否定か肯定か逃避か
「…ほぉ…」
ティーミスが目を開けて最初に見た物は、物々しい鉄筋が丸出しの天井。
ティーミスが最初に感じ取ったのは、そこら中からバネやクッションが飛び出した硬いベッドの感触。
ティーミスは、二週間振りに我が家での朝を迎えた。
「…思えば、あの日々は本当に夢の様です。」
軋むベッドから軋む体を起こし、眠気を覚ます為に瞼を拳で擦る。
さて、今日は何をしようか。
誰も、いつ何をしてと指示はしない。食事の時間も、眠る時間定まってはいない。
ティーミスは二週間振りに、完璧な自由の身となった。
「…自由って…虚しいんですね…」
ティーミスは法公の処刑によって、イグリスでの日々とイグリスの人々の色々な物と引き換えに、悪夢からは解放された。
ただだからと言って、ティーミスは幸せにはなれない。
待っているのは、自分で何かをしなければ物音すら立たない独りぼっちの日々だ。
ティーミスは周りを不幸にしてしまうが、不幸を自身の中に閉じ込めれば自身が壊れてしまう。
ティーミスはいつも、100人を救うか1人を救うかで、本来は見捨てられるべき1人だった。
考えれば考えるほど、自己否定に繋がってしまう。
この陰鬱とした気を晴らすには、どうすれば良いだろうか。
ティーミスは徐にアイテムショップを開くと、消費アイテムの欄に移動する。
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【[火]ダンジョンキー】×38
購入しますか?
〈はい〉〈いいえ〉
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何も考えなくてもいい場所。
少なくとも、自身についての思想を巡らせる必要の無い場所。
ティーミスは、戦場に逃げ込む事にした。
〜〜〜
咎人がイグリスに出没したらしい。
帝国が、それ以上の情報を掴む事は無かった。
帝国の興味の的はあくまでもティーミスであって、イグリスにはさほど関心は無い。
イグリスにはこれといった特産物も無ければ、魔力の源泉も無い。
あるとすれば、慈善事業によって集めた、帝国から見れば小遣い程度の金銭と、世にも珍しい宝石魔術師が2人だけだ。
「閣下、閣下。」
「………」
「リニー閣下!」
「うわ!」
漕ぎ椅子をしたまま眠りこけてしまっていたリニーは、部下の呼び覚ます声で不意に起こされ、そのまま豪快に転倒してしまう。
リニーは、その絶え間無い努力と対咎人の功績が評価され、在りし日のピスティナと同じ閣下の座にまで上り詰めていた。
「大丈夫ですか閣下…たまにはご自分のベッドで休んだ方が…」
「本当はそうしたいんだけどね…あはは…」
かつてピスティナが使っていた事務室で今は自身の私室に、リニーはもう二週間程は篭っていた。
そんなリニーを心配げに見つめるのは、短い青髪の少し背の低い、軍服を着た少女。
彼女の名前は、シルピア・スピアロ。
セガネ防衛戦の直後に、リニー直属の部下に就任した帝国事務員だ。
「……」
「…閣下?どうかしましたか?」
ささやかなリニーとは対照的に、リニーよりも年下の筈のシルピアの胸部は、メロン大程だ。
リニーはそこに、帝国本部のあからさまな嫌味を感じていた。
実際はただの偶然だが。
「…いや、何でもないよ。少し考えてたんだ。」
「?何をです?」
「もし自分がある日、突然家族と離れ離れになって、地獄みたいな場所に連れていかれて、酷い目に遭って、折角出られたのに一人ぼっちだったらどうしようって。」
「……」
「あの目を、見たんだよ。本当に優しそうな、怯えた目。そして思ったんだ。
あの子を変えたのは、私達、帝国側だって。」
「ごめんなさい、その、よくわかりません。」
「え?」
「仮に原因が帝国にあったとしても、実際に人を殺したのは咎人です。
もし咎人に本当に優しさがあるんだったら、脱獄した後、隠れて生きる事も出来た筈です。
無実の一般市民を殺し、帝国のために戦う騎士を殺した咎人は、問答無用で悪者だと思います。」
「そう…だよね。それも、一つの正解だね。」
リニーもシルピアも、間違った事は何一つとして言っていない。
同じ事実を切り取っても、その個人の思想や主観に置く物によって、意見と言うのは千差別れる。
大事なのは、此処からだ。
「確かに、復讐を選んだのはあの子だ。はぁ…私もまだまだ甘いなぁ。」
「そんな事有りませんよ。元は、咎人も私達と同じ人類種ですもんね。」
そこに否定があれば争いが生まれ、肯定と尊重があるのなら、そこには進歩が生まれる。
では、帝国もティーミスを理解し尊重していれば、血は流れずに済んだのだろうか。
〜〜〜
天は紅蓮に染まり、地は炎を吹き出し、火の粉はせわしなく舞い踊る。
跡形のみになった城の壁が2人を囲み、炎とも熱風とも付かぬ風が、侵入者に向かいしきりに吹き付ける。
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【憤怒の将軍 テラベルト】 エピックモンスター
永劫の憤怒に囚われし、旧き英雄。
かつては国敵を打ち払いし英雄。今はただ、全てを拒むのみ。
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北国を思わせる分厚い民族衣装の上から革の部分鎧を纏い、その紅蓮色の長髪は炎の様に熱風に靡いている。顔は鹿の頭蓋骨で作られた面に隠れているが、瞳から吹き出す烈火の如き光が、仮面の目出し穴を赤く染め上げている。
その手には、巨大な斧が一本。
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対象はエピックモンスターの為、以下のダンジョンバフが適応されます。
・[怒り]値が100000で固定され、増加も減衰もしません
・攻撃力が毎秒3増幅して行きます
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“…ングルティス前線基地は渡さぬ…例え…この身が朽ちようとも!”
テラベルトの身から、覇気と熱風が放たれる。
熱風は周囲に叩きつける様に吹き荒び、周囲を取り囲んでいた瓦礫の壁を薙ぎ倒す。
壁が倒れ見晴らしが良くなり、テラベルトの背後に聳える巨大な建造物がその姿を現す。
否、それは建造物と言うよりも、ただの石柱と骨組みが組み合わさっただけの、ただの残骸だった。
かつてはそれが、天を貫く程の巨塔だった事が伺える。
「その…仮面を外して良く見て見て下さい。それもう建物じゃ…」
ティーミスはその残骸の方を指差そうとするが、肩に痛みが走り思うように上がらない。
ティーミスはここまで到達するのに、29の連戦を積み上げていた。
それが、彼の前に立つ為の条件なのだ。
最も、一度にこなす必要は無いが。
「…いずれ私も、貴方の様になってしまうのでしょうか…」
ティーミスは少し肩を落とすと、虚無より黒刀身の魔刀を引っ張り出す。
ティーミスの持つ中で、素手の次に軽い武器だ。
“あと一晩…あと一晩持ち堪えさえすれば…!覚悟しろ…侵略者!”
テラベルトから放たれる熱風は更にその熱量を増して行く。
環境ダメージを無効化するサンダルが無ければ、ティーミスは今頃消し炭だろう。
「…私も貴方と同じですよ。見たく無い現実から、目を背けたくて戦うんです。」
ダンジョンの中は、今やティーミスが最も安寧を感じる場所となっていた。
此処ならばティーミスは、大量殺人鬼でも、レイドモンスターでも、独りぼっちの少女でも無く、ただの一挑戦者として立てる。
現実に嫌気が刺し、ゲームに逃げ込む様な感覚だ。
「でも、いつかは向き合わないといけないんです。例えそれで壊れてしまうとしてもです。」
ティーミスは目を閉じ、深呼吸をし、刀を構え、目を開け、テラベルトを見据え、足を一歩踏み出し、
カキン!
テラベルトの首筋を捉えた魔刀は、テラベルトを包む赤い霧の障壁によって阻まれる。
「にぇ?」
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《憤怒の鎧》
自身の保有する《怒り》の値が、そのまま追加体力として参照される様になります。
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テラベルトの《怒り》は、常に10万で固定されている。
つまり、テラベルトにダメージを与えるには、一度の攻撃で10万を超えなければいけないと言う事だ。
「…良いスキルですね。」
“うおおおおおおお!!!”
テラベルトの斧が、ティーミスの後隙を突くように横に振るわれる。
ティーミスはバックステップで後退し、何かを考えられる様な距離をテラベルトと取る。
少なくとも、連続攻撃と受け流しを主体とした魔刀で、一撃で10万ダメージを超えるのは至難の業だ。
ティーミスは魔刀をしまうと、代わりに5m程の巨剣を取り出す。
「今度こそ、上手くやってみせます。」