」

 と、彼らは受け入れず、とうとう勝手に前線へ行ってしまった。

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