プリンセス・ティアラ
俺は妹の舞依と別れ、高校へ通学しようと家を出たはずだったが、気がついたら見知らぬ場所にいた。
3人の悪漢が女の子を拐おうしているのを助けるため、刀を武器に悪漢の内2人と対峙する。
すると、俺は一瞬の早業で2人を倒してしまった。剣道二段 (ブランクあり) の俺がこんなに強いなんて…………一体どうなってるんだ――。
「ただのガキにしては、速いじゃねえか。力もある。一体――」
悪漢の最後の1人である眼帯男が言っていると、ドタドタと壁の向こうからたくさんの足音が近づいてきた。
「姫様ー!」
「総員突入用ー意ッ!」
「「「オオォ!!」」」
どうやら、拐われかけていた彼女を助けに来たらしい。よかった。とりあえず、これで彼女の身の安全は確保できそうだ。
ていうか姫様って、それじゃあさっきのプリンセス呼びはガチなのか――。
胸の浮くような安堵を覚えていると、眼帯男が俺の横を通り過ぎ、ガリガリ男と巨漢をそれぞれ片腕で抱え、傍の窓をパリィンッと蹴り割った。
「今度は覚悟しておけよ。次は俺が直々にてめぇを殺してやる。いいか、俺はてめぇを殺すぞ」
眼帯男はドスの利いた声で、俺を直視しながら宣言する。眼帯に隠されていない方の眼が、凄まじい圧を放っている。本気だと、すぐに分かった。
それに、ガリガリ男はまだしも、あの巨漢の図体を片腕で軽々と持ち上げるなんて……只者ではなさそうだ。
「せいぜい余生を楽しみな。…………ではプリンセス。また近い内に拐わせていただきますので、それまでしばしお待ちを」
眼帯男は皮肉混じりの言葉遣いで拘束されたままの彼女に言い、窓から跳び出した。
俺はしばらく呆然としていたが、やがてハッと我に返り、手足を縛られている彼女の元へ駆け寄った。
「もう大丈夫。今助けるから」
俺は彼女の傍らで膝をついた。潤んだ瞳が、俺を見つめる。彼女はうんうんと激しく頷きながら、モゴモゴと何か言っている。
俺は手足の縄を解き、それから口を塞いでいた猿ぐつわを外した。
ハァ、と彼女の呼吸が聞こえた。かと思えば、彼女は、なんと俺にいきなりガバッと抱きついてきた。
「あぁ、怖かった……あなた様、助けてくれて、本当にありがとうございます。私――」
目が合う。その瞳は朝の太陽のような金色で、銀色の長髪は穏やかな川の流れのようだ。
ハッキリした線の顔立ちはこれまで見たことがないほど綺麗で、俺の胸に強く押しつけられる2つの大きな太陽の存在に、丸っきり気がつかないほどだ。
かわいい――俺は、珍しく人の第一印象を外見から受けた。
次の瞬間、バァンッと扉が吹き飛ばされ、大勢の鎧を着た男たちがガシャンガシャンと金属音を鳴らしながら雪崩れ込んできた。
「引っ捕らえろーッ!」
「「「オォ!!」」」
号令と、食い気味の応答。俺はあっという間に男たちに組み敷かれた。借りた刀も、気づいた時には手元になかった。
「待って! 違うのです! この方は――」
彼女が何か言おうとするが、後から入ってきたタキシード服の立派な髭を蓄えた老紳士に遮られる。
「姫様! 嗚呼、よくぞご無事で……姫様の御身に迫る危険を事前に察知できず、誠に申し訳ございません。どうかご容赦を。さしあたって、たった今、悪虐の暴徒を捕らえ――」
「違うのです、ルドルフ! この方は私を助けてくださったのですわ! 皆、どうか彼を自由にして。この方への暴力は、私が許しませんわ」
鎧を着た男たちは戸惑ったように顔を見合わせ、やがて俺の腕を放し、のしかかっていた俺の体からどいた。
「なんと……このような若者が…………」
老紳士が品定めするように、俺を爪先からつむじまでジロジロ見た。
俺は鎧を着た大勢にのしかかられたり、鎧がたちこちぶつかったおかげで、全身の鈍い痛みで少し苛立った。
「事実ですわ。この方は、私を助けてくださいました」
スッと差し伸べられた手の先を、俺は見上げた。彼女だ。やっぱりかわいい…………それに、さっきは気づかなかったが、彼女は純白の綺麗なドレスと、赤や緑の宝石が煌めく冠をしている。
俺は、その整った容姿ときらびやかな衣装に圧倒され、呆然とその手を取った。
「無礼者ぉ! 本当に御手を借りることがあるかぁ! 姫様の由緒ある護身刀を使ったり、この方をどなたと心得ての愚行かぁ!?」
他よりも重厚な鎧を着た、強面の男の人が怒鳴ってきた。俺は彼女に見惚れていた不意を突かれ、ビクッと肩を震わせた。
「フレッド隊長、良いのです。この方は命の恩人です。手を貸して差し上げることくらい、当然ですわ」
彼女がたしなめるように言うと、男は『ははぁ!』とひれ伏した。
「申し訳ありません。どうか、皆をお許しください。皆、務めに忠を尽くしているだけなのです」
彼女が頭を下げたので、俺は慌てて首を振った。知らないとはいえ、お姫様に馴れ馴れしくしちゃったのは、普通に俺が悪いところもある。
「いや、別に気にしてない。俺も、あなたが誰なのか分からず、失礼なことしたのかもしれない。すみません……」
俺も頭を下げる。ふと見上げると、彼女はキョトンとした顔をして、俺を見つめていた。周りの男たちも、啞然としているか、さもなければ今すぐ俺に飛びかかりそうなほど顔をしかめていた。
すると、彼女が『フフ……』と無邪気な笑顔を見せる。
「申し遅れてしまいましたわね。私、ティアラ・ノーザン・ヴァルスと申します。どうぞ、お見知りおきを」
恭しい所作で名乗る姿には、俺にはまるで雲の上のような気品が感じられた。
ティアラ――外国人なのか。まぁ、それは顔を見たら分かるけど。にしても日本語ペラペラだなぁ。
そんなことを思っていると、『オホン』とわざとらしい咳払いが、すぐ近くで聞こえた。いつの間にか傍らに立っていた老紳士――ルドルフが俺に冷ややかな視線を送っていた。
「姫様こそ、栄えあるヴァルス王国を統治なされるシュトラウス国王の御息女にして、王位継承者であらせられる。分を弁えよ」
ヴァルス王国? シュトラウス国王? なんだか、聞いたことない国名が出てきたな……え、マジでどうなってるんだ?
俺、日本にいたよな? 家の玄関から出て、鍵かけて――外国に来ちゃったのか?
やばい、頭クラクラしてきた。
「どうかしましたか? お体の具合が良くないように見られますわ」
ティアラが心配そうに俺の顔を覗き込む。綺麗な顔が、ふと視界に入る。なんか熱っぽい気がしてきたけど、多分気のせいだ。
「いや…………あの、すみません。質問、してもいいですか?」
恐る恐る訊ねると、案の定ルドルフや強面の――フレッド隊長が口を開きかけたが、その前にティアラの笑みが見えた。
「はい。もちろんですわ」
ニコッと。彼女が笑うだけで、何人か発熱を訴えるだろうと思った。
「あの……ここ、どこですか?」
ティアラの表情に、さっきよりも濃く困惑の色が浮かぶ。なんなら少し首を傾げている。
変なことを言っているのだと確信したが、本当に分からないんだから仕方ない。
口が裂けても言えないが、今はすぐにでも家に帰って、舞依の顔が見たい。
「ここは……ヴァルス王国ですわ。王宮の、私の私室です」
俺は天井を仰いだ。答えてもらったけど、分からない。どこだ、そこ。こんなことなら、もっと地理とか世界史の勉強しとけばよかった。
ヴァルス王国なんて習ったっけ…………。
「改めまして、先ほどは助けてくださり、本当にありがとうございます。ぜひとも、なにか御礼をさせてほしいですわ」
ティアラが、なぜか目をキラキラさせながら、ズイッと俺に歩み寄る。今の俺には、ちょっと眩しい。
なんなら鬱陶しい。
「あー……じゃあ、お水もらえますか? あと、洗面所を借りたいです」
喉がカラカラだった。極度の緊張と精神的な疲労だ。少し冷静にもなりたい。
ありがたいことに、ティアラは『そんなことでよろしいのです?』と、自室の洗面所の場所を指差して教えてくれた。
「私、お水をご用意いたしますわ」
ティアラが、反対側のベッド脇にある水汲みを取りに行く。ルドルフやフレッド隊長が制止しようとしたが、ティアラは『私がやりますわ!』と頑なだった。
俺はそのやり取りを聞きながら、教えてもらった洗面所のドアを開ける。
ああ、どうしよう――俺は目眩にも似た感覚に襲われ、途方に暮れながらドアを閉めた。
「あれ。お兄ちゃん、忘れ物?」
バッと目を開けると、目の前に妹がいた。
そこは見慣れた家の玄関だった。