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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
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103 脱兎

 徒渉に難渋する軍団長およびスルタノフ一行を、我関せずとばかりに医長は置き去りにして行った。無論、われらも医長に従い、彼らを尻目に本街道への合流点を目指して早足に通り過ぎた。


 日本軍が赤十字旗に対して与えたのであろう猶予時間は、どうやら過ぎ去ったらしい。本街道の橋梁の上で榴霰弾が破裂し、築堤の斜面に電火を発し砂土を巻き上げた。其処彼処で砲車の輓索が切られ、兵卒らは手近な馬に跨がって逃走する。馬上の指揮官は、呆然と兵卒たちの逃走を見送るのみだった。それを横目に見つつ、われらは急ぎ本街道に合流した。


 街道上にも遺棄された砲車が幾つもあった。痩せた砲兵大尉が唯一人残って遺棄せられた野砲の間に乗馬のままで佇んでいた。彼は何物かを握った手を高く差し上げた。そして、火光が見えた途端、俄然、駈けだして行ったが、その後ろ姿は首が無く、暫し走ったのち嚢の如く地上に落ちた。


 如何にして日本兵は、われらの背後に現出し得たのか。戦後、長時日を経たのちに判明したのだが、日本兵は奉天会戦以前から豪胆にも莫大な遠距離を見認られず敵中深く挺進し、新開河に於いて鉄道橋を爆破していたのだ。当時は戦場の与太話だろうと聞き流していたことは事実だった。豪胆なる日本の挺進隊は小部隊に分かれて帰途に就き、その一部が潰乱敗走するロシア軍の群れに不羈遭遇したというわけだ。われらが出くわしたのは、わずかに軽火砲2門を有するのみの小部隊だったが、彼らはなんらの掩護もないまま小高地上に放列を敷き、今しも渡河中のロシア兵の大群に向けて火蓋を切ったのだ。


 応戦すれば、丘に陣取った小部隊を排除するくらい造作もないだろう。しかし、ロシア兵たちは多数の砲車ならびに輜重車を置き去りに逃げ惑うばかりだった。戦闘は「もう、おしまいだ」と思ったときに負けが決まる。医長が叫んだ。

「皆の者、意地でも生きて還ろうぞ」

 私は死ぬわけに行かぬ。生き延びて、この戦場で見聞きしたことを後の世に伝えたい。われらは赤十字を描いた病院旗を掲げつつ、間道を北へ、北へと走った。輜重車は早駈けとなり、徒歩の兵卒たちは重い装備品を棄て始めた。もとより戦闘部隊ではないゆえ、この際、われらには小銃も弾薬盒も不要なのだ。むしろ、土窟を掘って一夜を過ごすために円匙は必要だ。


 ここへ来て、主計官の価値観は変わった。以前は傷者運搬のために使い古した洗濯桶を投棄するのでさえ拒んだものだが、いまや易々と炊具や焜炉、赤十字寄贈品の高級な酒類などを次々と路上に投げ棄てているのだ。そして、身軽になって脱兎の如く北へ進んだ。たとえ、その先に網が仕掛けてあるとしても、それ以外に進む道は無い。


 小川に架けた狭い橋梁を去って数時間、われらは本街道に戻り、車輌も徒歩の人員も早駈けから通常の速度に戻した。そのとき、一輌の弾薬車が街道の傍らを徐行していた。車上に腰掛けていた上等兵は馭卒に「止まれ」と命じ、車輌が停止すると車を降りた。

「俺たちは、ツァーリのため充分に働いた。もう、沢山だ」

 そう言って繋駕を解き、車輌を遺棄して駕馬に乗って何れかへ駈け去った。馭卒もまた上等兵に倣って馬で駈け去ってしまった。

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