天を仰いで
ティーミスは徐に人差し指を伸ばすと、床に広がる、かつてシュレアだった赤い液体をその指の腹に付け、それをそのまま自身の舌の上に乗せる。
塩っ辛くて、鉄臭くて、少し甘い。
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【ロードハートヴァンパ
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ティーミスはすぐさま、出現したウィンドウを搔き消す。
幾ら経験値を重ねても、幾らスキルを積み上げても、ティーミスは弱い。
途方も無く、どうしようも無く、救いようも無い程、弱い。
ティーミスは両目を手で覆い、人目など御構い無しに、大声で泣きじゃくり始める。
何も変わっていない。
臆病で、泣き虫で、弱虫で、甘えん坊で、そしていつも、結局最後は孤独だ。
「…行きましょう。シュレアさん。」
部屋の床を満たしていた赤い液体が、不自然に水流を作り、ティーミスの目の前に集まって行く。
生まれた液溜まりから、黒く尖った爪のついた、細く美しい右腕が突き出される。
右腕は床に手を着くと、液溜まりの中から残りの体を引っ張り上げる。
漆黒のゴシックロリータドレス。右半分は黒髪、左半分は金髪のツインテール。背中からは蝙蝠の様な羽。赤い右目に、黒い左目。その頰にはユウガオの刺繍と、その下に“Forever”の飾り文字。
かつてシュレアだった何かだ。
「キィ!」
その喉からは、蝙蝠の鳴き音に似た声を発する。
自我と記憶は失ったが、れっきとしたシュレアだった。
「…これから、よろしくお願いします。」
「キィ!」
◇◇◇
「ピィ?」
「…挨拶くらいはしておきましょう。」
シュレアを連れてティーミスが最初に訪れたのは、シュレアの父親の眠る寝室だ。
シュレアは少し首を傾げながらも、父親の枕元へ行き、その額をそっと撫でている。
「…では…」
ティーミスはその吸血鬼の傍に寝転がると、そのまま昏睡した吸血鬼に身を重ねる。
ドスリ
ティーミスの赤黒の腕が、三本目の腕が、眠れる吸血鬼の胸部に零距離で突き刺さる。
冷たい。
しばしの間その吸血鬼の体を探り、ようやく命を探り当てる。
蝋燭の灯りの様な、弱々しく揺蕩う様な奪取した命だ。
使えるかどうか分からない程の、小さな命だった。
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【揺蕩う命滓】
何らかの原因で、その力を失ってしまった命です。
蘇生に使用する事が出来ず、分解した場合の取得物も少なくなります。
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蘇生に使用する事が出来ない。
つまり、一つの生物の命としての機能を既に失っていると言う事だ。
「ピィ…?キィ!」
吸血鬼公爵ガーワの青白い体が、そのまま白い灰へと帰って行く。
不思議とティーミスは、生き物を殺めた心地を感じなかった。
「キィ…」
シュレアは心なしか寂しそうに鳴くと、そのまま半液に戻り、ティーミスの手首に吸い込まれる様に寄っていき、そして、弾き返される。
慌てて形を取り戻したシュレアは、パニックを起こしティーミスの周囲をウロウロする。
「あ…」
ティーミスの兵舎の容量がギリギリ足りない。
「仕方無いですね。」
ティーミスは、まだ灰の残るベッドの上に腰掛け、ウィンドウを弄り始める。
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【揺蕩う命滓】を分解します。
鑑定中…
鑑定中…
鑑定中…
鑑定完了しました。以下のアイテムを獲得します。
・スキルポイント8
・フィールドクエスト
分解しますか?
はい
いいえ
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ティーミスは、当然肯定する。
そうして手に入れたスキルポイントを全て《軍師》に注ぎ込む。
(フィールドクエスト?それは一体…)
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【フィールドクエスト】
物体としての形を持たない、自動使用型アイテムです。
クエストをクリアして、報酬を手に入れましょう。
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見慣れぬ文面に戸惑っていたティーミスだが、事は直ぐに起こった。
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フィールドクエスト発生!
[天災機構 シウテクトリ襲来]
おすすめ属性
雷
破砕
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「…にえ?」
ティーミスの目の前に、上向きの空間の歪みが出現する。
空間の歪みから巨大な塊が勢い良く射出され、ロードハート家邸宅の天井を、屋根を突き破り、重力など無視するかの様に、勢いを緩める事無くそのまま魔界の空に消えて行った。
「…あれが、そのクエストでしょうか。」
「ピィ。」
魔界の空を、天井に空いた穴から見上げる。
少しすると、何か巨大な物がぶつかった様な轟音が響く。
轟音からさらに少し経ち、再びの轟音と共に、魔界の空に一つ、輝く星が出現する。
「地上に出ちゃったんですね。」
あれは星では無い。
魔界の天井に空いた穴だ。
「…にえ?」
ティーミスの元から解き放たれた物体は、世界で初めて魔界から地上への物理的な移動を行った。
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クエスト出現から1週間以内にクリアした場合、ボーナスチャレンジが発生します。
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〜〜〜
「はぁ…暇だなぁ。」
昼下がりの午後。
簡素な鎧を身に付けた兵士が一人、傍に槍を立て掛け、一人門の横で寝転がって居る。
彼は、このペワ王国にある唯一つの門の、ただ一人の門番であった。
時折、行商人や宿を求める冒険者が来る以外には特段来客も来る事の無い、ケーリレンデ付属の小さな国だった。
兵士の見る景色は、いつも代わり映えがしなかった。
一面の野原。遠くの方に一本の木、その遠くにもう一本の木、さらにその遠くに、名前も知らない村の教会の屋根の先が、地平線からちょこんと飛び出して見える。
趣はあるが、味気の無い景色だった。
ゴオオォォォォ…
「ん?」
何かが爆発する様な音が、門番の耳に届く。
その少し後に、はるか遠方で巻き上げられた土石と土埃によって、地平線に僅かな歪みが生じる。
兵士は起き上がり、右手で日光を遮りながら、詳細を見ようと目を凝らす。
地平線の上に、先程まで無かったはずの何か大きな物が見える。
その物体からオレンジ色の光が放たれ、物体は地平線から離れ始める。
超遠距離で目視出来る程の大きさの、地面から飛び出して来た物体が突如浮上を始めたのだ。
「…何だ!?」
物体は、噴煙の様な物で尾を引きながら浮上し続け、晴天の空へと登って行く。
と、次の瞬間だった。
地平線からちょこんと頭を出すだけだった教会が、木っ端微塵になりながら他の建造物と共に上空に吹き飛ばされる。
奥にある木が、何か巨大な力を受けたかの様に門番の方向に一瞬で倒れへし折れる。
「!」
何が起こっているのかは分かっていない。
ただ、自身の身に危険が迫っている事は、門番は何故だか直感で理解できた。
門番は、立て掛けてある槍も忘れ全速力で走り、自身の守っている門を目指す。
後方からもう一本の木がへし折れる音が聞こえ、門番は咄嗟に体を丸める。
「《身体強化・耐衝撃》!」
次の瞬間背後から、門番の元にも暴風と爆音が到来する。
豪風は一瞬で物体全てを吹き上げ舞上げ、爆音は、城門だろうが建造物だろうが全ての物体を一瞬で破砕する。
音も風も、光に比べれば遥かに遅い。
故にこの門番だけには、身構える猶予があったのだ。
「…はあ…はあ…はあ…」
丸めていた体を解き、門番は耳鳴りのする耳を手で押さえながらよろよろと立ち上がる。
門番が立っていたのは瓦礫の海の真ん中、奇跡的に出来た円形の広場の中心だ。
(は…早く、この事を詰所に報告しなければ!)
門番はふと、足元に転がる金属のポールに目を落とす。
王城の屋根の上にあった旗のものだ。
「…おい…おいおいおいおいおい!?」
粉々に砕かれただの砂利と化した外壁。元の面積の2倍以上に飛散した建物の瓦礫。誰かの血。そして、柄から別離した見慣れた槍先。
門番はそれを拾い上げようとしたが、指に触れた瞬間に、束ねた糸の様にパラパラと砕けてしまった。
門番はしばし、何も考えず天を見上げる。
惨状から目を背けられる唯一の方角だ。
昼下がりの空に、青色の尾を引く彗星があった。
彗星は、地上から見れば非常にゆっくりと、しかし実際は音速で、西を目指して直進していた。
“中継地点の検索を開始します。中継地点、検出されず。
中継地点の検索を開始します。中継地点、検出されず。
中継地点の検索を開始します。中継地点、検出されず。”