117 捜索
われらは公主嶺に到着した。此処も雑多な諸隊で充満している。停車場の飲食所で、同じ軍団に属する将校と出会った。極東へ着いたばかりの頃は後方勤務だったが、ほどなく中隊長が戦死して、その職が彼の上に移ってきたという。
「僕は病人だ。両脚がリウマチに罹っている」
そう語る表情は、実に嬉しそうだった。入院しようと、病院の開設を待っているとのことだった。長いこと待っているのかと尋ねると
「きょうで十日目だ」
などと平然と答えた。何処の部隊でも統制を回復させるのに忙しい時期だろうに、中隊長が不在では部下たちが困っているだろう。
「君の中隊は、誰が指揮しているのかな?」
と、私は訊いて見た。
「見習士官が……」
その見習士官とは、おそらく下士官あがりの将校としての教育を受けていない人物だろう。どの部隊でも正規の将校は不足しているからだ。此処に入院できる病院は無いのに、いったい何をしているのだろう。
「僕は、此処で迎えを待っている」
まったく悪びれた様子もなく、さも得々として彼は言い放った。
消毒品材料を積んだ輜重車を指揮していた知人の医官によると、停車場で見た貨車が、負傷した将校で満杯だったという。
「その貨車は、奉天を出発した際には空っぽだった」
と、彼は言う。列車が停車場に到着するや、負傷将校の大部分は繃帯を剥ぎ取りつつ貨車から降りて、各方向へ散って行ったそうだ。繃帯は傷一つ無い健康な身体に巻かれていたのだ。
いまや病院総監エゼルスキーの活躍すべき時が来た。かつて警察署長を務めた経験を活かし、大得意の面持ちで停車場および列車の周辺を駈け回り、要所に憲兵を配置した。そして、貨車に載せた大釜の中に身を隠していた二人の将校を自ら見つけ出したということだ。彼は将官でありながら、猟犬の役割を率先して果たしたのだ。脱走将校の捜索は病院列車にも及び、彼は負傷を偽っている将校を容赦なく摘発したが、その働きぶりは行き過ぎだと評された。実際に負傷している将校の診断書を改竄してまで摘発し始めたからだ。彼は後送列車の進路から外れたウラジオストックに転勤させられた。
このところ日本軍の追撃は已み、漸次われらロシア軍の秩序は回復せられ、各部隊間の連絡は再び就いた。斥候は何処にも日本軍を見ずに戻った。日本軍は全く踪跡を隠したとの噂もある。また、日本兵は鉄道線の両側から迂回を試みており、一部は東方より吉林方面へ、一部は西方よりハルピンに向けて進軍中だとの風説もあった。
3月14日に至り、第三軍の軍医部長チェチルキンより新たな命令が届いた。明日正午を期してリヂアツン村に向かい出発せよ、とのことだ。電報ではなく書面で齎された正式な命令であり、進路を示す要図が添付されていた。如何なる意図で移らねばならぬのかは伝達されなかったが、命令とあれば行くほかない。われらは出発した。
朝には晴れていた空が曇った。風も吹き出して、酷く寒い。夕刻に至って雨となり、やがて綿雪降りへ移り変わった。われらは行き会った清国人にリヂアツン村は何処かと尋ねると、東を指し示した。しかし、要図によれば西方に位置している如く記載されている。
医長は、その清国人を案内人として雇った。例によって「金を遣る」と口約束はしたが、その額については約束しなかった。




