104 悪路
いま、まさに包囲の環は閉じられようとしている。数で優るロシア軍が、より少ない日本軍に囲まれるというのは、まことに理屈に合わぬことだ。だが、われらは現実に南から、西から、東から追い立てられており、ただ北へ逃がれるより外に道は無い。
かつて医長は言った。日本人は優等生を気取っていると。事実、われらの掲げた赤十字旗に対し、彼らは発砲しなかった。ならば、私が生き延びて回想録を書くためには、捕虜になるという選択もあり得るだろうか。いや、しかし、それは危険すぎる。わがロシア軍は日本兵を生きたまま切り刻むような真似をしているわけで、それと同じ目に遭わない保証は無いのだ。日本人にもコサックのような荒くれ者がいるやもしれぬ。そのように、だらだらと歩き続けるうちに様々な考えが浮かんでは消えた。
やがて人車の群れは渡河の混乱が鎮まり、また、街道に届く銃砲声は遠くなった。そして、近くから喜ばしさを表す「ウラー」の大合唱が起きた。なにがあったのだろうか。期待するところは、講和へ向けての停戦命令だ。そのような命令を早く聞きたくてならぬという本音が、彼方此方から聞こえてきた。しばらく進むと真相が判明した。日本軍の砲撃によって破壊された橋梁を修復できた喜びを示していたのだという。それにより、遺棄された砲車や弾薬車が列に戻り、司令官が大きな声を張り上げて工兵に謝意を述べていた。
徐々に車列は前方に遊動する。路面は悪しく、傾斜もあり、橋は朽ちかけ、且つまた狭い。各人は唯々自分の都合のみを考えている。道路に刻まれた深い轍に車輪を落とすと必ず引っかかる箇所があった。その箇所の片側は他の側よりも深く轍が刻まれており、輜重車は転覆しかねないほど傾斜した。もし、円匙を持ち出せば数分間のうちに溝を埋めることも出来ようが、その僅かな労力を惜しむ者ばかりが通過して行ったわけだ。わが病院一行も例外では無い。
何故、この街道は悪路と成り果てたか。わがロシア軍は退却によって地域を敵軍に譲りつつ、敵軍の補給線が伸びきったところで反撃に出るのが常套手段だ。ならば、あらかじめ退却が想定されねばならぬ。然るに、奉天を譲って戦力の温存を図る現在、悪路に難渋しているとは何たることか。退却を想定しながら退却路の道普請を怠っていたとは愚かにもほどがある。
われらは、やがて名も知らぬ河に差し掛かった。そこには鉄道橋が一つあるだけで、車列は通れない。幸いにも川面は凍結したままだが、溶け始めている。われらは、ところどころ裂け目が出来かけた薄氷を踏みつつ対岸へ渡り、どうにか築堤の急斜面を輜重車に乗り越えさせた。あと一週間ほど退却が遅ければ結氷期は去り、河水は流れはじめていただろうし、徒渉に難渋していれば日本軍に追いつかれていたに違いない。
いつぞや最高司令官クロパトキンが病院を視察した際、浴室や麺麭焼所を設置すべきだと言った。それに対し医長は、遊動野戦病院のこととて戦闘線が動くに連れて移転を繰り返さねばならず、容易に分解組立できぬ設備は出来かねると答えた。そのときクロパトキンは、もはや戦闘線は現位置より退がることはないと明言したのだった。それが、いまや何たる態だ。
主計官は麺麭を焼くため、また、風呂を焚くために薪木を確保した。その薪木を集積したのが二週間前だったと記憶しているが、それらの薪木は焼き棄てるよりほか無かった。




