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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
114/122

113 腐朽

 われらは堤防を曳き摺り越えて、鉄道線に並行して北へ進んだ。


 この道路は10年前、ロシア人によって構築されたのだが、まったく手入れされずにいたらしく、橋梁の大半は腐朽して落ちていた。幸いにも河水は何処も凍結しており、氷水に浸かって徒渉することは無かった。これで一度でも降雨があれば、どうなっていただろうか。路外は雪融けの泥濘みで、とうてい歩けはしない状況だったろう。


 名も知れぬ停車場に差し掛かると、馬糧や糧食の予備品が山と積まれている。しかし、それを受け取ることは出来なかった。憤怒のために身震いした狙撃歩兵の将校が、拳を握り締めて

「こんな場合に、請求伝票を出せだと?」

 と、叫んでいた。

「ああ、そうだ。鉛筆で書いた伝票では駄目だ。インキで書いた伝票を持って来なければなぁ」

 倉庫番は頑なに譲らない。

「どうせ焼き棄ててしまうだろうに、何故そんなことを言う」

 歩兵将校は食い下がったが、倉庫番は平然と答えた。

「規則だからだ。規則を破れば収禁される。そして、あんたらが飢えて死のうが俺たちの責任ではない」

 その押し問答を横目に、われらは先を急いだ。


 その日は戦火が及んでいない村落に入り、住人が避難して無人となった家屋に宿営した。此処で病院の一同は点呼をとった。同行した病院付兵卒は凡そ半分、医長と主計官は消息不明ながら他の医官、看護師、特志婦人は全員が残っている。各人の私物を載せた大行李は置き去りにされたゆえ、誰も私金を持たなかった。輜重車に残ったのは厳重に梱包された衛生資材と乾麺麭や缶詰などの糧食だった。


 その場で先頃高級医官に昇任したグレチビンが医長の代理として病院の指揮を執ることとなり、主計官助手が主計官の代理となった。この新体制に移ってから一同の表情は明るくなった。そして、さっぱりした、せいせいした、愉快だ、などという声が上がった。われらは病院付兵卒たちに、これ以後は清国人の物品を掠奪せぬよう厳命し、主計官助手が携えてきた公金から適正な価格を支払って買い取ることとした。また、宿舎とした家屋に対し若干の宿泊料を支払うことを決め、家主を探した。村はずれの農具を仕舞うための小屋に潜んでいた家主は、引き出されて怯えていたが、事情を話すと

「隊長甚好」

 と言いながら、母指を伸ばして満足の意を表した。


 われら一同、皆が疲れ切っていた。日没の頃、早々と睡眠に就いたところ、夜半、暗黒の家屋の中に幽霊の如く潜行する清国人が居ることに気付いた。安眠を妨害する意図は無いようだが、不審に思って誰何すると

「隊長休むよろし。ワタシ見回る」

 というのだった。こんな場所に日本兵が侵入してくるとも思えず、どうやら本音は、ロシア兵が家屋を叩き壊したり、掠奪することを危惧しているらしかった。


 出来ることなら、此処に三日も滞在して所在不明の医長や遅れた兵卒たちと合流を図りたいところだが、状況はそれを許さなかった。その翌朝、南方に砲声が響き、日本軍が鉄嶺を占領したとの報知があった。

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