邪魔な陽光
実りの国ナーヌス。
ケジンスは、そこで農家として暮らす好青年だ。
ケジンスの1日は、七人兄弟の中での誰よりも早く始まる。
壁から吊り下げるタイプの簡素なベッドから身を起こし、手早く着替えを済ませる。
今日は、季節相応と呼ぶには少し肌寒い。
家畜として飼っている魔法生物、グリフォンの世話をする為に、オーバーオールと部分鎧を組み合わせて作られたお手製の作業着だ。
顔を洗い、グリフォンの体を洗う為の首の長いモップ状の器具を手に、別棟である飼育施設に向かう為、玄関より外へと出る。
ケジンスは眼前に広がるその光景を見て、ただただ絶句する。
一面に生えた野草が、真っ白な霜を纏っている。
周囲には雪虫と雪の下級精霊が飛び交い、体温の足りない子牛達が雪を纏い死んでいる。
初めは見間違いを疑ったが、やはり空から舞い降りているのは粉雪だ。
「…は?」
昨日までは、何と言う事も無い夏の終わりの様相だったその景色は、たった1日、たった一晩で真冬へと変貌していた。
ケジンスは自身の頰をつねるが、あいにくこれは夢では無いらしい。
考えられる可能性が二つ。
一つ、何かの間違いで《アブソリュートワイバーン》でも通り掛かったか。
そしてもう一つ。何者かによる故意、又は事故による魔法暴走だ。
ただその何方にせよ、解りきっている事が一つだけある。
「…畑が!」
ナーヌスの食料生産能力が、部分的、又は完全に、最悪数年間は麻痺を起こす。
畑の調整、寒波から作物を守る結界の設置、輸出入の管理。
その何一つが行われずに冬を迎えてしまったも同義なのだから。
「おいまさか…」
物騒な噂話としか思っていなかった。
ジョックドゥームの一件も、そんな噂話に付いた尾びれ、ただのでっち上げだと思っていた。
物騒な噂話の内容が、現に此処に実害を持ち始めたのだ。
ナーヌスの繁華街にあるケーリレンデ帝国大使館には、早朝だと言うのに既にパニック状態の大勢の民衆で溢れ返っている。
咎人の噂を知る知らない問わず、皆がこれは何事かと帝国に問う。
「うちの畑が全滅したんだ…!どうすんだよ…冬越せねえぞ!」
「お願いします!どうか手厚いご支援を!」
混乱する民衆を、帝国は収める術を持っていない。
それは何故か。
「寒冷域の拡大が加速だと!?一体どう言う事だ!」
「前提が間違っていた…あんなの《竜氷》じゃ無い…加速度からしてあれは《竜創界》か…?」
帝国もまた、パニックになっていたのだ。
ケーリレンデ帝国第3居城中央謁見室にて、深夜から、第三皇子直属の家臣による緊急会議が開かれている。
咎人の存在を、他の皇子、及び全世界に公表するか否かの会議だ。
今や帝国は愚か人類共通の脅威となったティーミス。
第三皇子一派と冒険者協会だけで抱えるには、あまりにも問題が大きくなり過ぎてしまった。
「しかし、そんな事をすれば皇子のメンツが…」
「もうそんな事を気にしている暇も余裕も、今の我々には残されて居ないのだぞ!」
玉座の間の正面に据え付けられたドーナツ型の円卓を、若老様々な役人達20名程が囲んでいる。
これだけの人数と知恵が揃ってもなお、明確な答えが出せずに居る。
「しかし、当のギズル陛下は一体何処へ行ったと言うのだ!」
「今朝早くにナーヌスへと赴かれた。我々の決定に従うと言う、言伝も残しておいでだ。」
と、若い役人が一人、奮起した様に手を挙げ発言する。
「このままではラチがあかぬ故、一先ず投票を開始する。公表、及び帝国本部に協力を仰ぐに賛成の者は!」
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会いたいと言う気持ちはあるのに、会いたい人物が居ない。
ティーミスの心は、そんな矛盾を抱えている。
少し傾いた午前の太陽に照らされたなが、ティーミスは窓辺のベッドでスヤスヤと寝息をたてている。
昨晩は夜通しでの狩りだった上数日間起きっぱなしのティーミスには、休息が必要だ。
一瞬空がくすむが、その程度の事ではティーミスは目を覚まさない。
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【アカギンスオイル】
アカギンスの新芽より抽出したハーブオイルです。
一滴舌に乗せれば極上の安眠を得られる一方、非常に高価な上劣化も速い為、市場にはあまり出回りません。
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ダンジョンの財宝の中にあった物を半信半疑で使ったのだが、結果は上々だった。
これならば、天照らす陽光でさえティーミスの眠りを邪魔する事は無い。
空は次第に橙色に染まって行き、熱により陽炎が生じ、特に魔法の掛かっていないティーミスの家の外壁が融解を始める。
次第に、部屋の中のティーミス以外の有機物が自然発火を始める。
空と大地が紅蓮に包まれ、アトゥを飲み込んだ一つの太陽、否、太陽の如き巨大な火球が、内包する全てのエネルギーを解き放ち爆裂する。
旧アトゥ植民区にあった全ての物が、巨大な熱波と爆風によって塵と還る。
「…にぇ…?」
そうしてようやく、ティーミスは不機嫌な目覚めを迎える。
目を覚ませばあらびっくり。
先程までアトゥの廃都だった筈の場所一面が、燃える瓦礫が散在するだけの黒い更地になっている。
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以下のバフを獲得します。
【火属性耐性】
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ティーミスは肩に灯った火を払い消しながら、何事かと周囲を見回す。
否、大体予想はついていた。
「奴の体力は!」
「4分の1…いえ、36分の1の減少を確認!」
「…《テラフレア》で…それだけか…」
テラフレア。
本来ならば攻城戦の最終手段として用いられる、超広範囲超高火力を誇る火属性攻撃魔法。
綿密な下準備と詠唱計画が必要なこの魔法だが、騎士団はティーミスの留守を狙い、一週間ほど前から準備を進めていた。
最終手段であるはずの最強魔法を、開戦の一撃に使うと言うのは、完全に常軌を逸した行動だ。
第三居城での多数決の結果、咎人に関する情報の公表を決定した。
が、それに異を唱えたのは、議会の決定に従うと言っていたギズル皇子本人だった。
そのままギズルは、議会の反対も押し切り、事もあろうか咎人の討伐の決行を独断によって決定したのだ。
最も不幸なのは、その無茶に従わざるをえなかったギズル派閥所属の騎士達と、
「…ぬいぐるみが…炭になっちゃいました…」
唐突な嫌がらせを食らったティーミス自身だ。
「前衛部隊、突撃開始!」
明らかに兵力不足な騎士団の一部が、ティーミスに向けて突撃して来る。
まだアロマの効果が残っている寝起きのティーミスにとってそれは、ただの嫌がらせでしか無い。
「ぬいぐるみ…折角作ったのに…」
突進して来るあの騎士団の事情など知らない。
槍を向け向かって来る以上、敵、否、的以上の何者でも無いのだ。
もしかすれば、何かとんでもない奥の手があるのかも知れない。
もしかすれば、突然強大な猛者が現れるかも知れない。
ティーミスは、向かって来る兵士達に先ずはそんな恐怖を抱く。
恐怖から逃れる最も単純な方法と言えば、主に二つだ。
一つは逃走。そしてもう一つは、闘争。
やられる前にやってしまえ。
「ぬいぐるみ…また作らなきゃですね…」
騎士達の突進が、ティーミスの顔を確認出来る程度の場所で不意に停止する。
騎士と言えど、その殆どは騎士である前に一人の人間と言う種の生物。
人間のスケールにおいて、ティーミスは災害も同列。
近付くな、関わるな、今すぐ逃げろ。
騎士達の中に眠る生存本能が、最初で最後の大号令を挙げる。
「…背を向けてはならない…騎士たる者…常に…前を向け…
…うおおおおおおおおおおお!」
勇気ある騎士が一人、本能の声を振り切り更にティーミスとの距離を詰める。
これで技量があれば、希望があったのかも知れない。
ティーミスは上着をギリギリの所までずらし、出来る限り鳩尾を露出させる。
「うぐ!?」
剣を振り上げた騎士の両手を、ティーミスは右手で掴む。
その騎士に隙が出来た所で、鳩尾から赤黒い腕を伸ばす。
赤黒い腕は、時々痙攣しながら少しづつ騎士の方へと伸びて行き、唐突に切り落とされる。