019 別嬪
組織改編を受けて私は別の客車へ移り、医師スルタノフと席が近くなった。彼の「姪」と称する妙齢の美女もいた。この美女は看護師でも秘書でもなく、ただスルタノフの身の回りを世話するだけだった。彼女は汽車旅の間も常に綺麗に化粧をして着飾っていた。そして、定まった時間になるとスルタノフに珈琲を持ってくる。スルタノフは落ち着き払った態度と、鹿爪らしい声で「ありがとう」と応じて、会話を始める。ふだんは寡黙な美女が、珍しくも言葉を発するとあって周囲の人の注目を浴びながら、巧い受け答えで皆の微笑を誘った。
スルタノフのもとに看護師は二人いる。一人は「姪」の友達なのだそうだが、年齢は30歳前後と思われる。美しく静かな声で、親しくしている伯爵や男爵の名を何人か挙げながら世間話をしていた。何人もの貴族と繋がりのある彼女が、なぜ前線の病院に送られるのか、私にはわからなかった。
もう一人は「明眸皓歯」と形容するほかない頗るつきの別嬪で、妖艶な微笑みは男どもを悩殺した。ただし、私の属する師団にいる某将校の許嫁だと噂に聞いたので、手出しは無用だ。すでに定まった相手が居るということを含め、一種の小悪魔的存在と言えよう。
女の匂いから縁遠くなった兵卒たちが、これら二人の看護師に注目したのも当然のことだろう。ことある毎に兵卒たちは彼女らの機嫌をとろうとした。彼女らは列車内の病者を親切丁寧に扱って、ますます人気を高めた。
それと比べると、私のもとにいる看護師たちは不人気で、やがてスルタノフの看護師たちに敵意を含んで睨みつけるようになった。女性の心理を理解できない私にとって、どうすることも出来ない問題だった。
ある停車場でのこと、一人の将校がズカズカと兵卒たちが集まるなかに割り込んでいって、
「おい、糞野郎ども。上等兵を一人寄越せ」
と、叫んだ。
「わしら兵卒は糞野郎ではない。ロシア帝国陸軍の軍人であるぞ」
落ち着き払った声で、そう返された将校は石像の如く固まったが、一呼吸おいて怒気を含んだ声を発した。
「誰が生意気なことを!」
将校が、手近に居た兵卒の胸ぐらを掴んで殴打しようとしたとき、暗い隅の方から、若い兵卒が進み出て、
「自分であります」
と、挙手の敬礼をしながら堂々と名乗り出た。彼が言うには、誇り高い軍人を糞野郎と呼んだのが、よもや将校だったとは思わなかった、というのである。
その一部始終を、スルタノフの看護師たちが柱の陰から見つめていた。兵卒の一人が、目配せで将校に美女の存在を知らしめると、将校は顔を赤らめつつ、事態を取り繕うために一言、二言、兵卒たちに小声で何事かを告げたのち、こそこそと立ち去った。あとで聞くと「従軍僧に懺悔する」と告げていたそうだ。一言も発することなく、指先一つ動かすこともなく、ただ美しいというだけで、二人の美女は将校を回心させたのだ。




