舌由来の自爆
ティーミスが、昼寝をしている。
と言っても、完全に目を閉じ意識を失っている訳では無い。
掛け布団はかけずに、ベッドの上に仰向けに寝転がっているだけだ。
ティーミスの身に着けている物の中で一番圧迫感のある胸のベルトとサンダルは外し、両手はそれぞれ頭の横に置いている。
眠たそうにとろりとした目はぼんやりと宙を眺め、その手は、開くとも閉じるとも付かない状態で動かしていない。
無防備で、それでいて触れたら壊れてしまいそうな程の儚げな美少女。
その姿を一目見ただけで、同性はおろか異種族までも、ティーミスに対する危険な欲望を抱く事になるだろう。
「…虫の音一つ聞こえません…」
そんな被害者は、一人も現れない。
ゴーストタウンと化したアトゥには最早、ノミの一匹すらティーミスから逃げ去り居なくなってしまっている。
強くなれば強くなった分だけ、ティーミスは孤独になって行く。
「…貴方はいい方ですね。文句一つ言わずに、私を寝かせてくれるんですもの。」
ティーミスは、自身が身を置いているベッドに話し掛ける。
当然、答えは無い。
ティーミスは、おかしくなっていた。
「…無視しないで下さいよ…これじゃあまるで、独房の中みたいです…」
不意に、自分が無機物に話し掛けていた事に気が付き、ティーミスは虚しくなる。
兎は寂しさでは死なないが、寂しさで死ぬと言う気持ちが、ティーミスは今なら分かる気がした。
何かを考えても、ただ悲しくなるだけ。
ティーミスは何も考えなくても良いように、眠りの中へと逃げ込む事にした。
体を右側に向け、足をたたみ蹲るような体勢を取り、涙の溜まった目を閉じる。
そこまで眠気がさしていた訳では無いが、物は試しだ。
「…?」
半時間程経ち、微かな足音に感づいたティーミスは、ごそごそと身じろぎをする。
肉体疲労はあるものの、やはり眠くないのに眠れはしない。
「…一人ですか…、でしたら、隠れてやり過ごした方が良いですね。」
キエラの件で、ティーミスは学んだことがある。
他人と関われば、ロクな事にならない。
ティーミスはオンボロの布切れ、もとい掛け布団を被り、息を潜め聞き耳を立てる。
足音は、一人分で間違い無い。
時折足を止めながら、こちらに向かっている。
(…どんな人でしょう…)
此処が死地と知ってなお、単身で赴く程の度胸か実力を持った人物。
一体、どんな人物なのだろうか。
布団の中で膨れ上がって行く好奇心を、ティーミスは次第に抑え込めなくなって行く。
(…気付かれなければ、きっと大丈夫です。)
ティーミスは恐る恐る窓枠から顔を出し、二階の窓から外の様子を確認する、ここからならば、廃都の様子が一望出来るのだ。
ティーミスは視線を走らせ、アトゥの客人を探り、街道の真ん中に白毛の老人を見つける。
(お爺さん…?)
老人は何かを探す様に、しきりに周囲をキョロキョロと見回している。
その様子を見たティーミスは、直後、顔面を蒼白させる。
「…まさか…」
あの老人はかつてのアトゥ植民区の住人か、住人の親族だろうか。
様子を見に来たのか、はたまた何かを探しに来たのか。
ティーミスは窓枠から離れると、壁に背を付け頭を抱える。
もし何かを探しているのなら、道案内くらいはこなすべきだろうか。しかし、それで余計なトラブルを引き起こす可能性も否定出来ない。
ティーミスは意を決し、玄関からそっと出て、頭の中の地図に従い、老人の居た街道まで直行する。
《盗人の礼法》によるステルス状態のまま、ティーミスは老人の元まで歩いて行く。
(…中央の広場を除いて、街全体がほぼ完全な状態で保存されている…レイドダンジョン指定をされたとは到底思えんな…)
老学者は手帳にペンを走らせ、次々と得た記録や考察を書き留めている、
(モンスターが居ないとなると、やはり何処か別の場所で戦闘を行なっていると言う事になるな。)
老学者はその後数本歩み、不意に悪寒に襲われその足を止める。
(これ以上進むのは危険か。…さてそろそろ、給与二ヶ月分で買った、このリコールストーンを使って…)
その時だった。
「ばあ!」
「のあ!?」
老学者の目の前に、少女が一人いきなり現れる。
両手を万歳の具合で伸ばし、自分を大きく見せている様だ。
「えっと…がおー!」
「…」
流石にティーミスのその容姿では、おどかして追い払うのは無理があった。
ティーミスはのぼせたように顔を赤らめると、気まずそうに縮こまる。
「その…えっと…あの…」
噂以上の愛らしい容姿と、そこからは想像もつかない程の覇気を放つ少女。
無垢な雰囲気の割にその格好は若干扇情的だが、その肢体はどちらかといえば少年のようだ。
違和感が足し合わさり織り合わさり、その少女の魅力という形に昇華している。
間違い無い。
彼女が、老学者の探していた人物だ。
「君が、ティーミスかい?」
「…はい。」
最早、見知らぬ老人すらもティーミスの名前を知っている。
世界の片隅で平穏に生き平穏に死ぬはずが、随分と有名人になってしまった物だ。
ティーミスは唐突にそんな思考に至り、精神的に参ってしまう。
老学者はティーミスを一目見て、確信に至る。
(…やはり、異質な魔力は殆ど感じられぬ…)
記録により、ギフテッドの宿す魔力は常にオーバーフロー状態である事が判明している。
対する目の前の少女は、魔力の量そのものであれば、老学者にすら劣るだろう。
ティーミスの先天性スキルの性能自体は、無能者か、限りなく無能者に近い脆弱な物なのだろう。
だとするならば、
「私の名前はウーログ。しがないスキル学者だ。
…教えてくれ、君はどうしてそんなに強いんだい?」
「?」
「この世界には、君みたいに強くなりたいのに、どうしてもなれない人たちが沢山居るんだ。
先天性スキルに恵まれなかったことを理由に、冒険者を辞めてしまうものも多い…
教えてくれ、一体何が、君に力をくれたんだい?」
ポイントは二つだ。
まず自分が、帝国の人間ではなくあくまでも中立の立場であると偽ること。こうすれば、情報を喋った事によって自身の身が危うくなると言う考えを捨てさせる。
次に、あくまでも自分は初対面のレイドモンスターにすら動じない程の狂気を持った学者で、これは人の為だとアピールすること。心優しい少女ならば、協力してくれるだろう。
この老人は確信していた。
ティーミスが、話に聞くような冷徹なモンスターでは無いと。
(…どうしましょう…)
学者と言うのはしばし、己が知欲の為に命すらも賭けると聞いた。
話には聞いたことがあったが。いざ賭けられる側として目の当たりにするのは、ティーミスは初めてだった。
さて、どうあしらおうか。
檻の中で出会った背の高い男から力を貰ったなど、信じてもらえる筈も無い。
ただ、折角此処まで来てくれた無害な客人を嘘を言って追っ払うのも寝覚めが悪いし、殺してしまうなど尚更だ。
と、ティーミスは最良の手段を思い付く。
「私は、弱いですよ?」
「…?」
「人を殺し続けないと、まともに生きる事すら出来無い私に、強者を語る資格なんてありません。
…私は、他の方よりほんの少しだけ人を殺す能力が高いのかもしれません。でも、それだけです。
誰かを愛する力も…誰かを守る力もありません…」
ティーミスは俯き、地面にその生膝を付ける。
「…私は…何の力も持ち合わせて居ません…」
人を殺める能力を、強さだとは思っていない無垢な少女をティーミスは演じる。
否、演技と言うよりは、普段は押し殺していた思想を曝け出したのだ。
「……」
老学者は、自身の考えの甘さを悔いる。
相手はただ不幸の星の元に生まれただけの11歳の少女なのだ。
心優しい少女が、殺戮愛好家な訳が無い。
「ぐすん…ごめんなさい、今日はもう…お帰り下さ…ひっく…」
涙ながらに、ティーミスは来客の退去を求める。
老学者はそれ以上は何も言えずに、気まずい空気から逃れる様に、魔石を使い消えて行く。
「私…何も…出来なくて…うわああああああん!」
残ったのは、年相応の泣き声を挙げるティーミスだけだった。
多少の大げさな演技で追い払おうとした筈が、ティーミス自身が触発されてしまった。