妹の友達・涼子
「はるかも遅刻するぞ」
「舞依ちゃんのためなら喜んで遅刻するよ」
「はるかちゃん……えへへ、ありがとっ」
そんな話を3人でしながら、舞依を中学まで送っていた。
「舞依」
すると、はるかの後ろから妹を呼ぶ声が聞こえた。俺やはるか、呼ばれた舞依も声のする方をふと向いた。
その女の子は、赤みがかった髪をストレートに伸ばしており、キリッとした眼や厚めの唇が綺麗な顔立ちを更に端正に整えている。ハスキーな声ながら、どこかクールな印象を受けた。
パッと。俺は女の子と目が合った。女の子は俺に気づいたのか、一瞬目を見開いた後、慌てて視線を逸らした。
「おはようございます。はるかさん、ですよね。舞依からいつも聞いています。お邪魔してしまって、すみません」
女の子は丁寧に言ってから、ぺこりとお辞儀した。対するはるかは、『い、いえ……!』と、たじたじになりながら両手を振る。
「涼子ちゃん!」
舞依が嬉しそうな声をあげて、女の子に駆け寄る。それに応じるように、彼女――涼子ちゃんも、スタスタとこちらへ歩いてくる。
「おはよ、涼子ちゃん!」
「おはよう。舞依、『ちゃん』はいらないっていつも言ってるのに」
「あっ……えへへ、ごめん…………」
「…………それと、襟が乱れてる」
涼子ちゃんは、後ろを向かせて妹の制服の襟元を正し始めた。今度は俺と舞依の目が合って、舞依は照れくさそうに『でへへぇ……』と笑った。
「はい、直った」
涼子ちゃんはポンポンと舞依の肩を叩いた。舞依が振り返って『ありがと、涼子ちゃん!』と言うと、仕方なさそうに笑った。
そして、涼子ちゃんは今気づいたように俺を見た。凛々しい顔つきを更にキリッとさせて向き合う。
「はじめまして。舞依のお兄さん――ケイスケさんですよね。私、舞依の友達の涼子です。結婚したら、旦那さんの名字になりたいと思ってます。どうぞよろしくお願いします」
すごい自己紹介だな。俺は面食らいつつ微笑んだ。
「はじめまして。いつも妹と仲良くしてくれてありがとう。ちょっとうるさいけど、いい子だから、これからもよろしくね」
「はい。これからも、ずっとお世話になりたいと思ってます」
すごくいい友達を持ったなあ。俺は感心しながら、妹に目をやる。
「ほら、さっき話した、今度家に遊びにくる友達!」
「えっ…………あ、おう。うん、言ってたよな」
俺は戸惑いつつ返した。俺が異世界に行ってたのは、せいぜい15分程度だ。俺の体感では結構前にした会話だとしても、舞依からすればついさっき言ったことなのだ。
あまりに色々なことが立て続けに起き過ぎて、今朝の話とか忘れちゃいそうだな…………気をつけないと。
「涼子ちゃん。家はいつでも歓迎だから、遠慮しないで来てね」
「はい、ありがとうございます。…………あと、お兄さんも、私のことはどうぞ『涼子』って呼んでください」
「え?」
急な申し出に、俺は言葉を失った。だって、いくら妹の友達だからって、いきなり呼び捨てはさすがにちょっと抵抗がある。
俺が涼子ちゃんに馴れ馴れしくして、嫌な気持ちをさせて、舞依のことも嫌いになられたりしたら堪らない。
「い、いやぁ……それは、なんていうか――」
「ぜひ、『涼子』と。お願いします」
涼子ちゃんは射抜くような力強さで俺を見つめ、グイッと詰め寄った。
俺は、まるで蛇に睨まれた蛙みたいに竦んで、思わず半歩退がった。
だいぶ強情な子のようだ。
「わ、わかったよ…………涼子」
俺は半ば圧倒されて、つい涼子ちゃんを呼び捨てた。すると、彼女はニッと僅かに笑みを浮かべて、『はい』と応えた。
なんだ、この状況。
「あっ、お兄ちゃんずるい。マイもまだ涼子ちゃんのこと呼び捨てしたことないのに!」
「なら、舞依も『ちゃん』外せばいいじゃない」
変なところで対抗意識を燃やす舞依に、涼子ちゃんは澄ました顔で提案する。
「うんっ、そうだね。そうする」
舞依は納得し、そして決心したようだ。
単純すぎないか? こんな簡単に呼び捨てられるなら、もっと早くできたろうに。
俺の思いを他所に、舞依は涼子ちゃんと相対する。深呼吸して、心の準備を整えているようだ。そんなに勇気のいることなのか…………。
「いくよ…………リョーコ」
「棒読み。もっと自然に」
「――涼子」
「うん」
舞依に呼ばれ、涼子ちゃんは、さっきよりも朗らかな笑顔で頷いた。
もしかしたら、舞依ともっと仲良くなるために――呼び捨てさせるために、俺にもそうさせたのかもしれない。
なるほどな、と。俺は得心がいった。
「ねぇねぇ!」
やり取りが一段落ついたのを見計らったかのように、はるかが涼子ちゃんに話しかける。
「舞依ちゃんからいつも聞いてるってことは…………舞依ちゃんが涼子ちゃんに、いつもあたしの話をしてくれてる……ってこと!?」
迫真の勢いで問うはるかを、涼子ちゃんはキョトンとして見つめ返した。
「はい。小さい時から一緒に遊んでくれる、お兄さんと同い年の幼なじみがいると。この間も、渋谷でショッピングしたんですよね」
淡々と答える涼子ちゃんと、喜々として目を輝かせるはるかが、グレイには面白く見えた。
「そうなの! でね、なんか渋谷駅の近くで電車が脱線したとかで、結構人が集まってて凄かったの!」
「ニュースで見ました。かなり大変な事故だったみたいですね」
「マイもスマホで見たんだけど、車両がなくなってたり、乗ってた人が見つからなかったりしたんだよね」
盛り上がる女子トークに、俺もたまに参加しながら4人で歩いていると、やがて舞依と涼子ちゃんが通う中学校の近くまで来た。
「じゃっ、はるかちゃん、一緒に来てくれてありがとっ! 楽しかったよ! お兄ちゃん。今度は、はるかちゃんを一緒に高校まで連れて行ってあげてね」
舞依は踊るように振り返って言った。その隣に、涼子ちゃんがピッタリとくっつく。
「お兄さん、はるかさん。お話してくれて、ありがとうございます。嬉しかったです。これからも、どうかよろしくお願いします」
やはり丁寧に、涼子ちゃんは頭を下げた。
「じゃ、いってらっしゃい。舞依……涼子」
俺は言いながら、妹の友達を呼び慣れてないのがバレバレだなと悔いた。
「またねっ! 舞依ちゃん、涼子ちゃん」
はるかも、すっかり舞依のクラスメートを気に入ったらしく、我が子を見守る母のような顔をして手を振った。
舞依と涼子ちゃんは、それに応えながら、中学の正門を通り、校舎へ向かっていった。
さて、と肩を落とした瞬間。パッとはるかに手を引かれた。
「ほら、あたしたちも早く行こ! 遅刻しちゃう!」
「もう遅刻は確定でしょ」
「今からなら1限には間に合うよ! 爽華先生の現文、サボるなんて出来ないもん!」
はるかはクラス担任を引き合いに出して、高校へと駆け出す。手を握られ、俺は引きずられるように彼女の後に続いた。
いつもと同じ、平凡な日常。俺はその中へ溶け込んでいる内に、異世界のことなんか忘れかけていた。
俺の生きる凡庸で退屈で充足した現実が、目の前に広がっていた。