05. 他人と比較しない
上には上がいてそこに際限はない。
あなたがある人Aに劣等感を感じているとする。
しかしそのある人Aにも上の人がいて、ある人Aはあなた以上に上の人に劣等感を感じているかもしれない。
もしくは、ある人Bはあなたに劣等感を感じているかもしれない。
上と比べれば落ち込み、下と比べれば優越に浸って調子に乗る。
比較すればするほどキリがない。国内で最も頭が良い人でさえ、世界で最も頭の良い人に対して劣等感を感じているかもしれない。そして世界で最も頭の良い人でさえ全知全能なる神に対して強烈な劣等感を感じているかもしれない! それに比べたら自分の劣等感なんかちっぽけなものに思えてしまう。
結局、絶対的比較対象は過去の自分しかいない。
常に何をするにしても自分を基準にする。
誰かと比べたところで上には上がいるから、ただ落ち込むだけだ。
『過去の自分』よりも『今の自分』が少しでも前に進めていればそれで良い。
他人と比較したときというのは、その結果しか見ていない。
結果だけを比較してしまって、そこに至るまでの過程が省かれている。
その過程こそ最も重視しなければならないもののはずである。
「あの人は何でもできてすごいな……。それに対して自分は何もできない……」
「あの人は何でも知っていてすごいな……。それに対して自分は何も知らない……」
まだできないことがあったり、知らないことがあるのはとても幸せなことである。なぜならそれができるようになったり、知ったりする純粋な感動がまだ残っているからである。
感動的なゲームをしたり、音楽を聞いたり、本などを読んで、
「もう一度、記憶をなくしてやりたい、聞きたい、読みたい!」
と思ったことはないだろうか。
二周目もたしかに感動するかもしれないけど、最初に味わった感動を陵駕するほどではないだろう。最初に味わう感動ほど強烈なものはない。
だから初めて新しいことを知ったときの新鮮で強烈で純粋な感動というものを忘れてはならない。それは一度しか味わえないものだからだ。やればやるほど、学べば学ぶほどそういう感動的な経験は徐々に減っていく。だから無知、無経験であることに劣等感を感じる必要はない。むしろまだ楽しみが残っていると思った方が良いだろう。楽しみがまだ残っているというのはとても幸せなことである。
そして忘れることを恐れてはならない。忘れたらもう一度楽しむことができると思ってプラスに考えよう。覚えることが目的であってはいけない。覚えることは結果的なものに過ぎない。一番の目的は楽しむことにある。楽しんでいればそれが嫌でも記憶に残る。
子どものような心をもって、何事も純粋に楽しんでいこう。
そして自分の中での金字塔を何個でも作り上げていこう。
ほかの人には当たり前にできることでも、あなたにできなかったことができるようになれば、それはとても素晴らしいことだ。
そしてその努力の蓄積こそ、あなたにとってお金にはかえられない一生の財産になる。
そして死ほど平等なものはない。どんなに頭が良い人間も永遠に生きることはできない。
だからそこまで悩み続ける必要はない。