タイアードハイ
“此処で倒れる訳には…行かぬ…”
テラベルトが、ゆっくりとその身を起こす
テラベルトの被る面が、ピキピキと音を立てヒビ割れていく。
“我は…誓った…守ると…守り通すと!”
鹿の面の左半分が剥げ落ち、テラベルトの本来の顔が露わになる。
20歳前後の、美しく整った顔立ちの青年の顔だ。
“叩き斬ってやる!この命に!代えても!!!”
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緊急クエスト『英雄の激昂』
クリア条件 5分間の生存
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「…もう帰して下さい…疲れました…」
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【誓いの英雄 テラベルト】
英雄は立ち上がる
在りし日の誓いの為に
・ダメージ無効
・状態異常無効
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朽ちた石床の上。
青空の下で見るテラベルトは、どんなダンジョンモンスターよりも人間らしく見える。
その肌は若干日に焼けた褐色で、熱気を放っている訳でも無ければ、人として何かおかしな部位がある訳でも無い。
ダンジョンに居なければ、それは本当にただの人間のように見えた。
しかし、彼はモンスターなのだ。
「何だか、私みたいですね。お揃いですね。」
疲労によって思考が鈍ったティーミスは、手の甲に出来た傷を舐めながら能天気な事を呟く。
“覚悟しろ…アドメンツの負犬どもが!”
「やっぱり、私が見えてる訳じゃ無いんですね。」
テラベルトの瞳には、ティーミスは写っていなかった。
“《対大隊長広範囲斬撃・七式》!”
テラベルトの斧が、地平線をなぞるように振るわれる。
「…うわ。」
地と天の境界をそのまま切り裂く様な斬撃を、ティーミスは跳躍によって回避する。
その威力と規模に、ティーミスは驚きを通り越して、引いている。
“…《ウォークライ》”
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クエスト開始から30秒が経過しました。
これより15秒毎に、【誓いの英雄 テラベルト】の能力値が上昇します。
・攻撃力、俊敏性+100%
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「嘘ですよね…!?」
“誓い…忿怒よ…ああ…”
クエストはまだ、始まったばかりだ。
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鳥が飛べる程の高い天井。壁の様に聳え立ち並ぶ、無数の本棚。
大図書館の中で、綿のような白い眉毛の老人が一人、見本台と睨み合っている。
(大陸歴4023年、酸雨降らす巨龍の出現。総人間死者7000万人強。出現より一月目、集結せし龍切によりその首落るる。
大陸歴2498年、万魂の神狐、老いた狐に降臨せし。これより出現した数万種の魔物、未だ大陸に蔓けり。
大陸歴901年、血族の真祖。真なる不死。母なる真祖。未だ魔界にて健在なり。
大陸歴元年、箱庭より旅立った人類、大陸守護する巨獣と出遭う。十年の攻防の末、巨獣は地下深くへと消えうる)
これが、この大陸に出現したギフテッドの記録の全てだった。
どこか取り留めが無く、どこか神話の様な文体で、それでいて事実を簡潔に述べているだけの文章。
そのまま読んで得られる情報は、ギフテッドの大まかな概要のみだ。
ただ、この老いたる学者は、そうは行かなかった。
「…出現周期から…外れている?」
血族の真祖から、魂統べる神狐まで。神狐から、汚染の神龍まで。一年単位のバラツキはあるものの、ほぼ1500年置きに出現していた。
大陸歴元年の最初のギフテッドはあくまでも遭遇の為、人類が認知する以前から存在していたと考えれば不自然では無い。
仮に、ギフテッドの出現の周期は1500年と仮定する。
現在は大陸歴4561年。汚染神龍が出現したのは、約500年前だ。
本来の周期より1000年も早く、次のギフテッドが出現したと言うのか。
「いやまさか。有り得ん。」
世界の定めた摂理が、何の理由も前触れも無しに狂う事など本来は有り得ない。
ある日リンゴが宙に浮かぶ様な事にもならなければ、海が常温で揮発する事も起こらない。
老学者が唱えていた学説に、新たに出典が書き加えられる。
ティーミスは、ギフテッドなどでは無いと言う学説だ。
「…足りぬ…」
前例がたったの4件しか無いのだ。
人間が認知したのがたまたま1500年置きだっただけで、周期と言う考え方そのものが間違えているのかも知れない。
それにギフテッドで無いとすれば、ティーミスの持つ超常的な戦闘能力の説明が付かなくなる。
まだ裏付けが足りない。
老学者はギフテッドに関する歴史資料を閉じると、代わりに別な本を見書台に置き開く。
“結合役職定義百科”と言う、先程の文献に比べれば実に真新しく分厚い本だ。
この世界の上級文明種、取り分け人間の大半は、生れつき先天性スキルと言う力を持っている。
戦士職に最適な《剣術強化》や魔法使いに必須の《属性魔力増加》と言った身体の性能を強化する物が殆どだが、《ウォークライ》や《ヒール》と言った簡単な魔法が、生れつき使用できると言う物もある。
殆ど無作為に決まるそれによって、その人物の生き方が大まかに決まる。と言うよりかは、強力な戦闘スキルを持って生まれた場合、剣と魔法と冒険に生きると言う人生の選択肢が増える程度だ。
普通ならば1人1つのスキルだが、20人に1人ほど、複数持って生まれる者も存在する。
そう言った者達は、結合役職と言う物に部類される。
武器系スキルと《回復魔法強化》を持っている場合は、戦士と僧侶の結合役職、“僧兵”。
身体強化スキル《ウォークライ》が使える魔法使いの場合は、“バトルメイジ”。
そして現状の最高記録は、《剣術強化》《全魔力増加》《召喚契約の才》《器用》《千里眼》《魔法光線》《オールパリィ》を授かった、“パーフェクトエヴォーカー”だ。
ティーミスが、そんな両手一杯のスキルを授かっていたとしても有り得ない話では無い。
だが、一つ問題点があった。
スキルがあった所で、努力無しでは意味は為さない。
魔物を倒し、修行を積み、スキルは成長して行く。
ある日唐突に平穏な人生を奪われ、決死の思いで脱獄し、復讐と新たな人生の為に自信を鍛え、帝国に刃を向けた。これだけならば、ただの悲劇のヒロインで説明が付く。
問題は方法だ。
ティーミスはどうやって、その両手一杯のスキルを実用レベルにまで鍛え上げたのだろうか。
何か、自己鍛錬を補助出来る様な未知のスキルか、或いはティーミス自身が編み出した特別な方法でも持っているのだろうか。
それを、他の人類が利用できる術はあるのだろうか。
老学者の学説は、肝心な場所の裏付けが出来なかった。
「一体どうすれ…ば?」
老学者はふと、図書館の壁に飾られた一枚の大きな写真が目に入る。
沢山の冒険者や学者による、遺跡を背景にした記念撮影だ。
その写真の丁度中心付近に、若かりし頃のこの老学者が、遺跡の遺物を抱えながら満面の笑顔を浮かべていた。
(…わしもまだまだじゃな。)
図書館に篭って得られる知識は、図書館の本に書かれている知識だけだ。
結局最後に頼れるのは、自分の目と足だ。
「久々に、外の空気でも吸おうかの…」
老学者はその嗄れた手で地図を広げ、アトゥの場所を確認する。
数年振りの、フィールドワークだ。
〜〜〜
“俺はまだ…倒れる…訳…に…”
テラベルトの体が徐々に土塊色に変化して行き、指先から徐々に崩れて行く。
その瞳は最後まで、赤色の光を宿したままだった。
「ひゅぅ…ひゅぅ…ひぃ…」
ティーミスは戦場の真ん中で、大の字で仰向けに倒れている。
生死を賭けた五分間のイタチごっこは、ティーミスの勝利に終わった。
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ダンジョンクリアおめでとうございます。
[火]ダンジョンキー一つを消費して、次の階層に挑戦しますか?
〈はい〉〈いいえ〉
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「…もう…帰りたいです…帰る場所と呼べるかは…知りませんけれど…」
ティーミスは、ヘトヘトに疲れ切っていた。
何も考えられない程に。
暗い思考も抱く事が出来ない程に、ティーミスは疲れ切っていた。
これがティーミスの求めていた、現実逃避状態だ。