115 再読
われらは軍医部長からの返電を待ちつつ夜を徹した。その間、私は久々に『回想の明治維新』を読み返した。著者レフ・メーチニコフは革命家として大物で、1872年9月に亡命先のジュネーブでオオヤマと邂逅し、彼と日仏語の交換教授をしていた。そのオオヤマこそ、いま、われらを追い詰めている日本軍の総司令官なのだ。レフ・メーチニコフによるオオヤマの第一印象は以下のとおりだ。
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わたしを迎え入れたのは、とびきり洒落たグレーの背広を着こんだ、さほど若くはない紳士だった。彼は莫迦に大きい唇に喜びの笑みを浮かべ、法外なまでに幅の広い顔に、極小の鷲鼻を置き、ニスを流し込んだ二つのほそい隙間といった恰好の眼をしていた。彼の歯の異常な白さと、ちっちゃな手足の優雅さが目についた。ちなみにこれは日本人種の特徴なのだ。
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と、このようなものだった。その翌年、日本から閣僚の半数を含む世界歴訪使節団がスイスを訪れたとき、レフ・メーチニコフはオオヤマの紹介で使節団と会見している。まさに反政府活動を展開中の革命家が、すでにトクガワ一族による専制政府を打倒した革命政権と出会ったのだ。彼らの革命の核心は封建制の解体にあった。それを強力に推進したのはオオクボとキドという非称号貴族(士族)だったとレフ・メーチニコフは説いている。
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法律上の主君に対して彼らが得ていた権力たるや、彼ら自身がこれらの諸侯に迫って、あの封建制廃止の記念すべき建白書に署名させたほどだった。この建白書は日本の近代史において、フランスならさしずめ人権宣言に相当するものと言えよう。
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そうした先進的な意識を持つに至った士族とは、如何なるものかについては、
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日本でフランスの第三身分にあたる役割を果たしたのは、大名に仕える小貴族つまりサムライと、将軍の親衛隊しもいうべき旗本である。小貴族層のこれらの二つの集団には敵意と反目があった。おまけに動乱時代が来ると予想した大名は、当然ながら、あまり多くの下級武士を自分のまわりに置くことを惧れた。これら下級武士たちの経済状態は、その数が増えるにしたがい、ますます悪化していたからである。これら二本の剣の帯刀者は、まったく無為徒食の生活を送っており、二本のある作家の表現を借りれば、「白眼をむいた鬼のような形相で、自分たちが抑圧する百姓たちを睨み付けていた」という。
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このように説明している。かつてのオオヤマも下級武士で、経済的には下層に位置していたようだ。そのような豊かとは言えぬサムライたちが、急進的な改革を力強く推進できたのは何故なのか?
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日本は中国とならんで、その政治的発展のごく初期から、国民生活における教育と啓蒙の意義をはやくも理解していた世界でも数少ない国である。この遠国にわずか数日暮すだけで、日本では実際、書物的知識と文化が国民の最下層にまで、血となり肉となって深く浸透していることを確信できよう。
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ああ、是こそだ。レフ・メーチニコフは、日本人の下層にまで教養が行き渡っていたことを指摘している。国民の間に広く、また深く浸透した教養が、彼らの革命を成就させた原動力なのだ。そして、王党派による革命政権は急速な近代化路線をひた走り、ついに大国ロシアに戦いを挑むほど発展を遂げた。アメリカの蒸気船を見て腰を抜かしてから、僅か半世紀にして彼らは此処に至ったのだ。
読みたかった部分を大凡読み終えた頃、医長の独断で病院開設を見送り、四平街まで移動することとなった。罷免された最高司令官クロパトキンに代わるのは誰なのか通告も無いゆえ、今後われらに対し、何処の誰が、何の資格を以て、何を命ずるのか、まったく見当もつかぬことで、われらも勝手に行動している。
回想の明治維新 : 一ロシア人革命家の手記 (岩波文庫)
レフ・イリイッチ メーチニコフ (著), 渡辺 雅司 (翻訳)
岩波書店 (1987/3/16)より一部を引用しました




