028 詐病
病院開設の翌日も、廠舎は依然として整備が進まずにいた。殊に問題なのは、赤痢患者の汚した布団を洗濯する設備が無かったことだ。廠舎から50歩を隔てて便所があるが、しかし、これは他の建物に属している外便所の一部を病院用に割り当てているに過ぎない。病院全体に対して割り当てられた個室は4つだった。
建物の造作からして外便所らしくない。母屋から離れすぎているうえに、掃除し難そうな造作であることも問題だ。そのくせ窓が大きくて、外から室内を見通せてしまえるのが不思議に思えた。後に聞いたところによれば、もとは国境衛兵用の宿舎だった建物を外便所に転用したらしい。
中を改めると、汚穢を極めている。便座は赤痢患者が漏らした血の粘液で覆われているが、感染を怖れて誰も便所を掃除しようとしない。そして、その外便所を健康な兵卒にも使わせるというのだから、疫病を嫌う軍隊としては大問題というべきだ。
新患は、どんどん来る。入院患者を後送して病床に空きをつくらねばならぬというのに、入れ替わり立ち替わり将校の新患が来た。かれらは一様に他覚症状がなく、診察しても病気らしい徴候は何も見られないことが殆どだった。診察の順番を待つ間も元気そうに大きな声で談笑するなど、どこに病変があるのか私には診て取れなかった。彼らが訴える自覚症状の数々は、医学的に矛盾している場合が多い。
彼らは揃いも揃って後送を切望した。しかし、まるで他覚症状が無いのでは、流行性感冒などと診断することは出来ない。発熱もなく、咳もせず、元気そうに歩き回る者を後送したのでは、上級官衙が私を厳しく咎めるだろう。
思い当たることは一つある。先日始まった会戦が、その規模を拡大しつつあることだ。あえて彼らに病名を付けるとすれば臆病性感冒とでも呼ぶべきだ。非常に厄介な感染症で、おそらくは空気感染する。戦争の齎す瘴気が引き起こした、一種の風土病なのかもしれない。だが、それに対処すべきものは、医療ではない。
彼らに足りないのは勇気と責任感だ。それを補える薬があるなら処方すれば良いのだが、生憎と付ける薬が無い類いの病気だ。ありもしない病苦を訴える自分を省みて、彼らなりに思うところはあるようで、過ぎし遼陽会戦に於ける武功を大袈裟に論じる者も居る。もう自分は充分に働いたのだから御役御免にして欲しいと言いたいのだろう。
これら臆病性疾患とは打って変わって、勇気過多症と診断すべきウスリー出身の若い大尉が居た。日に焦けて黒くなった顔で
「後送しないでください」
と、頻りに訴えた。しかし、蔓延を警戒すべき赤痢患者であるから、このまま置いておくわけには行かず、また、この病院では充分な治療が出来ない。
「短期間での快復が望めない以上、後送するほかないのです。ここでは医薬品も充分ではなく、設備も甚だ不充分ですから」
そのように私が宣告すると
「戦友は、みな戦っています。いま、この時も戦っているでしょう」
若い大尉は、そう言って悔し涙を流した。




