09 結良佐央理
「はぁ……毎度のことながら、この坂はホントにキツイぜ………………」
毎朝の事なのだが、この坂はさすがに精神的にも肉体的にも俺を追い詰める……、頭も体もまだ半分寝ている……朝に強くない俺にとっては尚更だ――――――。
なんとなく、今日もいつもの通り、日常を過ごしてしまうだろう。回転数の上がらない俺の有機CPUは、漠然とそんな事を考えていた………………。
「――おはよう優斗くん! 偶然だね!!」
憂鬱な気分で坂道を上っていると、聞きなれない澄んだ声が聞こえてくる。今日はどうやら、いつも通りではないらしい――。
「……えっと、どちら様で?」
「あ~、ひっどい! 確かに学年も違うし、接点はないけど……あたしの事を知らないなんて信じらんないッ!!」
「………………すみません」
「あたしは学生会副会長、三年の結良佐央理よ!? あたしの事、本当に知らない!?」
「………………すみません」
「あ~、本当にちょっとショック……、これでも学園人気トップだと噂されているのに……」
「なんか、本当にすみません………………」
「……仕方がないわね、まぁ、これからあたしのこと覚えていってね」
「……!? ……は?」
「いいから、いう通りにしなさい!」
「……はぁ」
突如、現れた学生会副会長の結良さんとかいう人は、そのまま強引に俺の左腕に自身の右腕を絡ませ、ぐいぐいと学園校舎まで先導していった。
「ちょ!? なにやってんですか!?」
「別にいいじゃない! これくらい!!」
「よくないですよ! 皆、見てるじゃないですか!? あんまり目立つ行為はやめてください!!」
特に他意はなかったのだが、俺がそういうと結良さんは急激に纏った空気を冷たく尖らせ、キツイ目つきで俺にいい放つ――。
「………………どうして? 目立つとなにか不都合でも?」
「――え!? あ、いや……別にそういう訳じゃ………………」
「……ならいいじゃないの」
「は、はぁ………………」
結良さんのあまりの迫力と急激なトーンダウンによる激しい精神の落差に圧倒されてしまい、俺はそのまま、彼女に流されるままになってしまった。情緒不安定というか、浮き沈みが激しいというか、なんとも気を遣わされる、腫物のような人だ………………。
「――あ、そうそう……ねぇ、優斗くん、今日の放課後って暇あるかしら?」
「え、放課後ですか? まぁ、暇といえば暇ですが………………」
「じゃあ、暇なのね? そういう事ならちょっと放課後に付き合ってもらうわよ」
「は? なに勝手にきめてるんですか!?」
「だって暇なんでしょ?」
「いや……まぁ………………」
「決定ね! じゃあ放課後に初代学長の銅像裏で待ち合わせだからね!! わかった?」
「はぁ……、わかりましたけど……放課後にいったい何をするんです?」
「それは秘密よ、放課後のお楽しみという事で……うふふ」
愛らしい含み笑いを見せる結良佐央理という学生会副会長さんは、強引に俺の放課後の時間を奪っていった……しかし、不思議な事になぜか一切、嫌悪を感じない。整った顔立ちに加え、その屈託のない笑顔が俺の心の壁をいとも簡単に崩してしまったようだ。
いつもとは違う朝を終え、いつもとは違う授業を期待していたのだが……そこは現実である、やはりそんなに甘くはない。いつにも増して陰鬱で退屈な授業が放課後まで続く。別に放課後を楽しみにしていた訳ではないのだが、退屈な授業を延々と受け続けるよりかは放課後の厄介事の方がまだマシだろう。そんな気持ちの表れなのか、俺は只々、鬱々としつつも、放課後を漠然と待ち続けていた――――――。
「――あ、来た来た! 優斗くんはおりこうさんね、ちゃんと約束守って来てくれたんだ!」
「約束っていうか……結良先輩が強引に決めちゃっただけでしょうに……まぁ、それでも約束は約束ですから、すっぽかしたりはしませんよ………………」
「うふふ、意外と真面目なのね。まぁ、なんにせよ、来てくれてありがとう!」
「……いや、まぁ、どういたしまして」
「じゃあ早速いきましょ!!」
「――は? いくって……どこへ?」
「そんなのデートに決まっているじゃない!」
「はぃぃぃぃ!? デ、デート!? なに言ってるんスか!? 聞いてませんよ!?」
「今、言ったじゃない! それに年頃の男女ふたりがする事って言ったら……そりゃあ、ねぇ」
「いやいやいやいや!! さすがにそれは……」
「……なに? 嫌なの? 佐央理じゃ不満かしら?」
「い、いえ……そんなんじゃないですけど………………」
「じゃ、決まりね! さぁ、いきましょう!!」
そういうと結良先輩はまた、俺の左腕に彼女の右腕を絡めてくる。まるでデジャヴのようだ……今朝の展開とほとんど変わらない。そして俺は、再び流されるままに結良先輩の強引さに抗えずに身を委ねていってしまった――――――。
「――ちょっと、腕を組むのはやめてください!」
「どうして?」
「どうしてって……公衆の面前であんまり目立つことはやめてくださいよ!!」
「……今朝から気になっていたんだけど、どうして優斗くんは目立ちたくないのかしら?」
「――え!? どうしてっていわれても………………」
「……なにかあるの?」
またもや急激にトーンダウンした声色で俺に疑問をぶつける。特に深い意味はないのだが、彼女の詮索するような、光の感じられない濁った眼でそう聞かれると、ついつい圧倒されてしまい言葉をつまらせてしまう。
「……女子と違って男子はそんなに自己顕示欲が強くないんですよ……特に結良先輩のような人気のある女子と腕なんか組んでいると周囲から恨み、つらみ、妬み、嫉み、そういったような諸々のやっかみや顰蹙を買う事になるでしょ? そういうのが面倒なだけですよ…………」
「………………それだけ?」
「それだけです……、面倒な事が嫌いな愚図なんですよ、俺は……………」
どういうわけか、やたらとつっかかってくる結良先輩は、こう答えた後も俺の事を粘ついた視線で見つめていた………………。
「まぁいいわ……時間はまだまだあるし………………」
「……? 時間?」
「ううん、なんでもないの……、さぁ、デートにいきましょう!!」
そういうと彼女はグイッと強く組んだ俺の腕を引っ張り、そしてそのまま学園を出て、駅前の繁華街へと先導していった――――――。
正直いって女の子はちょっと苦手でどうしていいかわからない……しかし、だからといって悪い気がするわけでもない。誰だって当然そうだろう。学園人気トップとも噂される結良先輩に好意を持たれ、その上、彼女の方から積極的にアプローチされ、リードまでしてもらえて悪い気がするわけがない。それどころか、普通の健康な男子なら舞い上がってしまってもおかしくはないシチュエーションだ……そしてそれは、俺にとっても例外ではない。
この日、おそらく俺は萎縮しながらも内心はきっと舞い上がっていたのだろう……、それを察してか、結良佐央理も俺の緊張を解くような接し方をしてくれて、笑顔を絶やさずにいてくれた。カラオケに行って、そのあとはファストフード店に行って、なんら中身のないおしゃべりをするだけの特別珍しくもない、これがデートといえるのかと思える程度のことをしただけだったのだが、彼女は本当に嬉しそうな笑顔を絶やさずに見せてくれて、そんな彼女をみていると俺もなんだか不思議と幸せな気分になる事が出来た――。
そして信じられない事にそんな幸せな日々はそれからもしばらく続き、結良佐央理は放課後になるといつも俺を呼び出し、駅前のカラオケ屋だのビリヤード場だの、ゲームセンターなどに連れて行ってくれた……本音をいえば小遣いが心配で仕方がなかったのだが、その辺も彼女は気遣ってくれて、俺のプライドを傷つけないように配慮しつつ、デートはいつも割り勘にしてくれた。時には奢ってくれる事さえあった……本来なら男の俺が全額負担するべきなのだろうが、情けない事に経済力は彼女の方が圧倒的に勝っているようだった――。
こんな僥倖がいつまでも長く続くはずがないことも解かってはいた、そして何故、俺なんかにこんなにもよくしてくれるのか、ささやかな疑問は拭えなかったのだが、この時、浮かれまくっていた俺は、そんな些末な事は棚に上げ、忘れたふりをして、少しずつ、少しずつ彼女に傾倒していった――――――。