幼なじみ・はるか
「お兄ちゃん、なにボーッとしてるの? 早くしないと遅刻しちゃうよ…………って、すごい顔色悪いよ! 大丈夫!? ベッド行く? 寒い? なにかあったかいもの作ろっか? 今日はマイも学校休んで、付きっきりで看病するからね?」
呆然と立ち尽くす俺を見て、舞依は慌てふためく。俺は肩を揺さぶられながら、今にもパンクしそうな脳を懸命に回転させる。
俺はいつも通り登校しようと家の玄関を開け、気がついたら異世界に来てしまっていた。
異世界のお姫様――ティアラを拐おうとする暴漢3人を退けたのも束の間、混乱した頭を冷やすため洗面所を借りようとした。
そのドアを開けたら、目の前に妹がいて、家に帰ってきていた。
……俺、頭おかしくなったのか? 支離滅裂、荒唐無稽。立ったまま夢でも見てたって方がまだ納得できるくらいだ。
本当に、夢でも見ていたのか――なにが起こったのか、起きているのか、全く分からない。頭が真っ白だ。
「舞依……」
ひとまず、俺は妹の肩を抱く。夢だろうが現実だろうが、あの時感じた帰りたいという想いと、また舞依に会いたいという願いは間違いなく本物だ。
でなければ、こんなに妹に会えて嬉しいことはないはずなのだから。
俺は、普段は絶対にそんなことはしないが、舞依を抱き締めた。
「えっ!? ちょ、お兄ちゃ…………っ」
舞依は驚いたように身体を震わせ、俺の両腕を掴んだが、すぐにその指は、力なく俺の二の腕にもたれかかった。
妹が短く呻きながら、内股でへなへなと崩折れ、息を荒くしていくのが分かった。なんだか、段々と安心してくる。舞依と触れ合えたのはもちろんだが、もしかしたら、自分を頼ってくれる存在といると、不安なんて吹き飛ぶのかもしれない。
俺は落ち着きを取り戻し、舞依をちゃんと立たせて向き直った。顔は熱っぽく赤みを帯びており、口はポカンと惚けたように開きっぱなしだ。
――俺より舞依の方こそ具合が悪いんじゃないか? 少し心配になった。
「…………よし。ごめんな、舞依。急に抱きついたりして。お詫びに、今度プリン買ってくるよ。さあ、学校行こう。遅刻する」
俺は迷った末、舞依には何も言わないことにした――あの世界で起こったことは。
だって、信じられるわけないだろ? …………いや、舞依はもしかしたら、俺の話を信じてくれるかもしれない。
だからこそ、なおさら打ち明けられない。舞依は今年、高校受験なんだ。余計なことを吹き込みたくはないんだ。
「ぇ……? ぁ、うん…………」
ほら、急に俺がこんなことしたもんだから、舞依は混乱しているようだ。
脚は相変わらず内股だし、顔は伏しがちにして、何やら指先を控えめな胸の前でもじもじさせている。
朝から妹にこんな悩ましげな顔をさせて……兄貴失格だな、俺。
「今日は俺が中学まで送る」
舞依には悪いことをしたという罪悪感が、俺にそう言わせた。俺は妹の手を握る。後ろから、今まで聞いたことのない妹の声で『あっ』と、恋する乙女みたいなリアクションをしたのが分かった。
俺はドアノブに手を伸ばし、一瞬静止する。もし、また変なところに来てしまったら…………嫌な想像を振り払い、ガシッとノブを掴む。仮にまた異世界に来ても、今度は舞依も一緒だ。俺がずっと傍にいてやれるし、いつも守ってやれる。
大丈夫だ。扉を開けば、いつも通りの日常が待ってる――俺は自分に言い聞かせながら、玄関のドアを開けた。
「ケイスケー!」
ガチャ、と。俺以外の誰かが、外側からドアを開けた。あまりにタイミングが噛み合いすぎて、俺はドアを押し開こうとする勢いを抑えられず、前のめりに倒れかかってしまう。
『きゃっ』と後ろから舞依の悲鳴が聞こえた。まずい……このままじゃ、俺と手を繋いでる舞依も一緒に転んでしまう。俺は、咄嗟の判断で舞依の手を放した。
ペタ。なんとか両手で体重を支え、地面との激突は免れた。けど、同時に別の問題が浮上する。
俺はドアを開けた女性の前で、土下座の態勢になってしまっていた。
「ち、ちょっと……な、なにもそこまでして謝ることじゃないじゃない! あたし、ただ…………」
女性――というより、俺と同じ高校の制服を着た女の子が、玄関先で四つん這いになってる俺を見るなり、狼狽え始めた。
後頭部の高い位置で一纏めに結ったポニーテールを振るい、彼女は両手を腰に添え、前屈みになった。
見上げると、発育のいい胸が強調されているのも気づかず、女の子と目が合った。
「――幼なじみを、朝からこんなに待たせるなって言いたかっただけなの!」
彼女は内田はるか。さっき言った通り、俺たちは幼なじみで、しかも同じ高校へ進学し、今年はなんと同じクラスだ。
ていうか、俺たちは小学校から――もっと言えば幼稚園から――毎年ずっと同じ組だ。小中はクラスが少なかったからまだしも、一気にクラスの数が増えた高校でも一緒なんて、正直びっくりだ。
そもそも、なんではるかは俺と同じ高校を受けたんだ? 成績的にもっと頭のいいとこへ行けたのに――。
「だから、こういう時は先に行ってていいのに」
俺はゆらりと立ち上がり、幼なじみに言う。
「そ、そしたら舞依ちゃんに会えないでしょ!?」
はるかは、ずいと言い寄りながら、俺の後ろの妹に気づいた。
「舞依ちゃ〜〜〜ん! おはよーっ」
「おはよ、はるかちゃん!」
はるかと舞依は黄色い声で共鳴する。互いに抱き合ったり、頭を撫でたりするのは、もはや毎朝の日課だ。
はるかは、はっきり言って舞依のことを溺愛している。自分の妹みたいに思っているのか、互いの部屋にもちょくちょく出入りしているみたいだ。
また舞依の方も、はるかを心から慕っていて、土日のどっちかはほぼ毎週はるかと会っているらしい。
「――はるか。何度も言ってるけど、それはさすがにやり過ぎだと思うんだ」
俺は、はるかがポケットに入れようとしている物を指差した。
「ん、これ?」
はるかは『フフン』と得意気に、その掌にある物を見せびらかした。ジャラッと硬質な音が鳴る。桜のキーホルダーが付いた鍵だ。
「ずっと聞こうと思ってたけど、いつ家の合鍵なんて作った」
いつからか、はるかはこの合鍵で俺たちの家に出入りできるようになっていた。なので、たまに示し合わせたように2人で俺を起こしたり、晩ごはんを作ったり、洗濯したりする。
実際、助かる部分が多いのは確かだが、幼なじみとはいえ他人に家の鍵を持たれるのはすっごく不安だ。仮にはるかが合鍵を落として、不審者が拾い、俺が留守の間に舞依に何かあったらどうするんだ。
特に俺の下着を洗濯したり2人で長風呂するのは今すぐやめてほしい。
「え。年明けくらいに、佳助が高校に進級しちゃうからって、舞依ちゃんと相談して作ったんだよ。ね〜」
「ね〜っ。お兄ちゃんが部活とかバイトで、なかなか家に帰るタイミングが合わなかったりすると不便だから、はるかちゃんがたまに手伝ってくれてるんだもん、ね〜」
「ね〜。ってわけ」
たわけがドヤ顔をしていた。
この無用心なのが妹で、無遠慮なのが幼なじみだ。
俺の日常は、この3人を中心に回っているようなものだ。
「はるか。今日は俺、舞依を中学まで送ってくから、遅刻する。爽華先生に言っといて」
俺は、クラスの担任の先生への伝言を、不法侵入幼なじみに告げる。
「えっ、なにそれ。あたしも一緒に行く!」
「え」
「やったー! はるかちゃんと登校だー!」
――ってわけで。俺たち3人は、舞依の中学まで一緒に行くことになった。