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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
109/122

108 未明

 猟兵士官たちの談義は続く。

「どうもお偉方は、1門の砲を鹵獲されるより、1箇聯隊の兵卒を失う方が良いと考えているようですな」

 本国への電報で

――全滅セリ

 と打つのは少しも恥では無いが

――砲一門ヲ遺棄ス

 という報告は堪えがたい恥辱だということらしい。

「いずれにせよ、上の方では火砲で日本兵に損害を与えたかどうかは問題では無いと考えているらしいからのぉ」

 如何にも、ありそうな事だと私も思った。


「火砲が出来得る限り働いて、然る後、力尽きて遺棄せられても、少しも恥では無いだろう。日本軍は混戦になっても砲を逃がすことなど少しも考えない」

 なぜ敵軍の考えが見通せるのだろうか?

「日本軍は豪胆にも掩護なしで砲を前に出して来ますからな」

 なるほど、そういうことから判るのかと納得した。

「撃ち合って負けて砲を失ったとしても、それは義務を果たした結果です」


 この談義を聴きつつ、私は思い浮かぶことがあった。われらの病院に対して早くに撤収命令が出たことと、待機状態のまま捨て置かれ、退却命令が遅きに失したことだ。撤収命令の早さは司令部の臆病さゆえであり、退却命令の遅さは不決断ゆえだ。そういう考えになるのは、帝都への電報で戦況を報告した際、それがツァーリの眼にどう映るか、それのみを用心しているからだろう。


 そんな考えを巡らせているうち、私は眠りに落ちていた。

「ドクトル、起きたまえ」

 と、柔らかく暖かい手が私の頬を包んだ。目を開けば、まだ夜は明けておらず露営火が小さな残り火となっていたが、火を囲んでいた大隊は影も形も無かった。怪我をして繋駕を解かれた馬匹は、よほど飢えているらしく、枯れ残った草を探りながら無心に食んでいる。睡眠は足りた気がしなかった。


 私を起こした同僚医官シャンツェルに状況を問うと

「あの山の後方まで日本兵が来て、露営している」

 とのことだった。山までは徒歩で一時間ほどの隔たりしかない。日本兵が停止している間に、少しでも離れておきたい。


 歩き出して間もなく、街道は崖のような急坂に差し掛かった。路上は前進を焦る車輌で充満し、通り抜けるのに難渋した。後ろから輜重車を押し、あるいは前から牽いて、どうにか難所を越えると、小高い所に糧秣車を囲んで露営している数人の兵卒が居た。難儀した後ゆえ、われらは其処で小休止し、夜明けを待つこととした。火を囲む兵卒らは、われらに場所を与えてくれたので、水筒の火酒を一口ずつ振る舞った。


 やっと人心地ついたところへ銃声が響いた。さほど遠くはない。

「銃声は、あの山の向こうからか」

 セルジュコフは気が立った様子で言った。

「おう、日本兵は不眠症か」

 シャンツェルは笑いながら言った。私も不思議と可笑しさが込み上げてきた。

「後衛はどうしたのだろう?」

 と、私が言うと、

「疾っくに日本兵に蹴散らされておるじゃろう」

 同僚医官両名の見立ては一致していた。


 徒歩で糧秣車を牽いてきた兵卒たちは、早々に車を街道へ引きこんで去って行った。

「俺たちも行くか?」

 と、シャンツェルは提案した。先行させた輜重車に付き添った医長が此処に居ないゆえ、われらは自分の判断で進退を決しなければならぬ。シャンツェルは元気にしているが、セルジュコフは死人の如く疲労しきっている。私もまた各関節に鉛を鋳込んだかのように身体が重く、体力の限界を感じていた。

「捕虜になるも、射殺されるも、もう構いやしない」

 と、私は地面に身体を投げ出した。何を置いても睡眠が必要だった。銃声を聞きながら残り火の傍らに身を横たえると、北方の停車場が夜明け前の暗闇に火炎を上げているのが見えた。いや、あれは松明の見間違えか。もう、この際どうでも良い。とにかく眠りたかった。望郷の念が胸中に燃え、燃えては消え、消えては再た燃え、いつしか意識を失っていった。

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