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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
101/122

100 潰乱

 かねて見知った胸甲騎兵の将校が騎行してきた。騎兵将校が乗馬なのは当然ではあるが、まだ馬を元気にさせているのは流石に騎兵だけのことはある。馬糧も水も確保するのは難事だからだ。この街道を進む誰もが、自分一人の水を得ることさえ苦心している。


「病院は、どんな状況ですか」

 と、問われた。遊動野戦病院は移転を繰り返すものではあるが、今回ばかりは危機的状況にあることを感じていると、正直に答えた。

「マア、そうですね。いまは危機的状況です。わがロシア軍は、勢子に追われた兎のように脱出路に向けて一目散に逃げるほかありません。この先に網が仕掛けてあると予測されていてもです」

 もし、この先に見える丘の上に日本軍の強行偵察が来たとしても、それを排除できるだけの戦力を発揮できる状態では無い。


「いまは潰乱敗走と呼ぶべき状況でしょうね」

 などと他人事のように言う。やがて輜重車を牽く馬を失って、兵卒が人力で牽いていけばまだしも、輜重車すらも放棄してしまうことになりかねぬ状況なのだそうだ。

「騎兵部隊は、運んで行くものの大半が馬糧です。しかし、それでも後方の倉庫から追送されなくなれば数日のうちに尽きてしまいます」

 そのことは、輜重兵の場合、より深刻な問題だという。

「輜重車に秣ばかりを積むわけには参りませんからね」

 それゆえ、この先では掠奪によって馬糧を得ることになりかねぬそうだ。


 大渋滞の街道は砲車、弾薬車、輜重車、傷者を乗せた軽馬車等、あらゆる車輌が雑多に混じり合いながら、徐々に流れていた。歩兵は歩きづらい路外に出て、不整地を進むゆえ歩調をとらずに行進していた。こんな光景を目にするなどと、昨日はともかく、一昨日までは思いもしなかった。砲車は輜重車を押し退けながら進み、弾薬車は取り残され、輜重車を牽く馬は斃れ、輜重兵を率いる指揮官は顔面蒼白で沈黙したまま惨状を見つめていた。


 この敗走の群れは、瀕死の重傷者に似ている。味方同士の争いは断末魔の痙攣にも似た苦悶の状を呈しているように思えた。街道の真ん中で、現地調達で補充されたと思しき東洋の小柄な馬が跳ねていた。どうも後足の一方が挫けているらしく、背を曲げて痛そうに三本足で跳ね回る。乗馬した輜重兵が、その馬の尻を鞭で打ったが、まるで意に介さぬように馬は暴れ続けた。


「見ちゃおれん、その馬を楽にしてやれ!」

 中佐の肩章を付けた将校が怒鳴った。平素から治らぬほどの怪我をした馬は延命させずに殺処分するのが普通のことだ。この潰乱敗走の列に敢えて暴れ馬を連れて行こうとするのは何故なのか。

「命令であります。すべての馬を連れて行けと……」

 輜重兵の言葉が終わらぬうちに至近距離から銃声が響き、暴れ馬は路外に飛び出しながら倒れた。そこへ銃を構えた美丈夫が駆け寄り、倒れた馬の頭へ更に一発撃ち込むと、もはや馬は動かなくなった。

「この銃は日本製だ。この馬は日本の銃で撃たれて死んだ。あとは、わかるな?」

 そう告げた美丈夫は、女の声だった。そう、女の兄貴だと、そのときまで私も気づかなかった。遊動野戦病院の特志婦人に小銃など与えられるはずもないが、それでも彼女は銃を手にしたいと強く願っていた。先日、捕虜となった日本兵が搬送されてきた際、その捕虜が携えていた銃を強いて貰い受けたのだそうだ。


 この大渋滞のなかで、私は何度も同僚を見失い、また、幾度かの思わぬ再会があった。とぼとぼ歩きつつ、毎分、毎時、知った顔と出くわしては会釈し、またすぐ見失うことを繰り返していたのだった。

100回記念落書き

医長と主計官は、ブラック魔王とケンケンをイメージしてます。「私」はエロゲの主人公みたいな顔がないキャラです。

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