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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
115/122

114 金庫

 わが病院へ「北方へ進め」という新たな命令が伝達された。その直後、所在不明だった看護卒たちの一行が追及してきた。そのなかに医長と主計官も混ざっていた。医長は頻りと迷走した間の困苦欠乏を語ったが、同行していた看護卒たちは実に驚くべき事件を物語った。


「医長と主計官が金庫を載せた車輌と共に、影を失ったのです」

 それ以後、看護卒たちのなかに将校待遇の者は居なくなったので、曹長スメタニコフが指揮を執った。看護卒たちは、従来受けたことがないほど手厚い給養と充分な休息とを与えられ、たいへん満足したそうだ。彼らは鉄嶺に到着して露営したところ、医長と主計官が停車場で食事をしているところを発見して驚いた。そして、

「わしらに構わず、おまえたちだけ先に行け」

 と、医長に言われたのだという。

 さりとて、医長を置き去りにするわけにも行かず、看護卒たちは夜を徹した。翌朝、南方から砲声が轟いたとき、またしても医長と主計官は姿を消していたというのだった。


 通りかかったコサックが

「さっさと出発しろ、すぐ日本兵がくるぞ」

 と、出発を促したのでスメタニコフは決心して、一行を北へ向かわせた。そのあと一日半を経て、道中で再び医長と主計官を見つけたそうだ。

「医長と主計官は、金庫を日本兵に奪わせようとしていたんじゃないかと……」

 声を潜めてスメタニコフは言った。


 金庫に置くべき公金は、主計官助手が携えていて別にあった。金庫にあるものは、帳簿や伝票などの証拠書類だが、それを日本兵に奪わせようということは、証拠隠滅のためとしか考えられない。錬金術の実態を洗いざらい調べ上げられたなら、医長の魔術をもってしても、身を滅ぼすことになりかねない。それならば証拠書類を葬り去ろうと、医長と主計官は考えていたのではなかろうか。


 さらに北へ向けて進む道中で、最高司令官クロパトキンが罷免されたことを知らされた。第三軍の軍医部長チェチルキンは、われらの病院に新命令を発した。

――北方第86号待避線付近に於いて病院を開設し、3月8日1200時に爾後の命令を待つことなく撤収、公主嶺に向けて移動せよ。

 しかし、われらの病院は病院付兵卒の半数を失ったため手が足りず、命令どおりの迅速な開設と撤収は不可能だった。そのことは逐次、師団にも軍団にも報告しておいたのだが、その状況に顧慮無く命令されたのだ。


「ともあれ行かねばならぬ」

 医長は、われらを出発させた。鉄道線路の両側には、いまも北方へ向かう人馬が犇めいていた。線路上を通過する列車の屋根には、脱走兵と思しき兵卒たちが砂糖に集る蟻の如く密集してしがみついていた。公主嶺では、実に40,000を数える脱走兵が引き留められているという。また、逃亡した将校50人が軍法会議に附せられたそうだ。逃亡罪の最高刑は銃殺だが、それほど大量の脱走兵を容赦なく射殺するわけにも行くまい。


 われらは16時頃、所定の地点に達した。まったくの荒地で、付近には耕地も人家も無かったし、川も無く、樹木も無い。路傍に涸れかけた井戸が一つあったけれども、われらが連れている馬匹10頭に対して充分な水量は得られなかった。医長は第三軍司令部に対し、

――当地に水無し。移転許可を請う

 と、その旨を電報を打たせて申告した。

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