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蹄の音

孤独を踏み壊したのは蹄の音。

ならば、夢の終わりを告げるのも、また、





「お隣で眠ってくれる方が居ると言うのは、幸せですわね。」


「私も、そう思います。」


ティーミスがイグリスに来てから10日目の夜。

ティーミスとキエラはいつもの様に、静かな夜を過ごしていた。


「明日、主教様が御帰国なされるんですの。わたくしのお父様ですのよ。」


「それはそれは。」


「これでやっと、心が休まりますわ…」


シュレアはその身を若干布団に沈めると、深く息を吐き目を閉じる。


「皆わたくしの事を聖女様と、主教様と呼びますわ。…皆から頼られるのは、少し疲れるんですの。

なのでお父様が帰ってきたら、目一杯甘えてやるんですのよ。」


「ふふ。」


ティーミスは自分の事はあまり語らずに、キエラの話を聞くだけだった。

それでもキエラは、ティーミスに自分の話を聞かせる時はすごく活き活きと嬉しそうにしていた。


「お父様はわたくしがエヴォーカーだと言う事は知っていますから、貴女を見たらきっと喜びますわ。

はぁ…明日が待ち遠しいですの。」


「ええ。…キエラさんのお父様、きっと素敵な方でしょうね。…おやすみなさい、キエラさん。」


ティーミスは寝返りをうちその体をキエラの方に向けると、そのまま眠りこけてしまう。


「おやすみなさいませ、ティーミス様。」


半開きになった窓から流れ出る鈴虫の音色が、静かな寝室をそっと満たしていく。

窓からは雪虫が一匹、その寝室に迷い込んで来る。

その日は、満月だった。



空は朝焼けに染まり、窓からは涼やかな風と愛らしい小鳥の囀りが部屋の中へと流れ込む。

ティーミスは、上質な布団の擦れるザアザアと言う音を立てながら身じろぎし、やがてその上体をゆっくりと起き上がらせる。

朝からなんだか、妙な悪寒がする。


その日はキエラの公務が入っていなかった為、ティーミスはその日一日中をキエラと共に過ごす。

朝食を終えた後はキエラと共に礼拝堂へ赴き、経典を読み上げるキエラの傍で祈りを捧げる。


「愛があれば、愛さえあれば、人は全てを許し救う事が出来ます。」


「……」


経典にはしばし、少し不自然な言い回しがある。

まるで人間種のみを対象にしているかの様な、人と言う表現が用いられているのだ。

当然だが、この世界には数多の種族が存在している。

言葉と文明を持つ種族も多く居る中、どこか排他的な、どこか人間中心的な、そんな言い回しが経典の中に見られたのだ。

ただティーミスは、そんな心に掛かった靄も直ぐに忘れてしまう。


時刻は正午を回り、それは来た。

荘厳な鐘の音が町中に響き渡り、次いで響くのは、無数の蹄の音。

掲げられた大旗には、イグリスのシンボルである白い翼が描かれている。

神輿の様な作りの大きな馬車の頂点には、その身を純白の法衣で包んだ一人の男。

彼こそが法公。名はジューマ・イスラフィル。


「ティ…召喚獣様!彼の方が…召喚獣様?」


凱旋の様子を、聖堂の四階の窓から眺めていたティーミスとキエラだったが、ティーミスはその様子を豹変させていた。

法公の、若干日傘に隠れた顔を一目見た瞬間、ティーミスはその目を見開き、歯をカタカタと鳴らし尻餅をつく。

ティーミスは法公に、恐怖する。


「…っ!」


「召喚獣様!?」


キエラの呼び止めも振り切り、ティーミスはキエラと自身の寝室の中へと駆け逃げ込む。

部屋の隅で体を体育座りに折り畳み、浅い呼吸を繰り返し、尋常じゃない量の汗を長い髪から滴らせる。

ティーミスは法公を知っていた。

忘れたくても忘れられない程に。

例えそっくりの双子が居たとしても、見間違える事すら出来無い程に。


「私が…何をしたの…私が…」


数刻遅れ、キエラもティーミスの元に現れる。


「ティーミス様!大丈夫ですか!?」


「…キエラ…さん…私…」


幻聴が聞こえる。

ピンセットで、身体中の皮を少しづつ千切り取って行く音。

激痛に苛まれる、ティーミスの叫び声。

不定期に繰り返される、笑い声混じりの男の吐息。


ティーミスのその怯えた小動物の様な様相を一目見ただけで、キエラは只事では無いと察する。


「大丈夫です。大丈夫ですから。わたくしが側にいます。」


「わ…私…わた…あああ…」


キエラは宥め続けるが、ティーミスの震えは収まらない。

それどころか、外から漏れ聞こえる法公の帰りを讃える声に呼応するかの様に、一層酷くなって行く。

震えるティーミスを撫で続けながら、キエラは困り果てる。


「一体どうして…」


キエラはしばし、ティーミスの様な状態の者を見た事があった。

心の内面に閉じ込められ居た恐ろしいトラウマが、何かの拍子で蘇った者は暫しこんな状態になる。

キエラは必死に思考を巡らせ、ティーミスを恐怖のどん底へと追いやってしまった物を突き止めようとする。

馬に乗った大隊?騎士団に命を狙われていたティーミスならば有り得るだろう。

ラッパの音?軍隊での号令には、しばしこのラッパの音が使われる。戦場ではラッパの音の後に何か大きな動きがある故に、この音にトラウマを抱える退役軍人も多い。

それとも、あの隊の特定の人物?聖騎士達は全員ヘルムによって顔を覆っている為、遠目では誰が誰だか解らないはずだ。あの隊で唯一顔を晒している人物は、


「…お父様?」


ティーミスは、キエラの父親に怯えているのだろうか。

法公は確かに遠出の多い人物だが、回復系プリーストの為、剣の柄すらも握った事が無い筈だ。

きっと、よく似た誰かを思い出したに違い無い。そうに決まっている。

そうであって欲しい。


「大丈夫ですよ。大丈夫ですから…」


キエラはその日、晩餐にも出向かずに、一晩中ティーミスの傍に寄り添い続けた。


その日から、ティーミスの様子は一変した。

部屋に篭りきりになり、その挙動は怯えた小動物の様になり、ぶつぶつと独り言を言う様になった。

大衆を導き照らす筈の主教が、目の前の友一人を救う方法すら解らない。

キエラはいつしか、そんな無力感に蝕まれる様になった。

ティーミスの不幸は、触れる者にすら伝搬してしまう。


「…ティーミス様…」


法公の帰還から3日目の夜。

キエラは、とある決意を固める。

堕落へと至る選択とも知らずに。否、例えその決断が堕落に通づると知っていたとしても、キエラは同じ道を選んだだろう。


「...お父様に、問いただして見せます。」


キエラの向かった先は、この聖堂で最も大きな礼拝堂。

法公は今そこで、説法を説いている。


大理石の廊下を抜け、自身を咎めるかの様に向けられる石膏像の視線を振り払い、キエラは古ぼけた二枚扉の前に立つ。

年季によってチョコレート色に染まった、オーク材の二枚扉だ。


キエラは、その二枚扉の右側をゆっくりと押し上け、蝋燭とステンドグラス越しに差し込む薄明かりだけで照らされた巨大な部屋に入って行く。

並べられた長椅子には住職達が所狭しと着席しており、目測で見ても軽く1000人は超えていた。


「お父様!」


キエラの呼び掛けに応える為に、法公は説法を中断しキエラの方へと振り返る。

キエラと法公の距離は、現時点では60m程だ。


「あまり煩く言いたくは無いが、私の事は法公と呼んでくれ。」


部屋に篭りだった実の娘との再会にしては、法公のその台詞はあまりにも素っ気が無い。


「それに今は読啓の途中だ。邪魔をするからには、それ相応の理由が…」


「ティーミスと言う名を、ご存知ですか?」


「ティーミス?…聞いたことが無いな。」


「…本当ですか?」


「法公である私の文言に疑を唱えるか。本来ならば即刻審問だが、お前は私の娘だ。今回のみ許そう。

もう一度言うが、私はティーミスなどと言う名前も知らぬし、アトゥにも行った事が無い。良いな。」


「…え?」


キエラは実の父親に、生まれて初めて嘘を吐かれた。

キエラは一言も、アトゥなどと言う地名は出していない。

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