プロローグ① 伝説
日が山の稜線の裏へと沈み、空の燃えるような赤色が段々と薄まっていく。今日中に村に到着するのは無理そうだな、とリチャードは思った。王都の城はだいぶ遠くに見える。
アシェラ王から賜った勅令により、リチャードは馬車の手綱役として兵士を一人連れ、王都の南西にあるイニア村に向かっていた。秘匿かつ国の重要な命令なので、必要最低限の人数で任務に当たる。
「ここで野宿としよう」
リチャードは兵士に言った。兵士は手綱を木にくくり付けてから、小枝を集め、火打石で火をつけた。焚き火を囲みながら、荷物袋から干し肉を取り出して噛みつく。
「今年も不作になりそうですね」
「雨がほとんど降らなかったからな。それに、病害もイナゴも流行しやがった。三重苦だ」
王都からここまで見てきた麦畑の多くは枯れていた。麦畑に豊作の願いを込めた案山子が、物悲しげにいくつか立っているのも見た。枯れた畑を守る案山子ほど皮肉なものはない。
こんな世の中では願いは何の役にも立たない。けれども、猜疑と不安の霧に覆われているからこそ、人は荒唐無稽の願いに一縷の望みをかけてしまうのだろう。
本当に必要なものは住居であり、食物であり、健康であり、金であり、それらさえあれば生きていけるのだ。民はそれらを手に入れるのもままならないのだが。
「つくづく兵士になれて良かったと思いましたよ」
「今後おまえがクビにならなければな」
「勘弁してくださいよぉ。冗談にもならないです」
「すまんすまん」
リチャードは平謝りをしながら、白い歯を剝き出しにして笑った。
焚き火の炎で顔の表面でゆらいでいる。
「預言は確かなのでしょうか」
「ノヴィース家は三百年間で一度も外したことがない。その土地に行けば必ず赤子がいる」
干し肉を食べ終えたリチャードは横になった。
「俺は先に寝る。二時間ごとに見張りの交代するから、その時になったら起こしてくれ」
「了解しました」
リチャードはマントで身体を覆い、眼をつむった。
三百年前、勇者は魔王を倒し人類に平和をもたらした。それ以前は魔族が人類を支配していたという。
魔族は魔法が使えて、人類は使えない。そのため、人類は身体能力の乏しい劣等種族とみなされ、奴隷として働かされていた。それに耐えられなくなった一部の人類は魔族に反旗を翻し、その連鎖反応で次々と反乱が起こった。
しかし、魔族の魔法の力は強大であり、その反乱のほとんどが鎮圧された。反乱の炎が消えかけた時、どこからともなく勇者が現れ、オセロのように黒から白に、劣勢から優勢に人類の立場を逆転させたのだった。
魔王を倒した後、勇者は王となって人類を束ね、荒廃した世界に新たな秩序を確立し、慈悲深い名君として世界を治めた。
だが、勇者は病に罹り亡くなった。皆に惜しまれながら息を引き取る間際、勇者はある言葉を残した。
”我、肉体が滅びようとも魂は滅びぬ。死してまた復活し、永久に平和を齎さん”
勇者が崩御すると、勇者のパーティだった魔導士のノヴィースが復活の地の預言し、そこで誕生した子供を勇者とした。
それからというもの、政治は初代勇者の子孫の王家が行い、復活した勇者は人類の象徴として世界の平安を保つのを務めとしたのである。