024 幕営
ハルピンでの停車は、2時間のはずが48時間になった。奉天へ向けて走り出してからも度々停留を強いられ、10時に奉天に到着すべき命令を受けながら、実際には14時になっての到着だった。そして、長旅を共にした貨車から衛生資材や食糧その他をおろすのに3時間が必要で、その間に私たちは狭くて汚い食堂で遅い昼食を喫した。だが、将校待遇の人々はまだしもだ。
なにせ給養のための鍋釜も、食材も、荷解するまで梱包されたままだから、兵卒たちへの給養は出来ない。荷下ろしに伴う諸手続で主計官が忙殺されていて金銭給与も出来ない。ゆえに今朝から兵卒たちは欠食だというのに、荷下ろしをやらせている。
兵卒たちが馬糧の燕麦を貨車から地上におろすたび、医長は袋の数を確認していた。医長が1ポンドあたり45コペークという廉価で手に入れた、例の燕麦だ。そこへ
「師団病院の医長殿とお見受けします」
と、師団司令部の連絡将校が駆け込んできた。
「いかにも医長である」
そう返答した医長は、このあと何処へ向かうべきかを尋ねた。
「その御案内のために参りました」
とのことで、日が暮れかけた17時頃に、私たちは停車場から移動を始めた。
暮色蒼然たる彼方に歩兵が列を為して行進し、その後ろに砂塵を捲き立てて砲兵が続いた。市街を繞る露営地からは夕食のための炊煙が低く靡いている。ちょうど日が没した頃、医師スルタノフの部下の主計官が、伝騎と共に走り寄ってきた。そして、
「引き返してください」
と、叫んだ。
「怪しからんな」
医長は、師団司令部の連絡将校に案内されての移動であることを告げた。
「しかし、師団司令部の高級副官から、引き返すべき命令を伝達されました」
要するに、師団司令部の別系統から矛盾する命令が発せられているのだ。この矛盾の正否を確認するには、師団司令部の戸を叩くほかない。連絡将校と主計官は師団司令部に向かって馬を飛ばし、その間、輜重馬車を停止させなければならなかった。
気の毒に、兵卒たちは昨日の夕食を食べて以来、給養を受けておらず、今朝から欠食が続いている。みな路傍の枯草の上に腰を下ろし、顔に不平の色を浮かべ、骨身に滲みる秋風に吹かれながら煙草を燻らし始めた。
主計官が戻ってきた。
「やはり、引き返してください」
戦線が動き、奉天に向けて退却中だということらしい。総司令部の野戦衛生長官が、われわれの病院を何処に開設すべきかを示すという。医長は、
「それだと、また戻ってくることになろう」
ということで動こうとせず、まずは総司令部からの指示を待つこととした。そして助手を呼びつけ
「野戦衛生長官の指示を受けてきなさい」
と、命じた。
わが同僚の医師セルジュコフは、
「また頓知気なことが始まった。僕が言うたとおりじゃ」
と、せせら笑った。生憎だが、私にはセルジュコフが何か予言めいたことを言った記憶が無かった。
日が落ちて、残光は地平線上にある軌道の屈曲点に居る列車を影絵の如く映し出した。現地軍司令官クロパトキンの専用列車だ。その周囲に立っている鉄道衛兵の姿も見える。何日か前に買ったパンを捨てずに持っていた兵卒は、いかにも忌々しそうな顔つきで、もそもそと囓り始めた。そこへ助手が戻った。野戦衛生長官から医長に対し「貴官に指示すべき何事もなし」との伝言を依頼されたそうだ。
「なんたる態だ」
憤怒の色を浮かべた医長は、みずから決心したことを伝えた。われわれは停車場へ戻り、その付近で露営するということだった。
「こんな野っ原で、一晩過ごすなど堪るものか」
と、医長は命令の趣意を伝えることも忘れなかった。ろくに外灯もない町外れにいたのでは、不便で仕方ないからだ。
ところが、医長は何か思い当たることがあったようで、移動命令を撤回したうえで、みずから総司令部へと出向いた。そして、戻ってくると
「明朝、われわれの病院を開設する」
と、高らかに宣言した。いま、別の師団が病院を設置している建物が明日には空き家になる。そこへ入れ替わりに、われわれの病院を開設するというのだ。兵卒たちに天幕を張らせながら、明日は屋根壁の備わった場所で寝ることを予告した。




