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冷刃

朝。


「ん…うーん…」


キエラは大きく伸びをすると、カーテンを閉め、勢い良くベッドに身を委ねる。

軋んだ木床。シミ汚れの目立つ壁。天井には雨漏りの後もくっきりと染み付いている。

お世辞にも良い部屋とは言えなかったが、身を休める分には問題無い。

幸いにもカーテンが分厚い作りだった為、睡眠には邪魔な日の光は、部屋に入っては来れ無い。


夜に舞い朝に眠る。

キエラの生活スタイルはすっかり堕落しきり、育ち盛りの少女にとっては不健康極まりない物になっていた。

キエラ自身はそれが良い事では無いとは分かっていたが、改善のしようも無いと割り切っている。

少なくとも今回は、そんな生活の変容によって命が救われる事になる。


「…?大家さんかしら…」


奥の部屋から僅かな物音が聞こえ、キエラはよろよろと布団より這い出る。

次の瞬間、キエラの背後より回された手が、キエラの口鼻を布で力一杯覆う。


「…!?」


キエラはもがくが、相手は大の大人の男性らしい。

次第に四肢に力の入らなくなっていく感覚を覚えながら、キエラはその意識を少しづつ閉じて行き、そして、


“コンコン”


ドアを叩く音によって、不意に拘束から解放される。


「…はぁ!」


キエラは直ぐに腹一杯に息を吸い込むと、そのまま玄関のドアを勢い良く開ける。


「うわ!?」


玄関の前に立っていたのは一人の若い男。

短い茶髪に、同じく茶色い瞳。一見痩せている様に見えるが、袖から覗く腕にはしっかりと筋肉が隆起している。

この宿屋の、キエラの隣の部屋を借りている者だ。


「はぁ…はぁ…」


冷や汗を垂らし息を切らし、下着姿のまま飛び出してきたキエラの様子を見て、男は“もう少し静かにして欲しい”と言う苦情を入れる気を失せさせる。


「あの、大丈夫ですか?」


「部屋に…部屋に誰かが…!」


「誰か?」


男は首を傾げつつ、キエラの部屋の様子を覗き込む。

人の姿は見えなかったが、ベッド周りが異常に荒れている。


「…分かりました。僕は宿主さんを呼んできますから…」


「い…嫌…一人は嫌だ…!」


「わ…分かりました。では取り敢えず、着替えを済ませて下さい。僕はその、貴女の望む場所で待っていますから。」


男は内心、キエラの事を疑っている。

ただ、良からぬ薬にでも手を出してしまっただけでは無いかと。

そう言った非行行為に走るにはキエラは少し若い気もしたが、全く有り得ないと言う話でも無い。


「その、お待たせして申し訳ございませんでしたの。」


「…ええ、では…」


男はキエラの姿を見て、はっと息を飲む。

最初は、ただ小柄なだけかと思っていた。

キエラは、男が想定していたよりもずっと若い。

キエラはまだ、子供だった。


(…15歳…少し下か?一体どうして、女の子が宿住まいなんか…)


見たところ、親らしき人物は見当たらない。

と言うより、親も誰も同居人が居ないからこの怯えようなのだろう。


「…では、行きますか。」


この場所から宿主の部屋までは、そう遠い訳では無い。

階段を一つ降りて、廊下を二つ渡った先だ。


「…っひ!?」


「大丈夫です。ただの風の音ですから。」


一本目の廊下でたまたま宿主と出会うまでは、キエラは終始怯えた様相を見せていた。


「おや。キエラちゃんにプラ君じゃ無いか。どうしたのかね?そんなに慌てた様子で…」


赤い髪に赤い髭の、50前後程のしっかりとした雰囲気の中年男性。

彼が、キエラの住む宿屋の主人である。


「部屋に誰かが入ってきたって、この子が…」


「何?キエラちゃんの部屋に泥棒かい?」


「この子はそう言っているんです。」


「ふぅむ…」


宿主は、自身の赤ひげを軽く撫でると、二人を連れて警備室にまで向かう。

ただ、警備室と言っても、応急処置用の道具箱と宿に貼られた探知結界の管理を行う為のスクロール紙が壁に貼り付けられているだけの、倉庫を改造した簡素な物だが。


「ふぅん…結界には、昨日の夜に帰って来た僕の記録を最後に何も…待てよ。」


探知結界。

結界と言っても障壁の様に防御力がある訳では無く、結界への物の出入りをただ記録するだけの物だ。


「キエラちゃんが帰って来たのは今日の早朝の筈…記録が残っていないのはおかしいぞ…?」


その時だった。


「ひ!?」


キエラの喉笛に、銀色のナイフがピタリと当てられる。

彼の仕事は、これにて完遂だ。


「…!?《薙ぎ払い》!」


キエラの隣人であり冒険者である、この男が居なければの話だが。


「…ッチ…」


こうなれば、存在を無視させる精神作用を持つマジックアイテム、《避目のマント》も意味が無い。

暗殺者は任務の失敗を悟ると、黒い靄の様な姿に変わり、次の瞬間には何処かに消え去る。


「はぁ…はぁ…大丈夫ですか!」


剣の代わりに握っていた箒を放り投げると、男はキエラの元に駆け寄る。

幸いにもキエラは、首に軽く赤い跡が付いただけで済んだ。


「は…はい…」


腰が抜けて立てなくなっているキエラに、男は手を差し伸べる。

キエラは男の手をとると、よろよろと立ち上がる。


「参ったな…宿主を始めて短い訳じゃ無いが、こんな事は初めてだ…」


考え深そうに考察に耽る宿主に向けて、キエラはぺこりと頭を下げる。


「申し訳ございません、わたくしのせいで…」


「ん?あいや、うちの客様を狙った暗殺者騒ぎは、今までも無かった訳じゃ無いんだ。

今回は、いつもとは奴さんの本気度が違ったが…まぁ、いつも通りの対処法で何とかなるだろう。」


「こ…これ以上ご迷惑をお掛けする事なんで出来ません!わたくしは今日付けで…」


「何言ってんだい。迷惑掛けてるのはさっきのマントの兄ちゃんさ、君じゃ無い。

まあとにかく、いつも通り廊下はゴーレムを巡回させて、結界を少しばかり硬くすれば良い話さ。」


宿主は、軽い調子でケラケラと笑う。

ゴーレムの召喚も結界の改造も決して容易い事では無いが、人命を守るには安い物だ。


「…その、本当に良いんですか?」


「なあに。事情は良く判らないが、可愛い踊り子ちゃんをいじめる悪い連中は俺がこの手で懲らしめてやるわ。な?プラ君。」


「え?踊り子?…ああはい。手応えの感じ、第2等級って感じだったので、多分行けると思います。」


此処に居る者は誰も、キエラの素性を知りたがりはしない。

ただ、目の前の困れる隣人、又は客の為に、全身全霊を賭けているのだ。

キエラはそれが、主教としての自分でも踊り子としての自分でも無く、キエラ・イスラフィルとしての自分が愛されている気がして、少し嬉しくなり、同時に恥ずかしくもなる。


(…わたくしはいつも、守られてばかりですわ…)


キエラは、決して無能者と言う訳では無い。

エヴォーカーとしての才能を持って生まれたにも関わらず、まだ召喚獣との契約を果たせていないだけだ。

キエラの契約対象となる召喚獣を見つけ、戦い、契約する事が出来るのは、世界中でキエラだけだ。


(…わたくしも早く、自身くらいは守れる様にならなければ…)


キエラにはもう、護衛騎士団も居なければ国直属の守護聖獣も居ない。

自力で生きていかなればならないのに、いつまでも非力なままでは駄目だ。


「…すいません、プラ…様。」


「?どうかしました?」


「プラ様は冒険者なのですよね。…その、《誓約の石群》に連れて行っては下さいませんか?」


《誓約の石群》。

太古の昔。まだ人類すらも生まれていない時代に何者かによって建てられた、円形に並べられた石群の遺跡。

魔力の源泉としての性質を持ち合わせて居るが、その最大の機能は、エヴォーカーと魔獣の引き合わせだ。

全エヴォーカーの役7割がそこで契約を果たすと言われており、現在は特例として冒険者協会が保有している。


「え?ええ、構いませんが…いつにしますか?」


「今日で結構ですの。」


一般的に、召喚獣との契約は20前後になってから行う事が殆どだ。

が、子供のうちに実力が身に付きさえすれば、別に子供だからと言って契約不可能では無い。

最年少記録は8歳での契約だ。


最も、幾ら年を重ねても、実力が無ければ契約は叶わないが。

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