救済とは?
ジョックドゥーム崩壊事件の唯一の生存者であるチゥウデーンが、その日帝国騎士団によって保護された。
チゥウデーンは今、帝国本土へと向かう護送船の中で、ティーミスとジョックドゥームに関する聞き取りを受けていた。
否、アンデッドであるチゥウデーンを生存者と数えのは、少しおかしな話かも知れない。
「命の取り替え…ですか?」
「恐らくは、殺めた命を自身に閉じ込め次の命として利用する、古代魔術の類だろう。」
人がまだ、人としての種を確立してから間もない頃。魔法と言う物と触れ合ってまだ間もない頃。
その頃の魔法はまだ、自由で無秩序な物だった。
術式を組まない故に魔力の効率も非常に悪く、しばし術者本人が命の危険に晒され、その効力が人徳を無視していてもそれを規制する法律も無い。
魔法とは非常に危険で、同時にロマン溢れる物だった。
ある日、とある災厄によって当時の文明の殆どが壊滅した。同時に、そんな危険な魔法達も。
後にこれは歴史の第一断裂と呼ばれ、第一断裂以前に生み出された魔法は、いつしか古代魔法と呼ばれる様になった。
「突飛な話だとが思うが、魂を利用する魔法自体は無い訳では無い。最も、そんな事をするのは魔族くらいだろうが…」
「では奴は、今まで殺めてきた命の数だけ起き上がると…?」
「恐らくは…」
事実上の不死。
それが、チゥウデーンのティーミスに対する推測だった。
ただ、ティーミスのスキルは実際はそこまで便利な物では無い。
未知が憶測を生んだ結果の、ティーミスに対する過大目測だった。
「どんな強者でもあれと一対一では勝てないだろうが、だからと言って雑魚を頭数揃えても逆効果だ。
…運命が用意した理不尽か、はたまた世界の意思か、あるいは、」
チゥウデーンは、その懐から真新しい資料を取り出す。
ティーミスに関する、嘘まみれの人事資料だ。
「運命が用意した理不尽の中で生きる、ただの一人の少女か…」
偽造と黒塗りだらけの資料を、チゥウデーンは汚物を見る様な目で眺める。
「一応は、奴の魂そのものを破壊して蘇生不能にすると言う方法もある。
が、それが奴に通用するかは判らないし、そもそも私は冒険者じゃ無い。処刑人だ。この件について干渉をする気は無い。この情報提供は…救出の礼とでも受け取っておいてくれ。」
チゥウデーンは、どこかうんざりした様子で、どこか呆れた様子で、どこか突き放す調子で話す。
ティーミスはこの世界にとって必要の無い存在だが、世界が何時も正しいとは限らない。
否、既にティーミスは大勢を殺した。情状酌量の余地など無い。
殺人とは、それだけ重たい罪なのだ。
(…せめて彼女には、我が手による死によって救済を齎そうか…)
〜〜〜
旧アトゥ植民区。
正午。
「よしよし。良い子良い子。」
ティーミスは、カーディスガンドの頭をひたすら撫でていた。
別に、特に理由は無い。
ティーミスはただ、カーディスガンドを撫でていたい気分だっただけだ。
ティーミスが我が家を自作してから一月程経ち、ティーミスはやっと、この家の中で裸足になれる程にくつろげる様になっていた。
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【竜精】の好感度が上がりました。
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カーディスガンドはその瞼を僅かに上げ、ティーミスの腹にその頭を愛おしそうに擦り寄せて来る。
木の幹の様な角がティーミスのへその辺りにゴツゴツと当たるが、微かに体温を帯びている為か、不思議と鬱陶しくは感じなかった。
「…貴女は、私の事を好きで居てくれますか?」
「ガウ」
「…ふふ。」
中身の無い応答と、乾いた笑い。
二人だけの、救いようの無い甘い時間がゆっくりと過ぎて行く。
無数の馬の蹄の音に打ち壊されるまでは。
「…はぁ…」
ティーミスはカーディスガンドを格納すると、客人を出迎えるべく我が家を後にする。
騎馬の行軍が、ゴーストタウンと化した旧アトゥ植民区の街道を凱旋していた。
純白の鎧に赤いマント。馬鎧や武器までもが白と金で飾られており、その反射光は目を焼かんばかりの勢いだった。
「…主教様、これは…」
「邪気のかけらも感じないです。正にその…自然のままって感じです。」
主教と呼ばれたその少女は、付近を不安げに見回しながら応答する。
全身を白いロングローブで包み、顔には白い一枚布が掛かっている。
彼らは、聖イグリス共和国聖騎士団。
通称、“白翼”。
今回は、とあるヴァンパイアハンター達の証言を元に、咎人とヴァンパイアの関係を調べる為に派遣された。
「…冒険者協会の情報によれば、奴の根城はこの先に…」
次の瞬間、一行は蛇に睨まれた蛙の様にカチコチに固まる。
背後から、尋常ならざる気配を感じる。
聖騎士達の生物としての本能が、逃げろと警告する。
「どちら様ですか。何の様ですか。」
ティーミスの安息を踏み壊すに値する要件だろうか。
ティーミスは、それを確かめる為に聖騎士団に問い質す。
「主教様、奴は危険です。盾兵の後ろへと御避難を…」
主教は、槍を持った聖騎士の指示は聞かずに、ティーミスの前に出る。
「初めまして。わたくしの名前はキエラ・イスラフィル。」
キエラは馬から降り、自身の顔を覆っている白布を取り払いティーミスに素顔を見せる。
水色の瞳。薄紺色の艶のある髪。年は、ティーミスよりも少し上と行った具合だ。
「しゅ…主教様!聖布を外しては邪気に…」
「心配要りません。彼女はただの人間です。私達よりも少し強いだけの。」
「しかし…」
「大丈夫ですよ。大丈夫ですから。」
キエラはざわつく聖騎士達を宥めると、再びティーミスの方を向く。
全てを受け入れ抱擁するかの様な、女神の様な眼差しをティーミスに向ける。
ティーミスはその瞳に見つめられただけで、胸に何かがゆっくりと満たされて行く心地がする。
博愛、だろうか。
「わたくしはただ、貴女に少し質問があって来ただけですので。用が済んだら直ぐに帰りますよ。」
「…そうですか。戦いに来た訳では無いんですね。」
「勿論ですよ。」
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友好存在が確認されました。
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ティーミスは、ほっと表情を緩ませる。
この少女の無害性を確信したのだ。
「では、単刀直入にお尋ねしたいのですが、貴女、魔族のお知り合いはおられますか?」
「えっと…前は居ました。」
「その方は、今はどちらに?」
「喧嘩して、それで、殺しました。」
「…まぁ…その方とは、どう行ったご関係だったのですか?」
「……」
ティーミスは少しの間中を眺め思考を巡らせ、やがて一つの答えに辿り着く。
「…恋人でした。」
「…まぁ…」
異種族同性の恋人を殺めてしまった。
常人ならば恐らく、決して経験する事の無いであろう壮絶な体験。
キエラはただ、ティーミスのそんな経験に思いを馳せ胸を痛めた。
キエラはただ純真のままに、ティーミスを哀れんだ。
「…貴女の心から、邪気が微塵も感じられません。…沢山の命を殺めて来たなんて信じられない程に…」
キエラは、そっとティーミスの背に手を回し抱擁する。
「…今まで、よく頑張りましたね…」
「!」
聖騎士達は、キエラとティーミスのそんな様子を、武器を構えながら固唾を呑んで見守っていた。
もしもキエラの身に切り傷一つ付こう物なら国家問題に発展する。
キエラのわがままが無ければ、本来は聖騎士団のみでの遠征の予定だったのだ。
「貴女からは罪の気配がします…ですが悪意は何処にも見つかりません。…きっと全て、不本意だったのでしょう…」
キエラの修道女としての天碔が、ティーミスの本質を次々と見抜いて行く。
「…そう、思いますか?シスターさん。」
「ええ。どんな人間も、救われる権利を持っています。貴女だって、そうですよ?」
「…でも…私は…」
「大丈夫です。確かに失われた命は帰って来ません。
ですが、悔い改め…いえ、貴女自身が救われる事によって、その罪も、殺めた魂も、貴女を許す事でしょう。」
「…私が…救われる…」
「ええ。…ですが先ずは、貴女の事がもっと知りたいです。わたくしの元に、来てはくれませんか?」
「その…安全なら。」
「決まりですね!」
千の騎士が成せなかった事を、キエラはたった一人で、一本の剣も持たずに成し遂げた。
ティーミスが欲しかったのは、人肉でも殺戮でも無い。
孤独の無い、安全に暮らせる場所だった。