死体泥棒
略奪。
対価無くしての物体の取得。
価値への否定。
罪だ。
“では、簒奪者からの略奪は罪だろうか。”
一人盗人が現れれば、そうして秩序は壊れて行く。
雪の上をサンダルで踏み締めながら、ティーミスはゆっくりとスノーエルフの元まで歩き寄る。
「人間!?一体どうやって…」
ティーミスの手首には、微かに氷の欠片がこべりついている。
先程までティーミスを監禁していたトシュの家の壁は、物理的な力で破壊されている。
「お前…まさか集落の者を!」
「みんな逃げて行きましたよ。貴方の妹さんか恋人さんかは判りませんが、あの方も他の方に連れられて逃げて行きました。あの村は…」
ティーミスはふと集落の方を振り返る。
継ぎ目の無い氷の半球が、至る所から地面から突き出している様に見える。
これがスノーエルフの住居なのだが、ティーミスにはそれが、少し変わった芸術作品に見えた。
「きっともう誰も居ませんよ。」
そう言うティーミスは、ごわついた毛布を首に掛けている。
ノイから貰い受けた物だ。
「魔氷の壁を破壊してまで何の用だ人間。まさか、同種族として奴らを説得する訳ではあるまい。」
「…いえ、布のお礼をしたいと思いまして。」
「布?そのボロ切れの事か?」
「…価値と言う物は、目には見えないんですよ。」
ティーミスは虚無より、一振りの魔刀を取り出す。
「お手伝いしますよ。」
「何?」
人間の子供1人が戦力になる筈が無いと、本来ならば唾棄すべき場面。
しかし、トシュはそう出来なかった。
何故だか、ティーミスを疑う事も否定する事も出来無い。
有無を言わさぬ、強者としての圧倒的な威圧。余裕。威厳。
11歳の少女が本来帯びる筈など無い、底知れぬ覇気。
「…そうか…」
それが、トシュの喉から精一杯絞り出された一言だった。
ティーミスを捕らえ監禁した事を、後悔すべきか否か。
今となっては、それすらも定まらない。
「…逃げないんですか?」
「何を…」
トシュはふと周囲を見回す。
トシュの仲間の戦士達は、既にティーミスから遠ざかり始めている。
「…良いですよ。私の事は気にせずに。」
ティーミスは、そっと笑いかけただけの筈だった。
「ひぃ…ゆ…許してくれ!俺が悪かった!」
トシュは脱兎の如く逃げ出していく。
ティーミスに敵意があるかどうかは判らないが、取り敢えず謝っておけば間違い無い。
「…“許してくれ”…ですか。」
ティーミスはただ、困っている様子のスノーエルフ達を助けようと思っただけだ。
別に攫った事も拘束した事も怒って居ない。
しかし彼らはティーミスに怯え、逃げて行く。
(…ずっと、こうなるんですかね…)
5年後も。10年後も、20年後も。
ティーミスが大人になっても、老婆になっても、このサガは永遠に続くのだろうか。
孤独こそが、ティーミスに課せられた力の対価だと言うのだろうか。
「お?何だ?」
スノーエルフが撤退を始めている。
代わりに少女が1人、集落を守る様に立ち塞がっている。
“ヒヒヒイイン!?”
騎乗兵達の乗っていた騎馬が、突如発作を起こした様に暴れ始める。
ある者は振り落とされ、ある者は馬と共に逆走し、ある者は数十年を共にした愛馬に蹴り殺される。
まるで見えない境界線でもあるかの様に、ティーミスの顔が判別できるかどうかの距離より、ティーミスに近付こうとはしなかった。
「…ありゃ…まさか…」
少女の正体にいち早く気が付いた徒歩の騎士が、何者にも気付かれぬ様にゆっくりと後退する。
結局生き残ったのは、賢い者と、賢い騎馬に跨っていた者だけだった。
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天候【超低温】
・火属性のスキルダメージが半減
・氷属性のスキルダメージが50%上昇
・耐寒防具未装備の場合、移動速度75%低下。この効果が付与された対象は一定時間経過後、死亡します
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「…」
常人ならば、寒いでは済まないのだろう。
ティーミスはそんな事を考えながら一歩前進し、黒色の刀を横に構える。
「《地平線は誰が描く》」
高い、高い音がする。
次の瞬間、総勢241名の遠征騎士のうち229名は、一瞬にして胴体より間二つに切断される。
幸いにもティーミスとその騎士たちとではかなりの距離があった為、ティーミスはその身で返り血を浴びずに済んだ。
「…腕がもげるかと思いました。」
ティーミスは、脱臼した自身の肩を力づくで元の場所に戻すと、べっとりと血の付いた刀を真白な雪原で拭いアイテムボックスの中にしまい込む。
静寂はティーミスの友で居てくれるらしい。
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施行可能なレシピが存在します。
【力を失った毛布】×1
【戦士の骸】×170
【奪取した命】×1
スキル《招集・【兵長】》の習得
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目の前に騎士が居て、騎士に脅かされる人々が居た。
それが虐殺行為の動機だ。
決して、そんな虐殺によって利益を得ようとした訳では無い。
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施行しますか?
《はい》《いいえ》
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ただ、貰えるものは貰っておこうと言うだけだ。
其れが例え、道徳に対する冒涜だとしても。道徳などティーミスには関係の無い話だ。
ティーミスの右腕の甲から、青白い炎の球体が浮かび上がる。
遠巻きに見える騎士の骸の山がもぞもぞと動き始める。
一つ、また一つと、骸が向かって見えない糸によって吸い寄せられる様に、宙を揺蕩う奪取した命に吸い寄せられ吸収されて行く。
鮮やかで怪しげな青白色だった命は、次第に赤黒く変色してゆく。
「…おえ…」
炎の様に朧げだったその様相は、赤黒い血肉のボールの様に実体を持った物となる。
腐臭が漂い、ティーミスは舌を出し嗚咽を漏らす。
胸焼けに苛まれなが、ティーミスは肩に掛けていた古布を、その屍肉球体とでも言うべき物体へと放り投げる。
布が球体を包み込み、くすんだ茶色をしていたその布は、鮮やかな赤色に染まる。
“ペキペキ…ポキ…ドシャ!”
卵が孵化する様に、蛹が羽化する様に、胎児が外界へと解き放たれる様に。
赤布に巻かれたその球体は内側からこじ開けられ、一体の兵士が産まれ出る。
3m程の身長。はためくは紅色のマント。漆黒の全身鎧は歩兵のそれと似通っているが、装飾は豪勢な物になっている。ただ歩兵とは違い、武器は何処にも身につけて居ない。
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《兵長》
生成に【奪取した命】を使用する、強力な兵士です。
歩兵へのバフや、近隣の兵士より集積された情報の処理、作戦行為などが行えます。
また、あなたの所持する[大剣]を装備させることによって、強力な戦力としての活動も可能です。
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ティーミスから見れば、スキルが一つ増える事など些細な事だ。
ただどんなに些細だろうと、進歩である事には変わらない。
ティーミスはいつも、それを忘れない様に意識している。
「…」
ティーミスは、自身の傍に聳え立つ3mの兵士を兵舎へと押し込める。
帰ろう。
誰かに見つかってしまう前に。
誰かを怯えさせ、絶望させてしまう前に。
今回はたまたま、ティーミスの気まぐれな行動がスノーエルフにとって有益に働いただけだ。
ティーミスがヒーローになった訳では無い。
ティーミスはそう、己に言い聞かせ続けた。
感謝など求めてはいけない。理解など、評価など、求めてはいけない。
ティーミスはそう、己に言い聞かせ続けた。
「…うあああ!」
ティーミスは徐にアイテムボックスから炎の魔剣を取り出すと、勢い良く地面に突き立てようとして、踏み留まり、しばらくその場から動かなかった。
〜〜〜
家も家族も失い路頭に迷って居た所を友人に助けられ、明日食べるパンを買うために大道芸を始めた。
キエラは自身の身の上を、ラージーにそう説明した。
当然だが、全てを奪った張本人がその友人である事は話していない。
「そうかそうか…随分と、苦労したんだね。」
キエラのその言葉遣い、挙動、物腰から、ラージーはキエラが、元は相当高貴な身であったことを察している。
お世辞にも、此処での踊り子は高尚な仕事とは言えない。
キエラの負ったであろう相当な苦労を思い浮かべ、ラージーは胸を締められる思いを感じる。
出来ることならば、目の前のこの少女にはもう少し安定した真っ当な人生を歩ませてやりたいが、あいにくラージーにはそんな力は無い。
ならばせめて、
「本当に、私のキャラバンに来てくれるのかい?」
「わ…わたくしで良ければ…」
明日の寝床と食べ物があれば、キエラはそれで良かった。
人並みの生活が出来ればそれで良い。
お金さえあれば物が手に入る世界に生きられるだけで、キエラは幸せだと感じる事が出来た。
ティーミスに出会ってしまったから、キエラは全てを失った。
ティーミスに出会えたから、キエラは己が幸せに気が付く事が出来た。
受難と悟り。
信心深いキエラはそれが、聖典に示された神の試練に思えた。
キエラの中でのティーミスの神格化は、少しづつ進行していく。
[憤怒相]
《地平線は誰が描く》
体力を代償とした全体物理攻撃。クールタイム3h
新たに【怒り】を1獲得するたび、クールタイム1s単色。