107 営火
寒くなった。月は没し、われらの周囲には幾つかの赤き火光が揺れている。街道の路面は暗がりの中に沈んでいた。どのみち歩くのは無理だ。路外に火を焚いて、夜の明けるのを待つほかなかった。
焚き火する場所を探していると、歩兵聯隊の将校が声を掛けてきた。
「いっしょにどうですか?」
おおよそ一箇大隊ほどの数百名が、大きな露営火を囲んでいた。われらは極々の心底より謝意を述べつつ、その環に加えて貰った。腰を落ち着けて四辺を見渡すと、街道の両側に幾つかの露営火が見えた。
「ありふれた物ですが……」
誘ってくれた将校に、口一杯まで火酒を詰めた水筒を差し出したところ、
「おっ、これは有り難い」
と、一口飲んだ。そして、露営火で沸かした湯で茶を淹れて、われらに振る舞ってくれた。私は熱い茶を少し口に含んで、ようやく生きた心地になれたのだった。遙か南方には、火災による赤色の火光が薄々ながら見えた。西方にては、付近の停車場が燃えているらしく、やはり火光が見えた。
露営火を囲む環に紛れ込んできた連絡将校は
「誰もしらぬのですよ、何処に、何があるか」
と、呆れ顔をして言った。
「つい先刻、第2軍の司令部を探し当てましてね」
そこには命令を伝達すべき相手である聯隊長が来ているはずだった。たまたま司令官のカウリバルス将軍が捕虜となった日本兵を尋問していたところへ、その連絡将校が入って行き
「失礼します、第7猟兵聯隊長殿はおられませんか」
そう尋ねてみたところ
「第7猟兵聯隊の聯隊長なら、この俺だ」
と応じたので、すぐさま用件を伝えようとしたが、聯隊長は
「命令なら受けかねる」
などと言う。部下たちが、いま、何処で、どうしているか、まったく判らないのだそうだ。その挙げ句に
「なあ、君、俺の聯隊は何処に居るか知らないか?」
と、言われた。
そんな話を聞き流すうち、私は露営火の温もりで眠りに誘われた。すでに眠っていた同僚医官セルジュコフの脛を枕とし、半毛皮衣で脚部を覆い、安楽な姿勢をとることが出来た。そのとき、私を呼び止めてくれた将校が、連絡将校との間で、ここ数日の戦況を語り合っていた。
「会戦前まで、奉天には重砲を備えた砲兵中隊が居たのですよ。ところが2月19日に突然居なくなったのです。何処へ行ったと思いなさるか? 鉄嶺へです」
鉄嶺は奉天の北方に位置する街で、要は前線から遠ざけたということだ。
「要するに重砲を逃がしたのです。戦う前から負けて逃げることしか考えなかったのでしょう、重砲が日本軍に鹵獲されるのを恐れたのです」
果たして戦うための重砲であるか、戦いを避けてでも無事に持ち帰りたくなるほど大事な物だと言うなら、いったい何のために遠い遠い本国から運んできたのか判らぬ話だ。私は、殆ど眠りに落ちかけていたが、その話を聞いているうちに目が冴えてしまった。
「われわれ猟兵は、三日間も砲兵の掩護なしで戦いました。日本軍は当然のように榴霰弾を放つけれども、われわれは小銃だけで応戦したのです」
だとすると、軍のお偉方としては、猟兵一箇聯隊を犠牲にしてでも、何門かの重砲を逃がそうとしたということになろう。




