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the DOLLS

ENCOUNTER

作者: 内藤晴人

 目の前の真っ白な建物に、カスパー・クレオは薄ら寒さを感じた。

 ここに足を運ぶのは初めてではない。

 だが、いつ来てもここはあまりいい気分はしない。

 

 気が進まぬまま、受付で姓名を告げる。

 僅かに消毒薬の匂いがするロビーで待つこと、しばし。

 関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉が開き、恰幅かっぷくの良い男が姿を現した。

 あわてて立ち上がるカスパーに、男はわずかに笑みを浮かべながら礼儀正しく一礼した。

 

「お忙しいところ、お呼び立てて申し訳ありません。あいにく、急な出頭命令でニック……テルミンは席を外してまして……」

 

 代理を仰せつかったと言う男に、カスパーはまたか、とため息をついた。

 

 あの一件以来、何かと用件を頼まれここ……惑連本部研究棟に来ることはあったが、頼んでくる張本人に会えた試しがない。

 

「いえ……彼も忙しいのは重々承知していますから……ええと……」

 

 ここまで言って、カスパーは言葉に詰まった。

 目の前に立つ人物の名前が、出て来ない。

 いや、正確に言うと、通称は知っているものの、本名を知らないのだ。

 その様子に気が付いたのか、男は儀礼的な笑顔を引っ込め、心底人懐こい、本性であろう微笑を見せた。

 

「ああ、そういえばまだ正式に自己紹介をしていなかったですね。技術士官のジャック・ハモンドです。ᒍで構いませんよ」

 

 あわててカスパーは差し出されたジャックの手を取り、握手を交わす。

 それから彼は『頼まれ物』をジャックに手渡そうとしたが、戻って来たのは意外な言葉だった。

 

「よろしければ少しお時間を頂けませんか?」

 

「え、いいんですか?」

 

 渡りに舟とはまさしくこの事だ。

 カスパーはためらうことなくうなずくと、ジャックの顔がやや陰った。

 

「ええ。ご相談したいこともありますし。むさ苦しい所ですが、コーヒーくらいなら用意できますよ」

 

 この非人間的な空間で出会った人物の血の通った反応に、カスパーはほっとせずにはいられなかった。

 

     ✳

 

「ところで今日は何を頼まれたんです?  ただ受け取って欲しいとだけ、奴に言われたものの、詳しいことは何も聞いていないもので」

 

 いつも使い走りさせて申し訳無いですね、と前置きをした後でジャックは言う。

 

 本来立ち入る事ができない真っ白な空間で、生気を感じられる唯一の存在に、カスパーは額の汗を拭いながら答えた。

 

「着替えが少しですよ。恥ずかしながら今時の女の子の流行、というのが解らなくて」

 

「そうですか。確かにいつまでもパジャマとガウンじゃあ……。さすがのあいつも、人並みの親心を持っていたのかなあ」

 

 いや、ある意味人並み以上だ。

 

 そう内心で思いつつも、カスパーはその考えを口にはしなかった。

 我が子を助けるのに必要な技術と頭脳を持った父親がしでかしたことを思い出すたび、カスパーは言い難い不快感を感じざるを得なかった。

 

「あいつは昔からそうでしたよ。何より目の前の患者を救うことに異常なまでに執着した。たぶん以前に起きた事故が、奴を変えてしまったのだと思うんですが」

 

 ジャックの言葉に、カスパーは一瞬ぎくりとした。

 胸の内を見透かされ、常々燻っていたことに関する解答を不意に目の前に示されたような気がしたからだ。

 

「失礼ですが、彼とは付き合いが長いんですか?」

 

「まあ、数少ない同期ですから……残っているのは自分と奴だけですよ」

 

 おそらく両者の人間関係は、ジャックの多大なる苦労と忍耐の上に成り立っているのだろう。

 カスパーにはそう思えてならなかった。

 しかし、その内心をよそに、ジャックは声を潜めて言葉をついだ。

 

「けれど、自分が最後の一人になるかもしれないんですよ」

 

「え?」

 

 聞き返すカスパーに、ジャックは苦笑になりきらない表情を浮かべた。

 

「ユピテル衛星支部で新しいプロジェクトが有るんですよ。大抜擢、と言えば聞こえは良いですが……」

 

 上もついに手を下さない訳にはいかなくなった、ということか。

 末端はいつまでたっても都合が悪くなれば切り落とされる存在にすぎないのだ。

 

「ご相談というのは、その件なんですよ。その、奴の異動後の……」

 

「あの子の……クレアのことですね」

 

 その言葉にジャックは鹿爪らしくうなずく。

 二人の目の前に無愛想な扉が姿を現したのはその時だった。

 慣れた手付きでジャックはパスワードを打ち込む。

 

「散らかっていますが、どうぞお入りください」

 

 ここなら煙草も平気ですから、と付け加えて、ジャックは部屋の奥へと消えた。

 取り残されたカスパーは、その言葉に甘え、煙草を取り出しつつ室内を眺めやった。

 四方を埋めるのは、今時珍しい本の山である。

 そして、さらに奥の壁には、一枚の写真が貼られていた。

 真ん中にいるのは、この部屋の主。

 その左手にいるのは、カスパーがここに足を運ぶ原因を作った人物。

 そして右側に写る人の顔は、無惨にも破られていた。

 

「配属された直後の写真ですよ。シャッターを切った奴も、もういませんが」

 

 コーヒーの香りと共にジャックは再び姿を現した。

 どうにか座る場所を確保し、お互いカップに一口付けてから、ジャックはおもむろに切り出した。

 

「……クレアを、普通の生活に戻してやりたいんです」

 

 今までとはうって変わった深刻な口調に、カスパーの手が止まった。

 茶色い液体を波立たせながら、ジャックはさらに続けた。

 

「このままでは、不幸になるのは目に見えています。できればあいつの赴任先へは行かせたくない」

 

「それはテルミン博士も同意されているんですか?」

 

 カスパーの言葉に、ジャックは首を横に振り、独断だ、と答えた。

 

「おいおい、奴に伝えます。同意が得られたら、協力していただけますか?」

 

 あまりの真剣さに押され、カスパーはうなずいた。

 何より同じ考えを持っていたのだから、断る理由は見当たらない。

 

「ありがたい。助かります。これで、また一つ……」

 

 ジャックが言いかけた時、不意にインターフォンが鳴った。

 怪訝そうな表情を浮かべつつジャックが扉を開けると、そこには一人の少女が立っている。

 

「クレア……今日はおとなしくしていなきゃダメだって言われなかったかい?」

 

 そう言うジャックの口調は優しい。

 そのジャックを見上げてクレアはわずかに口をとがらせた。

 

「だってᒍ、全然遊んでくれないんだもの。父様も約束守ってくれないし……」

 

 クレアの言葉に、カスパーは振り向く。

 そのカスパーに向けて手を振るクレアに閉口しながらも、ジャックはやや後方にたたずむ『人物』に声をかけた。

 

「エド、お前さんが張本人か……」

 

「エドは悪くないよ。わたしがここに来たいって頼んだの」

 

 反論するクレアの頭を優しく撫でながら、ジャックは言った。

 

「申し訳ないが、今日一日、構わないか?」

 

「結構ですが、システムプログラムの進行が約半日遅れると思われます。よろしいでしょうか」

 

 何気無い言葉に違和感を覚え、カスパーは身を乗り出した。

 そして、声の主の姿を見て息を飲む。

 

 感情の無い硝子色の瞳が、無感動にこちらを見つめている。

 確かに動いてはいるが、何か尋常ではない。

 直感的にカスパーは思った。

 

「お前さんの腕ならそのくらいどうにかなるだろう? 頼むよ」

 

 解りました、と答えると、『彼』はクレアの手を取り、カスパーに向けて一礼した。

 硬直するカスパーを気にするでもなく、『彼』はクレアを伴い白い空間へと消えた。

 

「すみません……驚かせてしまったようで……」

 

「あの方は、一体……」

 

 だが、ジャックはそれまでと人が変わったかのように寡黙になり、カスパーの問いかけに答えようとはしなかった。

 

     ✳

 

 ひとまず頼まれ物をジャックに託し、できるだけのことはする、と約束してから、カスパーは帰路についた。

 その道すがら、彼の脳裏によぎるのは、破れた写真と、エドと呼ばれていた『人物』である。

 

 なぜ写真は破られなければならなかったのか。

 そしてあの人は一体何者なのだろう。

 

 奇妙な違和感にとらわれたまま、カスパーは空を仰いだ。

 

『白亜の監獄』

 

 そんな言葉がふと浮かぶ。

 囚われているのはクレアだけではない。

 ジャックもしかり。

 そして、あの『人物』も……。

 

 いずれ、すべてが解る時が来るだろう。

 不確実な予感が、何故かカスパーにそう告げていた。

 

 それが現実の物になるのは、まだ先の話である……。



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