欠陥だらけの女神様
「法公様、間も無く出発でございます。」
各地の村々に出向き、簡素な物から絢爛な物まで様々ある教会にて説法を開く。
それが、法公としての日常だった。
一年前、或いは二年前。
まだ植民地として開拓される途中のアトゥにて。
「高貴なお方、暫しお時間を頂けませんか。」
法公の宿泊している宿に、ある日一人の老人が訪れた。
「どうしたのだね?」
「実は此処の外れに、囚人を捕らえた監獄がありまして、今日一人、死者が出たのですよ。ですので…」
「では、私が葬いを行いましょう。」
邪悪な蛇に唆されたアダムは禁断の果実を食み、楽園を永遠に失う事となる。
「?あの少女は?」
「容姿故に、玩具にされている者です。貴方も試してみては?」
「…」
人として生まれた以上、その生涯を潔白で終える事は不可能だ。
どんな人間でも、必ずいつかはどこかで罪を犯す。
それが神と同等に扱われる程の聖人だったとしても、例外では無い。
そこにあるのは、罪に問われるか否かの違いだけだった。
「…聖騎士兵。あれを何とかしろ。」
法公は、ティーミスの方を指差し気怠そうにそう言う。
応答は無く、代わりに法公の元にやって来たのは、焼けた鎧を纏った聖騎士の生首だけだ。
「…聖騎士兵。」
二度目の呼び掛けを行う頃には、聖騎士達の声は消え、代わりに部屋は鉄と肉の焼ける臭いで満たされていた。
「はは…あははははは…」
法公は、全てを諦めた様に笑い始める。
これが、国家の象徴として、神の化身としての存在でありながら、邪な享楽に一時でも身を浸した罰だと言うのか。
否、法公はただ、運と相手が悪かっただけだ。
「ティーミス殿。少し、別室に移動しましょうか。キエラには見せたく無い。」
「…分かりました。」
法公はティーミスに背を向けると、倉庫へと繋がる扉へと歩き始める。
「…カーディスガンドさん。見張りは任せました。」
“グルアアアアアアアァァァァ!”
ティーミスは待機している巨龍に指示を飛ばすと、一足遅れて法公に追従する。
「…!ティーミス様!」
魔法が解け再び活気を取り戻したキエラが、ティーミスの元へと駆け寄ろうとする。
ティーミスはそんなキエラに、若干冷たい視線を向ける。
キエラは全てを悟った様に、それ以上ティーミスへと近付く事は無かった。
法公とティーミスが、礼拝堂の壁に申し訳無さそうに取り付けられている簡素な扉の向こうへと消え、キエラはかつて礼拝堂だった場所に、大量の骸と、黒色の巨龍と共に取り残される。
「…わたくしは…どんな罪に問われるのでしょう…」
若干宙を見上げながら、キエラはぼんやりと呟く。
キエラは、全ての元凶は自身にあると悟る。
ティーミスを自国に連れ込まなければ、ティーミスが法公と巡り合う事は無かった。
下らない好奇心が由来のわがままを言って、聖騎士達の遠征に同行しなければ、キエラはティーミスと出会う事は無かった。
自分が、もっと情緒と落ち着きのある子として生まれ生きていれば、この国を混沌へと陥れる事は無かっただろう。
或いは、自分など、生まれなかった方が、
「…間違い無く、死罪ですわね。」
ティーミスを自身の召喚獣に仕立て上げるのに、キエラは随分と沢山の嘘を吐いた。
キエラは、自身を愛してくれた、慕ってくれたら数々の人物を、全員纏めて裏切ったのだ。
(…ティーミス様。今なら良く分かりますの。貴女がどんな気持ちで生きて来たか…)
図らずともキエラは、目的通り、ティーミスを理解する事が出来た。
その身を持って。
倉庫へと続く扉がゆっくりと開き、中からティーミスが現れる。
ティーミスは全身に、リンパ液によって少し希釈された返り血を浴びている。
ティーミスは何も言わずに、トボトボとキエラの方へと歩んで行く。
「ティーミス様…」
「キエラさん。」
ティーミスは右手に持っていた魔刀を仕舞い込み、地面に膝を付け跪く。
「ごめんなさい。」
ティーミスはキエラに、土下座をする。
「気が済むまで、罵倒でも踏み付けでも好きにして下さい。」
「……」
実の父と、大切な友人と、それから故郷を殺したティーミスを目の前にしていたキエラだが、どうにも怒りが湧いて来ない。
キエラは、此処でティーミスを恨み罵しる権利を持ち合わせて居ないと判断する。
ティーミスとは、最初からこう言う物だ。浮世の人間などでは無く、人徳からも外れ、人命を度外視した異質な規律にのみ縛られた少女。
今此処でティーミスを恨むのは、目の見えぬ者を、目が見えないのを理由に恨むのと同じ事だ。
「ティーミス様…」
キエラはティーミスにそっと手を差し伸べ立ち上がらせると、そのままぎゅうと抱き締める。
「救えなくて…ごめんなさい…!」
「…貴女の全てを壊してしまい…申し訳ございません…」
キエラは、地位も名誉も将来も住処も全て、ティーミスによって奪われてしまった。
置かれる状況そのものはティーミスと似通っているが、若干の差異もある。
エヴォーカーとしての役職は、世間一般からすればかなり強力な部類ではあるが、ティーミスの持つチートスキルと比べれば塵も同然だ。
そしてもう一つ。キエラにはまだ、浮世での第二の人生の可能性が残っている。
イグリスは古来より強力な鎖国と情報統制が敷かれている為、国内で起こった事が外部に漏れる事は殆ど無い。
あったとしてもせいぜい、イグリス共和国に咎人が現れたらしい、程度の物だ。
「…キエラさん。もし貴女が、この国に留まるとどうなりますか。」
「今晩の夜空は、絞首台からぶら下がって見る事になるでしょうね。」
そう語るキエラの声色は、何処か震えていた。
「そうですか…」
ティーミスは黒龍の方を一瞬見ると、再びキエラの顔を見る。
「…私は貴女から全てを奪いましたが、命までは奪いたくありません。カーディスガンドに乗って下さい。」
「カーディス…そのドラゴン様の名前でしょうか?」
「早く行きましょう。」
ティーミスは、カーディスガンドの背にキエラを乗せる。
龍化状態のカーディスガンドは翼を一つはためかせると、ゆっくりと上昇を始める。
「上空は空気が薄いので、ずっと深呼吸をしていて下さい。」
「は…はい。」
カーディスガンドは、大聖堂での騒ぎとそれに便乗して起こったクーデターによって混乱を極めるイグリスを一瞬見下すと、ティーミスとキエラを乗せたまま遥か上空へと上昇する。
「出来るだけ遠くの国に貴女を連れて行きますが、もしも追っ手が来たならばこれを鳴らして下さい。」
ティーミスはキエラに、セガネの王に渡した物と同じベルを渡す。
「…ティーミス様。その…」
「…何ですか?」
キエラは龍の背に座ったまま、ティーミスを後ろからそっと抱き締める。
「…例えもう二度と会えないとしても、わたくしはティーミス様を、信じ続けます。
例え貴女に手足をもがれても、拷問されても、殺されても、わたくしは貴女を信じます。
…腐っても修道女ですからね。」
キエラは、今自分がどんな心境かすら定められずに居る。
ただそれが、今のキエラとっては一番だった。
「ティーミス様…貴女はわたくしの女神様です。
…罪と咎の、女神様です。」
神とはいつも、人間を第一に考え救い導くだけの物では無い。
神も時には己が欲の為に行動し、時には人間に裁きを下し、時には過ちも犯す。
キエラはティーミスの本質の中に、そんな神の姿を見た。
「…ティーミス様…貴女の背で、泣いても良いですか?今さっき、全てを失ってしまったんです。」
「…はい。」
龍の背の上で流れる二人だけの時間は、高速で上空を移動する龍とは対照的に、ゆっくりと流れている。
別れ際の二人だけの儚い時間は、刹那の内に、いつまでも続いた。