001 開戦
天空の一方から、むくむくと現れた黒雲は刻々と色の濃さを増しながら重なりあった。いま、まさに嵐が近づいている。
日本が、わがロシア帝国との国交を断つや否や、朝鮮半島の仁川に派遣されていた巡洋艦「ヴァリャーグ」と航洋砲艦「コレーエツ」は、日本艦隊の攻撃を受けて沈没した。私にとっては寝耳に水のことだった。もはや戦争は始まり、引き返せないところまで進んだ。
遙か東の果ての沿海州から、さらに海を隔てた向こう側にあるという小さな島国が、強大なロシア帝国に敢然と戦いを挑んだ……というよりも、そうせざるを得ないまで日本を追い詰めたのは、われらがツァーリ、すなわちロシアの皇帝ではないのか、という話が流れてきた。
その一方で、新聞各紙は筆を揃えて宣戦布告前に攻撃を仕掛けた日本を非難した。都会ではツァーリの肖像を掲げたデモ隊が練り歩き、国歌を唄った。いまやロシア国民各階層が一致して、日本への敵愾心に燃えているかのようだった。だが、それら「愛国者たち」の頭上には彼らを吊り下げる糸があり、その糸を操る何者かの手によって彼ら愛国者たちが踊らされていることは見え透いていた。
人々の本音は、まったく異なった。
有識者と呼ばれるほどの知識階層にあっては、誰も「日本を屈服させよう」という気概を持ち合わせていない。そればかりか、皇帝親裁である祖国の現状を打破するためには「この戦争に負けることが望ましい」などと、公然と口にする者さえいる。
この私にしても、遙か彼方の海で、あるいは陸の戦場で、犠牲になった兵士らを悼む気持ちよりも、この戦争の成り行き次第では「圧政を強いるツァーリの考えを改めさせることになるやもしれぬ」という期待の方が優っていた。
日本との戦争を肯定しないのは、有識者ばかりでない。
国民は、大陸の東の果てで領土を拡大することなど望まなかったのに、それを望んだツァーリが国民を戦争に引きずり込んだ。そのような国民の意識は、ツァーリの政府への敵意を産んだ。日本人は「ツァーリの敵」ではあったが、むしろ日本を戦争にまで追い詰めたツァーリの政府の方が「国民の敵」と思えたのだった。
その頃、私はモスクワに住んでいた。交通の要衝であり、かつまたロシアの商工業の中心地でもある人口100万を数える世界有数の大都市だ。ある日、観劇のため劇場を訪れると、開幕前に観客席から「国歌、国歌」と煽り立てる者がいた。やがて舞台の上では、それぞれの役柄の衣装を着た俳優たちが半円を描くように並び、国歌斉唱が始まった。歌い終えるとアンコールが叫ばれ、二度も三度も国歌斉唱が繰り返されたのだった。
その様子は、国民の愛国精神の現れとして新聞各紙に書き立てられた。
だが、ツァーリの肖像を掲げて市街を練り歩く連中を注意深く見れば、その大多数が掏摸、泥棒、破落戸など留置所に繋がれていた類いであって、行列を先導するのは私服の警官だとわかった。デモ隊は出くわした人々に「ツァーリの肖像に脱帽せよ」と怒鳴りつけ、帽子をとらない人々は例外なく殴打された。また、高級レストランの前を通りかかったとき、店の入口あたりに帽子をとらずに行列を見物していた者がいたとて、店の外も中も、なにもかも手当たり次第に叩き壊した。駆けつけた騎馬警官が、馬上から長い鞭を振るって暴徒と化したデモ隊を蹴散らしたものの一人も検挙せず、それら暴徒の所業は「愛国精神の発露」であるとして不問に付された。
あるとき政府が「国民の愛国心が旺盛なことは充分に承知した」ということで彼ら愛国者たちに向けて「日常に戻り、それぞれの業務に励むべし」と布告すると、各地の愛国デモは、たちまち終息した。彼ら愛国者たちは政府の合図にあわせて喚きたて、つぎの合図で沈黙したのだった。